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悪魔の作った人生ゲーム【上】

 わたしは三人の顔を見ていた。父はさっきからボードゲームの説明書とにらめっこしている。母はコーヒーカップを口元まで運んでから、わたしの視線に気が付いて笑い返してくれた。兄もまたわたしをみている。だけどこっちは、急かすような目をしていた。

 しょうがないなぁ、と少女は兄を睨み返す。それ! とわざとらしく声をだして、サイコロを投げた。わきに寄せていたお気に入りのお人形が、少女の動きに反発するようにバランスを崩して横倒しになった。


 サイコロは、三と五の目を出していた。少女はゆっくり足し算をして、一マスずつポーンを動かした。軽快なリズムを刻んで進む、小のポーンが八マス目を踏んだ。すると、ゲームボードの真ん中に埋め込まれていたまっくろな球体から、父でもない、母でもない、兄でもない、わたしでもない。聞き覚えのない声が響いてきたのだ。


※ ※ ※


『空疎の器に魂を』


※ ※ ※


 これは英語ではない。父は考えた。そもそもこのゲームはなんだ? 息子が嬉々とした表情で持ち運んできたものだった。球体の奥底から響いてくる言葉の余韻を追うようにして、うっすらとした細い煙が立ち昇る。それは、今度こそ私達にも分かる文字で、ひらがなに似た形を作り上げていく。とても、気味が悪かった。


「くうそ、のうつわに……たましいを?」

 どういうことだ? なぞるようにゆっくりと口にした言葉を、もう一度、頭の中で復唱する。空疎の器に魂とは? その答えはすぐに見つかった。娘の悲鳴が耳の奥底に突き刺さるようだった。娘の腕に抱きかかえられていた人形が、その愛らしい顔からは想像しがたい鋭い金切り声でしゃべりだしたのだ。


『さァ――債を投げてくださいな。次は、あなたの、ばんですわよ?』


 今にも泣き崩れてしまいそうな娘の顔が、こちらに向けられている。その手元で忙しなく動くそれも、丸みのある右手をこちらに向けて笑っていた。

 

 父は動揺を隠せなかった。もともと空想や幻想といったものは好まない性格だ。これもまた、容易く受け入れられるような現実ではなかった。だから、娘の膝元で不気味に笑う人形を、強引に奪い取ろうとした。捨ててしまおうと。

 しかし、そうはならなかった。その手を遮ったのは、ほかでもない娘自身だったのだ。


――お父さん。声を震わせて、私を見つめる。

――お人形さんが言うの。その頬を大粒の涙が滑り落ちていく。

――サイコロを振って! って。今一番に聞きたくない言葉だった。


 ニヒルに笑いかけてくる人形に、私は酷い眩暈を覚えた。そして、言われるままにサイコロを投げる。六の目が二つ重なった。


※ ※ ※


『王女はその男のすべてを欲した。私の美声を通す耳を、私の美貌を映すその瞳を、毎夜の如くこの私に甘く囁きかけるその喉と舌を。――いいえ、まだ。まだ足りないわ。そうね、あなたの一番大切なものを、渡してみせなさい。王女は、笑う』


※ ※ ※


 夫は計十二マス動かすことになった。一度喉を鳴らしてから、大のポーンに右手を添える。震える手で、ゆっくりとポーンを進めていた。そののっそりとした動きが、見てられなかった。そんなにあの人形が怖いのか? 隠しきれていない侮蔑ぶべつの視線を夫に向ける。その時、人形がまた笑った。今度は私を見ている。娘は泣きながら、その人形を抱きしめていた。早く捨ててしまえばいいのに。気味が悪いというのは、夫と意見があった。


 さすがにこのまま泣かれては堪らないので、娘が喜びそうな笑顔でも作って撫でてやろうかと考えた。必死に堪えていた笑いが喉元まで迫ってきている。右手をそっと差し伸べてやった。


『おばさま――うそつきおばさま』

 娘の頭に触れていた手が止まる。人形が、喋る。 


『汚らしい、汚らしい――汚れたメスブタの魂と同じ色をしていらっしゃいますわ』


 人形はせせら笑ってみせた。母の顔が怒りに歪む。娘が苦悶の表情を浮かべて、悲鳴にもちかい声で叫んだ。まだ幼さの残る黒く長いその髪を、母が握りしめているのだ。まるで、不要となった紙をくしゃくしゃに丸めるように。乱暴に。

 娘は痛みから逃げるように、泣きながらも立ち上がってみせた。その膝から人形がこぼれ落ちる。母はそれを力いっぱいに踏みつけてやった。息子が娘の背中に手を置いて必死に話しかけていた。足元では、人形が『いたい、いたい』と呻いている。一時は引いていた笑いが再び喉元まで迫った。もうだめ。我慢できないわ――。

「――アァガガガガッ」


 しかし母の艶笑えんしょうを父の絶叫が遮った。その非日常的な音に、父を除いた家族の視線が一箇所に集まった。泣きわめいていた娘もさすがに声を出せないでいる。その静寂は突然に訪れた。――父さん! 息子の反応が一番早い。娘の肩からそっと手を放すと、青ざめた顔で夫に駆け寄った。必死にその体を揺さぶっている。声もかけていた。夫は、なにもしゃべらない。ただ、まるで裏返った甲羅虫のように手足を激しく動かしているだけだった。その手で息子を殴り、その足で息子を蹴飛ばす。それでも、彼は夫にしがみついて放そうとしない。なんとも気持ちの悪い光景だった。おぞましいとさえ、私は思っていた。汚らしい。見ていられない。

 地面に転がっていた債を無造作に拾い上げると、感情のままにそれを夫へと投げつけた。


「こんなクソ気持ち悪い遊び、やってらんないわ! はっ、ばかばかしい。帰る!」

 ――どこにいくんだよ! という息子の叫びを背にして、リビングから玄関に。以前夫に無理を言って買わせた自慢の赤いヒールに足を通して、玄関の扉を力強く開け放った。


 サイコロの目は、四と一だった。また、誰かが笑い出した。錆びた鉄と鉄とが激しくこすれ合うような音。痛々しい残響音が鳴っている。


 母は玄関を抜けたところだろう。息子は夫に必死だ。それを見ていたのは、娘だけだった。

「――お人形さん」


 大のポーンが、五マス目で静止した。娘はその時、笑っていたのだろうか?


※ ※ ※


『罪人よ。死を持ってその罪を贖え。汝の肉体は、悪魔のよき供物となるだろう』


下に続きます。

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