最終回
いよいよ最終回です。
最後までお付き合い、どうかお願いします!
時間は待ってはくれないし、人間の都合なんて鑑みない。
蒸し暑くて日差しが強い夏はとうに過ぎ去って、身体の芯まで凍えさせる冬が来る。
夕方の時間は短くなって、夜の時間が長くなる。
そう今だって、6時なのに日はすっかり落ちきって、電柱の明りが辺りを照らしている。
わずかな光が、そばに立っていた待ち人の姿を映し出した。
「千佳、おかえり!」
「……ひなた」
「ただいま」と小さく返すと、ひなたが笑った。彼の吐息が、白い蒸気みたいに空気に溶ける様子を眺める。
――冬、ね。
マフラーや手袋やコートをしっかりと着用して防寒しているひなたは、着膨れなどしていない。きっと、着膨れをしていても、彼なら『可愛い』という感想で流されてしまうわね。
私はというと、制服に紺のダッフルコートを羽織って、淡いクリーム色のマフラーを巻きつけているだけ。色々着てしまうと太ってみえてしまうタイプだから、多少の寒さは我慢しなきゃいけないわ。
半年経って肌寒い季節になっても、ひなたに日替わりで花を渡される。花がなくても、もう用事なんて尋ねたりはしないけれど。
嬉しそうに微笑んで、ひなたが花を差し出す。
蝶の形をした花びらを持つ、スイートピー。薄オレンジ色を選んだところに、ひなたの好みが現れているわ。
「ほら。これ」
「ありがとう」
受け取ることにためらいがなくなるほどに、習慣になっていた。
花代だって高くないことを知っているけれど、私はこれを止めるなんてできなくなってしまっている。
「変わるものね」
「? なにが?」
「いえ、なんでも」
以前ならなかった、隣で歩くという行為を彼に許している。
ほだされている、としか言いようがない。
「千佳、そう言えば前はヒマワリが嫌いだって言ってたよな」
「そうだったかしら」
覚えていたけれど、簡単には肯定してあげない。そのほうが、ひなたの態度が面白いもの。
ほら、一気に険しい顔になった。
「そうだよ! あのプレゼントしたときの反応! 俺、かなりショックだったんだからな!」
「あら、それはゴメンなさい?」
「棒読みじゃん! オマケに疑問形だし!」
すかさず食いつくひなたに、微笑んで見せる。
ひなたは溜息を一つ吐き出した。あら、もうおしまい?
「ま、いいけど。でも、結局何が理由だったんだよ」
「……秘密、よ」
「秘密って、気になるじゃん」
「じゃあ気にしてなさい」
「えー」
ブーブー文句を言っても折れないわよ。
成長期に入ったひなたは、私の背を追い越している。きっともうすぐ、可愛いという表現が似合わなくなってしまうでしょうね。
「別にいいじゃない。今はそこまで、嫌いじゃないの」
「ええ、余計気になる! なぁなぁなんでだよ?」
「……さぁ、どうしてかしらね」
わざとらしく笑ってみせる。ふてくされるひなたには、決して教えられないのは確かだけれど。
「……言えるはずがないじゃない」
「だから、なんでだって」
「知らないわ。自分で考えなさい」
「はー?」
そっぽを向くと、ひなたが不服そうな顔をして覗き込んできた。
それを手に持った花でガードをする。
――そう、言えるはずがないのよ。
ヒマワリが、ひなたみたいだから嫌いだったなんて。
「わぷっ! ちょっとぉ、千佳!」
「あらごめんなさい? 邪魔な顔があったの」
「邪魔って! 邪魔って言った!?」
「うるさいわね、時間帯を考えなさいな」
「ひどい!」
幼児のように騒ぐひなたに、笑いかけた。
こんな風景、少し前までの私が見たら眉をひそめるでしょうね。いいえ、もしかしたら他人のふりかしら。
彼を憎んでいたと思っていた。けれど、どうしてか「嫌い」と宣言した後に、私の心の中に虚ろができた。それを埋めるように、寝る間を惜しんで病気かというほどに勉強した。
かと言って、ひなたといると落ち着かない。苛立たせるし、ちょっとしたことでも腹が立って。ふとしたときに、胸が一杯になってしまう。
まるで私が私じゃないみたいで、もどかしい。
理由が、今ならわかる。
結局のところ私はひなたが、「嫌い」で「憎らしく」て「面倒」で、でもほんの一握りくらいは「愛おしい」の。
イジメを受けても原因のひなたに告げなかったほどに。
「ねぇ、ひなた」
「なに、千佳」
まっすぐ私を見つめる彼の瞳に、引き寄せられてしまう。
一度厳しい感情を伝えてしまってから、私は言葉を選び間違えてしまうの。
……まぁ、半分くらいはからかいたくて、だけれど。
「嫌いよ、ひなた」
私は、ひなたに毒を吐いた。
でも、彼はニッコリと笑う。
「知ってる。でも、俺は好きだよ」
「知ってるわ」
彼の返事に、おそろいの答えを。
ひなたの「好き」が、どういうものかは明確には聞いていない。
でも私だけに向けられた笑顔と、口調の隅々まで甘ったるい感情を混ぜ合わせれば、正解なんて一つ。
『付き合って』という決定打を与えないのは、私の心情をわかっているのかもしれない。
今はまだ、その願いに首を縦には振らないから。
知らないふりをして、私はあいまいに笑いかける。
「千佳は、いつになったら俺のこと好きになる?」
「さぁ、いつかしら」
まだ、平穏な日常も諦めきれないの。
だから、そう。そのいつかは。
「……ひなた次第かもしれないわよ?」
「え?」
きょとんとするひなたに、笑いがこみ上げてくる。
あなたに振りまわされてもいいくらい、私を好きにさせてみなさいな。
でも、一方的なのは嫌よ。だから、これから準備でもしましょうか。
あなたの隣に立っても周りの女が口をつぐむくらい、外見と知力と体力を磨きましょう。
引け目を感じずに堂々と話しかけて、「特別な人」の枠を独占してみせるわ。
――だから、ひなた。
あなたはただ、まっすぐに私を、私だけを見つめていて?
よそ見なんて私がしないほど、無邪気で明るく話しかけて。
「頑張ってね?」
小さく笑う私に、あなたが嘆息した。
そして、苦笑いしつつどこか嬉しそうに、告げる。
「うん、頑張るから」
――だから、待ってろな。
小さく呟いた言葉をすくい上げて、私は笑顔で頷いた。
早く言わせてほしいの。
あなたのことが、大好きよ。
これにて、物語は終わりです。
今後も、ひなたが千佳を振りまわし、千佳もひなたを振りまわしていくのでしょう。
あとがきを活動報告にて載せています。もしよろしければ、のぞきに来てください。
それでは。また別の作品にて、お目にかかれることを願って。
読んでくださったあなたに、最大限の感謝を!