少女と少年
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肌寒い春の夕暮れの中央の国の小さな森の入口。芽吹いたばかりの新芽や咲き誇る花々が夕日に照らされ、朱色に色付く。空を見上げれば、西の空は赤らみ薄く雲がかかっていた。
魔物が滅多に現れぬ森のその入口は、平和な時を静かに刻んでゆくはずであった。
しかし──、いつまでも永遠に続くはずの平和は、黒い人型をした何かによって、瞬く間に脆く崩れ去ったのだ。
「いやぁっ! 返して!!」
涙を流して叫ぶのは、まだ十三になったばかりの少女。朗らかな笑みを湛えているはずの瞳は、恐怖の色に染めあげられていた。少女の着ている質素な、だがしっかりと手入れされていた淡い黄色のワンピースは泥だらけになり、二つに結わえていた髪の毛はぼさぼさになって、木の葉が絡み付いている。転んで擦りむいた膝が痛い。
「おい、お前いい度胸してんなぁ。俺様達に立ち向かって来るなんて」
「馬鹿か、お前? 魔人に逆らおうなんて百年は早いわ!!」
ニタニタと嘲笑う数人の人型。黒い皮膚の質は人間とは全く異なり決して黒膚の民のものではない。鮫肌のようにざらざらとしていて、狂気に染まった朱い目はまるで血の色のよう。──それは魔人と呼ばれる魔物の一族の特徴であった。
少女は魔人に取り囲まれており、魔人らのリーダーらしき奴の手には、雪のごとく真っ白なユリが握られている。
「天使のユリを返してよ! それがないと、弟を助けれないの!!」
少女が叫ぶ。彼女は魔人らにユリを奪われたのだ。天使のユリは様々な魔法薬の材料としてよく知られている。少女も魔法薬を作るのに使うつもりだった。病に侵され、日々苦しむ弟のために、商人や旅して暮らす冒険者に訊ね、どうにかユリの存在を知ったのだ。
買うには高価で手が出ずとも、自生しているのを摘めばよいのだ。幸いにも少女の住む村の近くの森に自生しているということを知って、森に入った少女は、帰り道に運悪く魔人と出会ってしまったのである。
「返せと言われて返す馬鹿がいると思うか?」
魔人はニヤニヤと笑い、少女を見下してきた。そのうちからかうのに飽きてきたのか、魔人らは少女に向かって魔法を放ち、痛め付けて遊び始めた。
「っ────!」
身体に激痛が走る。自らの身体から流れ出た赤い液体が、新緑の草を黒く染め上げ、鉄の臭いが蔓延する。
少女は声にならない悲鳴を上げ、それを必死に堪えた。まだ魔法を使えない少女には、魔人に対抗する術が無い。腕力も乏しく、殴りかかったところで奴等に傷ひとつ負わすことができないのは、目に見えた事実だった。出血が多過ぎたせいか、あるいは魔法が頭に当たったせいか、少女の意識は朦朧としてきてそれさえも不可能となっていく。
「最後だぜぇ。“地獄の炎”」
詠唱破棄とよばれる、詠唱をしないで放たれた火属性──火、水、雷、土、風、光、闇、と七つある普通属性と呼ばれる一般的な魔法の属性の一つ──の中級魔法──初級、中級、上級、最上級、神級という魔法の威力や難易度によって段階付けされたうちの、二番目の位の魔法──が、少女に向かって行く。それが命中することを確信した魔人の高笑いが響いた。
恐怖が少女の心を支配する。
──抗う術のない自分は、もうすぐ死ぬのだ。
まだ生きたい。こんなところで死にたくない。
しかし、少女にはそれを避ける力も、悲鳴をあげる力も残っておらず、何一つ抵抗することすらできなかった少女は、短い人生を終わらす覚悟を決め、静かに目を閉じた。
だが──、何時まで経っても来るはずの衝撃が来ない。
少女が恐る恐る目を開けると、銀のマントの長身の人が、少女の目の前に立っていた。
フードを被っており、さらに後ろ姿であるため断言は出来ないが、身長からすれば男性である。
魔人も少女も音もなく現れた男性に唖然としていたが、すぐに我に返る。
「貴様ぁ!!」
邪魔をされ怒り狂った魔人が、男性に魔法を放とうとした。このままでは魔法が男性に当たってしまうだろう。自分は殺されてもせめてあの男性だけはと口を開く。
逃げて! と叫ぼうとした瞬間──、目を疑うような出来事が起きた。
魔法を放とうとした魔人が、バラバラに切断され、崩れ落ちたのだ。瞬時に起きた出来事で、少女には飛び散る血すらも見えなかった。
知らぬうちに、男性の手に青みがかった赤い血に濡れた黒い刀が握られていた。
何が起きたのかわからない。少女は呆然として、座り込んだまま魔人と男性のやりとりを眺めた。
「刀……? ──っ貴様、 まさか!!」
魔人が驚愕の表情を見せる。少女も男性が何者なのか気が付いてしまった。あの黒い長刀を持つ彼は────
「……遅いですね」
──刹那、男性はその魔人の背後に立っていた。魔人の首が飛ぶ。その魔人が崩れ落ちる前に、他の魔人も全員首を刎ねられ、絶命した。
見えなかった。少女はまばたきも忘れて見入っていたが、それでも男の動きは見えなかったのだ。
男性は刀を軽く振り、血を払った後、何処からか鞘を取り出し、刀を納めた。カチン、と小さな音がした。
そして何処かに刀を消し去り、いつの間にか奪い返していた天使のユリを持って、男性は少女に歩み寄る。男性は少女の傍らに片膝をつくと、少女に回復魔法をかけた。
「“パーフェクトヒール”」
──光属性最上級魔法“パーフェクトヒール”。少女でも一度は耳にしたことのある治癒魔法である。
淡い黄色の光が少女の身体を包み込み、あっという間に傷が癒されていく。少女は目を見開いた。
彼は光属性の最上級魔法であるはずの魔法を、詠唱破棄したのだ。詠唱破棄は、通常の詠唱をする時と比べると、二倍近くの魔力を消費し、さらに比べものにならないほど、難易度が上がる。にもかかわらず、国でも使える者は二百もいないと言われているほど難易度の高い最上級魔法を、詠唱破棄したのだ。しかも、それはあくまでも使える者は、の話である。まともにコントロールできて、本来の威力のそれを発動できる者など、その何分の一であろうか。
先程の戦いを見ずとも、この動作だけで男性がかなりの実力の持ち主なのだとすぐにわかるだろう。
少女は怪我が治り起き上がると、はい、と男性にユリを渡されたが、相手が二つ名持ちの人物とはいえ、フードの中身は得体が知れない。恐くなって思わず身体を竦めてしまった。
「あぁ、ゴメンね。これじゃ恐いよね」
男性がフードを取る。なんと男性は──、まだ二十に満たない、誰しもが見惚れるほど美しい少年だった。さらさらの輝くような銀髪に、澄んだ蒼い瞳、文句の付け所のないほど綺麗に整った顔立ち。あの切れ長の目に見据えられたら、だれしもが鼓動を早めるだろう。この少年を美少年以外に何と言うのだろうか。
少女も先程までの恐怖を忘れ、頬に熱を集めて見惚れてしまった。
「……どうかしたの?」
男性──否、少年は鈍感なようでそれに気が付かず、少女の顔の前で手を振って、少女を現実に戻した。
「ご、ごめんなさい! 助けてくれて有難うございます!!」
我に返った少女が謝り、礼を述べて頭を下げると、少年は驚くべきほど綺麗に笑った。
「気にしないで」
顔を上げた少女は、また見惚れてしまいそうになり慌てて目をそらすと、先程から気になっている ことを質問をした。
「あの……」
「はい?」
「貴方は……“白銀の刀使い”様、ですよね?」
少年は少女の言葉に苦笑いして頷いた。
“白銀の刀使い”。それは世界最強──否、史上最強と言われる、現・総帝の二つ名。先程、この少年が使用していた刀は魔武器【黒鳳蝶】と言う名で、この刀を使っているのを見れば誰しもがこの少年が“白銀の刀使い”であることがわかるほど有名な刀である。勿論、この少年自身も有名であり、その二つ名を知らない者はいない。しかし、“白銀の刀使い”は顔を見せないことでも有名である。
『いつもフードを被り、決して顔を見せない』。彼のことを教えてくれたおじじ──村長からはそう聞いていたのだが。
「顔を見せても良いんですか?」
少女は不思議になって“白銀の刀使い”に問いた。“白銀の刀使い”は少し微笑んで答えてくれた。
「フードを被っていると怖がる子がいるから、たまに見せることはあるよ。口止めはしてるけどね」
「口止め、ですか?」
少女は問う。具体的にはどういうことなのだろう。
「うん。誰にも俺の特徴とか正体とかは話さないでほしい、ってね。顔が知られると街中が歩けなくなるから」
“白銀の刀使い”は有名かつ、大人気である。もし顔が知られてしまい、街中を歩くことがあれば……大混乱になることは間違いないだろう。それを想像するのは、全く難しくない。
「分かりました。貴方の正体は誰にも話しません」
「有難う。そう言ってくれると助かるよ」
“白銀の刀使い”は再び微笑むと少女にユリを渡し、フードを被った。
「念のため君を家まで送っていくよ」
「有難うございます!」
“白銀の刀使い”の優しい気遣いに、少女は嬉しくなり笑顔で立ち上がった。
「何処の村? それとも街?」
少女は彼に聞かれて、彼が少女の住んでいる村の名前も少女の名前も知らない事に気が付く。名もらぬ少だろう女を気遣う“白銀の刀使い”に、もともと高かった好感が益々上がった。
「アビン村です」
「分かった。……“転移”」
一瞬、足元に変な感覚がしてふらついてしまったが、少女は“白銀の刀使い”に支えられ転ばずに済んだ。
“転移”──。それは無属性の上級魔法の中でも難しい魔法であり、瞬時に行きたい場所に行ける便利な魔法である。
少女は驚く。なぜなら少女が顔を上げると、そこは見慣れた村の入口。
転移魔法は難易度がとても高いため使える者はそう多くはおらず、街中にはこの魔方陣が設置されていることはあるが、地方では滅多に見かけない。故にこの辺りではその存在を知っていても実際に体験している者は少ないのだ。少女が驚くのは無理も無いことなのである。
「ゴメン、先に転移するって言っておけば良かったね。大丈夫?」
「は、はい。大丈夫です」
“白銀の刀使い”の心配そうな問いに、少女は頷いた。フードで顔は見えないが雰囲気でわかるのだ。
「そう、良かった。じゃあ行こうか」
“白銀の刀使い”は少女に笑顔を見せて、二人は村へと入って行った。
だが──、少女を家まで送ろうとする“白銀の刀使い”を見た村人達の視線は、敵を睨むような殺気を含んだものであった。
「家、何処?」
付き刺さるようなそれを無視しているのか、“白銀の刀使い”は変わらぬ様子で少女に尋ねる。
「あ、こっちです」
二人が再び歩き始めると、先程から“白銀の刀使い”を睨みつけていた村人の内の数人の男が二人を取り囲んだ。──否、“白銀の刀使い”を取り囲んだのだ。
「誰だ、貴様!」
「余所者! 村から出ていけ!!」
彼が“白銀の刀使い”だとは露知らず、“白銀の刀使い”に乱暴に手をかけ無理矢理追い出そうとする男達。遠くから石を投げつけてくる者もいる。それが少女に当たりそうになり、身を強張らせると、“白銀の刀使い”はそれに気が付き、自分の後ろに少女を庇ってくれた。
「待って、待ってよ! その人は──」
「ナミ!!」
事情を説明しようとする少女の声は、 少女を呼ぶ母親の言葉に掻き消させられた。母親は少女を抱きしめ、キッと“白銀の刀使い”を睨みつけた。
──彼は“白銀の刀使いだ。そして、少女の恩人でもある。村人たちの彼に対する愚行を止めなければならない。しかし、自分の頭を優しく撫でてくれる母親の手を振り払うことは、少女にはできなかった。
「貴様! 名を名乗れ!!」
一人の男が叫ぶ。そこで漸く、“白銀の刀使い”が口を開いた。
「──俺は総帝、ギルド“月の光”零番隊隊長をしています“白銀の刀使い”と申します」
静かに名乗った“白銀の刀使い”。だが、村人達は更に殺気立つ。
「総帝様だと!? そんなわけ無いだろうが!!」
「そうだ! いかにも貧弱そうな体つきをした貴様ごときが総帝様を名乗るな!!」
「証拠はあるのか、証拠は!」
村人達は“白銀の刀使い”の言葉を、全く信用しなかったのだ。村人達が警戒するのは無理もない。この村は以前、ギルド隊員を装って侵入してきた盗賊に襲われたことがあった。あの時、もう少しでも本物のギルド隊員が駆けつけて来るのが遅くなっていたら、この村は今こうして存在していることもかなわなかったであろう。
あの戦いで少女も父親を失い、村人たちの警戒する態度は理解できなくもないのだ。
警戒心を剥き出しにする村人達に、“白銀の刀使い”は少し溜息を吐きだすと、は再び口を開いた。
「……【黒アゲハ】」
それは“白銀の刀使い”が【黒鳳蝶】を省略して呼ぶときの名──。“白銀の刀使い”の右手に、漆黒の長刀が呼び寄せられる。
少し反り返った刀身は、100cmほど。鞘と柄には揚羽蝶の刺繍があり、柄の尻から飾り玉のついた飾り紐が尾を引く。美しく儚く、それでいて威厳がある黒い刀。漆黒のそれは、何の変哲もない麗しいだけの魔武器のように見えるが、それから放たれる神々しいまでの『何か』に、村人たちは恐れ戦いた。
それはオーラと呼ぶべきものなのだろうか。見る者全てを魅了し目が離せなくなる一方で、直視してはいけないと本能が己の理性に訴えかけるような、そんな『何か』。
──戦いに無縁な村人にまで、唯一無二の存在であると見ただけで感じ取らせてしまうそれは、彼を“白銀の刀使い”だと証明するのには十分過ぎる代物であったのだ。
村人達は顔を青ざめさせ、一斉に跪ずいた。
「も、申し訳ありません!!」
村人らの声が空しく村に響き渡る。
「いえ……お気になさらないで下さい。よくあることで、馴れていますから」
“白銀の刀使い” は穏やかに告げた。それは怒っていないということを示すためであったのだろう。彼の纏う雰囲気は、先程から変化していない。
「こちらこそ突然訪問をお詫びいたします。この度はお騒がせして申し訳ありませんでした」
“白銀の刀使い”は深く頭を下げると、驚いてる村人を尻目に踵を返し、転移していった。
村に残ったのは少し気まずい空気。
「総帝様に申し訳ないことを……」
騒ぎを聞き付けて出て来た老年の村長が、額に手の平を当て崩れ落ちる。
“白銀の刀使い”はこの世で一番位の高い人物であり、またこの世で一番強い。もし、怒らせてしまったりしていたらと考えるだけでも、冷や汗がとまらなかった。“白銀の刀使い”がその気になれば、この村は一瞬にして塵と化すだろう。──それも、赤子の手を捻るが如く。
“白銀の刀使い”を睨みつけていた村人達も、石を投げつけてしまった村人たちも、顔を蒼白にしていた。
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説明不足な点がありましたらご指摘お願い致します。
☆魔法
属性について:
普通属性→火、水、雷、風、土、光、闇
それとは別に誰でも使用できる無属性が存在する。
難易度について:
初級、中級、上級、最上級、神級とある。それとは別に古代魔法と呼ばれる古の魔法も存在する。
“地獄の炎”<攻撃・火・中級>
対象の周りを炎で取囲み、周りから徐々に燃やしていく。
“パーフェクトヒール”<治癒・光・最上級>
淡い光が怪我を治癒する。大怪我でも大抵は治る。
“転移”<補助・無・上級上位>
好きな場所に瞬時に移動できるが、なれないと壁に埋まったり上空に転移してしまったりする危険な魔法。
☆魔物
中級魔人
人型の魔物。下級から最上級まで四段階あるうちの下から二番目の魔人。 人と同じような容姿であるが、その顔立ちは醜い。