2話
引き続き読んでくださりありがとうございます。
今話の後半から明るくなります。
では、どうぞ!
まるで世界が終ったような顔をして、ひなたは帰って行った。
それに母が怒ってきたけれど、当然無視よ、無視。いちいち口出しをしないでちょうだい。そもそも私が悪いことが前提というのはどうかと思うわ。今回に限っては、違ってないのだけれど。
あの反応では本日中に再来はしないはずなので、そのまま自室で勉強をした。
あれで縁が切れればいいけれど、それは不可能。隣人である事実は変わらないもの。図々しく仲を取り持ってほしいと言いだす女性は必ず現れるはず。
彼を知っている人がいない地域に行かないと。勉強漬けは続行よ。保険は多いほうがいいわ。なにより、新しい知識を増やすのは嫌いじゃないのよ。
過剰すぎる? いいえ。いいえ、そんなことはないわ。
親の対応すら、私よりひなたに甘いのよ? 他者なら、顕著に決まってるじゃない。
***
夢中で机に向かっていたら、窓の外が暗くなっていた。
この時期は窓を開けっ放しにしていると小さな虫が入ってしまう。休憩がてら、椅子から立ちあがって窓辺に寄った。
網戸ごしに、隣家が見えた。私の部屋と向かい合うところに位置してるのがひなたの部屋。一人部屋をもらう際に、どうしてもあそこがいいとねだったと聞いている。
家に帰っても、私と会話がしたいって理由も覚えてる。
それほどひなたの私依存は、筋金入りだった。
その部屋は、この時間なら窓が開いていた。そして、私が窓に近寄ると、近所迷惑になるほどの大声でひなたが名を呼ぶ。『やめなさい』という私の注意を聞きもしないで、いつもいつも。
距離だって1mも離れていないんだから、張り上げなくても聞こえるのに。
「……」
ひなたの部屋が、カーテンで遮られているのを確認してから。私も、窓に鍵をかけてカーテンを閉ざした。
***
ひなたは、考えることが多くなったみたい。物憂げに溜息を吐くのだとか。あの日以降、私は彼と話すことも見かけることもなくなったけれど、親やひなたの母親がそう伝えてくる。私に様子をわざわざ知らせなくても結構よ?
私としては実に平和な日常を送っている。家にいてもひなたが押し掛けてくることもなくなったので、思う存分勉学に励める。なんて素晴らしいのかしら!
日曜に外食する必要もなくなったので、金銭に潤いが出てきた。浮いた分は読書と参考書にあてる。結果、本を読み慣れることで問題文を読む速度も上昇して、さらに勉強がはかどった。
いいことづくめだった私は、それなりに学生生活を満喫してたわ。小学校の影響で友人はできなかったけれど。それも、数年耐えればいいのだから。
――だからなのかしら。月日が十分に経ってすっかり油断していた私は、捕まってしまったの。
***
玄関から出てすぐ。声をかけられた。
「千佳」
振り向くと、私よりもやや身長の低い男の子が立っていた。
見覚えのない。はずなのに、どこか既視感がある彼。わたがしに色がついたようなやわらかそうな栗色は、一人しか心当たりがない。
だから、私はそのアタリを思い出すと同時に顔をしかめてしまったの。
「……ひなた」
「そんなに嫌そうな顔しないでよ」
膨れる表情は、以前と変わらないようね。
多少背が伸びたみたいだけれど、顔つきは同じだわ。
「あらごめんなさい? 実際に嫌なんだもの」
「バッサリ言うじゃん。久々に会って、それ?」
あら、あらあら。
驚きよ。すげなく言ったのに、この子ったら全然こたえてないわ。目を見ても、涙を浮かべてないなんて。
あの頃のひなたとは大違いみたいね。
……ふぅん。いいわ。その変化に免じて、会話に付き合ってあげましょう。
「そうね。久々かしら?」
「一年ぶりは久々ってわかってるよね?」
嫌味を返せるようになるなんて。
純粋で無邪気だったひなたも変わったのね。
感心しつつ、サクッと用件を聞くことにした。会話に付き合うと言っても、長くは禁物よ。最近ようやく親がひなたについて騒ぐのを控え始めたんだから。
「それで。なにかしら?」
「幼馴染みともう少し話す気はないの?」
「ないわね」
「……またバッサリ。ホント、隠さなくなったよね」
「当たり前じゃない。我慢する必要なんてないもの」
そう答えると、ひなたは眉間にしわを寄せた。
なんで泣きそうな顔をしてるのよ。
やめてくれないかしら。家の前でなんて近所の目があるのだから、また私の悪口が広がるでしょう?
ああ、やっぱり気まぐれを起こすべきではなかったわ。
ひなたに関わっても、一利無しということを忘れるなんて平和ボケをしてしまったようね。
「話はそれだけかしら」
さっさと終わらせてしまいましょう。
「まだ終わってない」
「そう。それで」
内心で思わず深い溜息を吐いてしまうわ。
……やっかいなこと。この幼馴染みは、この一年でずいぶんと耐えられるようになったみたい。
「千佳」
ひなたを見ると、硬い表情をしていた。
何故かしら、とても嫌な予感がしているの。
発言を封じ込めて去ろうかしら。それがいい気がするわ。
ああ、でも。私がわずかに動揺したその合間を縫って、ひなたが口を開いてしまった。
「俺、許してねーから」
「は?」
許してないってなにが?
文脈なしに、ひなたが言う。きちんと目的語を出しなさい。
目尻をつりあげて、『怖い』という表現がふさわしい、ひなたには似合わない雰囲気出している。
「千佳は俺のものだし、俺と一緒にいるべきなんだ!」
「……はぁ」
一年経って少しは成長したかと思えば、またそれなの?
気だるくなって、あくびが出てしまいそうよ。
「私は物ではないわ。それに、もう一度言わなければいけないみたいね。ひなた、私はあなたのことが嫌いなの」
「……うん、で?」
「は?」
『で?』って。『で』じゃないでしょう。
まさか、まだ実感していないの?
苛立ちが隠しきれず、ひなたを睨んだ。けれど、彼は私の眼光を見据えながら、表情を変えるそぶりがない。
そんなひなたに、動揺してしまったのは、逆に私のほうだ。
「わかってるっつうの。でもさ、俺は好きなんだ」
わかってるって、本当に?
信じられないし、信じたくはないのに。ひなたに私の態度を軽んじる様子がないのが、それを裏打ちしている。
だとしたら。だとしたら、なんて、なんて厄介な状況。
背筋を這う悪寒が、私に危機を教えている。
聞きたくはない。ならばこの場から立ち去ればいい。
そんな単純な話だとわかっているけれど、体が言うことを聞かない。
――彼の瞳が、それを邪魔している。
「だから、これからは。俺を好きになってもらえるようにする」
これを死刑宣告ととらえないで何ととらえればいいの?
どうやら彼は、ますます面倒な存在へと進化したみたい。
「手始めに、これ」
ひなたが私の胸元に押しつけてきたのは。
「ヒマワリ?」
大柄な花を咲かせている、一輪のヒマワリ。
とっさに受け取ってしまったけれど、いらないわ。
「嫌よ。こんな花」
「え……」
押しつけ返すとひなたがポカンと口を開けた。
そして悲しそうな表情を浮かべる。
……嫌いな人物相手でも、さすがに酷かったかしら。
ひなたからもらいたくないって理由もあったけれど、それが主ではないってこと伝えるべき?
しおれたひなたに、罪悪感が胸を痛めつける。
好感度を下げるためには、そうしたほうが良いに決まっている。
わかってはいるけれど、口が勝手に動いてしまう。
「……嫌いなのよ、ヒマワリ」
私の発言に、パッと顔を明るくするひなた。本当に、わかりやすい子。
先程まで落ち込んでいたのが嘘のように、ひなたは不思議そうに首を傾げている。
「女って、花が好きじゃないのか?」
どこでそんな情報を手に入れたのかしら。まぁ、べつにどこででもいいわね。
「大体の女性はそうでしょうね。でも、私はその花は嫌いなのよ」
「へぇー……うん、わかった。今度は違う花をやるな!」
「結構よ」
満面の笑みのひなたに、断りを入れる。
でも、ひなたはニコニコと能天気そうな笑顔のまま。……絶対に、聞いていないわね。
「でも、なんでヒマワリだけ嫌いなんだよ。見てるだけで元気になるだろ! 俺は花だったらダントツでヒマワリだけど」
「……」
「? なんか言ったか?」
「いいえ」
小声で呟いた言葉は、彼の耳にちょうど届かなかった。反射で言っていたそれは、私の本音だったけれど。
聞こえなくてよかったかもしれないわ。
「うーん、喜んでもらえると思ったのに。失敗かぁ」
「そうなるわね」
「あーあ」
肩を落とすひなたに、冷たい視線を送るしかない。
「……ま、いいや! じゃあ千佳、また明日な!」
「あ……ちょ、ちょっと! 待ちなさい!」
嫌いな花だって言っているのに、回収せずにどこに行くつもりよ!
呼びとめたのに走り去るなんて、やっぱりひなたは自由すぎるわ。
あと聞き逃さなかったわよ。「また明日」ってどういうことかしら。不吉な響きを残していかないでちょうだい。
「……これ、どうしろっていうのよ」
手元に残った花に、私は苦い思いを抱いた。
明日の分をまだ途中までしか書いていないという……。
明日の同時刻に間に合うよう、頑張ります(汗)!
読んでくださり、ありがとうございました。