1 試練
果てしなく広がる花畑。その中の一輪の花にすぎない自分がいる。
そこで咲いているのはただの偶然。
でも、そこで咲けた事が嬉しかった。
時々しか現れないが、その人がそこに来て、花を見てホッとするその一瞬の喜ぶ笑顔を見る事が出来たから。
自分だけを見ているのではないとは解っていても、必ずその場所で立ち止まり笑顔を見せてくれた。
その人の笑顔の為に咲いていたいと思えた。
でも、誰かがその笑顔を見る事を許してはくれなかった。
花であるがゆえに、誰かに散らされる。
笑顔を見ていたいだけだったのに・・・・・。
自分でその人の元へ行けたら・・・・・。
だからなのか、その人の元へ飛んでいける蝶に転生した。
あの人は?笑顔を見せてくれる?
寂しげに佇む姿を見つけた。
何故笑っていないの?何がそんなに悲しいの?
そう語りかけたくとも、その人にとって、私はただの蝶。
笑って!悲しい思いをしないで!そう思いながらその人の側で飛んでいる。
気づいてくれた?
笑顔を見る事ができた。
なのに・・・・・・。
蝶だから?再び誰かの手にかかり、無残に切り刻まれ、花だった時の様に、その身を散らされた。
「いや~~~!」
何度見ても慣れる事の出来ない夢。
辛い事があった時、嫌な事があった時。そんな時に決まってみる夢。
この所、毎日同じ夢ばかりみる。
それだけ自分におかれた状況が、切羽詰まっているという事なのかもしれない。
大学卒業間近ににして、就職が決まらず、身の振り方も決められずに、明日の生活の保障もない。
バイトで食いつないではきたが、それだけでは、この先どうなるかわからない。
どんなところでもいい。なんとか就職したい!今はそれだけだった。
「やばい!大学行かなきゃ」
就職が決まらないだけじゃなく、卒業の単位を落とされては、身も蓋もない。
夢の中の花の様に咲いていればいいわけでもなく。蝶の様に生きていればいいだけでもない。
人が生きるためには、努力をしなくては、自ら散ってしまうのだから。
切ない夢に感化されて、物思いに耽ってなどいられない。
そう自分を律して、大学に行く準備をしながら、厳しい現実をいきている事を実感していた。
依鈴御影は参っていた。
年も明けて、心機一転といいたいところなのだが、事態は最悪を通り越し、諦めともいうべき事態が好転する事はなく、卒業まで、後一カ月となっていた。
就職の為、申し込んだ先への面接に悉く断られ・・・ならまだしも!試験を受ける事も面接を受ける事も出来なかった。
事故で、会場に行けなかったり。
バスの故障で、足止めを食った挙句に、道に迷ったり。
地下鉄を利用すると、痴漢に遭った人の証言を頼まれたり、スリにあったり。スリにあった時は、未遂で済んだが、結局それも面接に行けず、スリを警察に引き渡すまで足止めされてしまった。
とにかく、試験会場や面接会場へいけないのだ。
悪と不の付く言葉の全てが、自分の元に集まった様な状況を味わっていた。
周囲の友人たちや、大学の先生までも、最近では声もかけてくれなくなっていた。
もともと、そんなに友人の多い方ではないし、そんなに目立つ存在でもない。
だが、此処まで不運と悪運に付きまとわれてしまっては、有名にならざるを得ない。
こそこそと陰口を言ってるのが解る。
就職活動をするまでは、普通に過ごし、受ければすぐに就職も決まるだろうといわれていた。
これまでが割に何事も無く、自分では順風満帆に過ごしてきた事もあり、この先もそうなのだろうと思っていたのだ。
他人から見れば、苦労の多かった人生と言われがちだが、本人はそうは思っていない。
乳児院、孤児院を渡り歩き、高校二年の時に、たまたま買った宝くじが当たって、それを機に、一人暮らしを始めた。
入試では苦労も無くすんなり合格したし、これまでもバイト先に恵まれ、これまでなんとかいろいろ切り詰めながら、生活してきた。
だがそれも後僅か、卒業を前ににっちもさっちもどうにもならない。
親も無く一人暮らしをする事で、どれほどのお金が必要なのか。全て計算して、卒業するまでなんとか持ちこたえていた。
就職さえ決まれば・・・・・・・。
「は~~~~~~~っ」
足蹴く通う大学の募集広告の前で、果てしないため息が漏れる。
どれもこれも見慣れた、募集期間の過ぎた物ばかりだった。
その時、ふわりと風邪が吹いた。
どこから吹いた風だったのか?それとも、自分のためいきだったのか?思考さえ回らなくなっていた。
風が、見慣れた募集広告を揺らす。
その時、ある広告の文字が御影の目に飛び込んできた。
期限切れの募集広告ばかりの貼られている下に、赤い紙での広告の”無期限”の文字!
「うそ!」
慌てて、隠れていた広告をめくり出す。
『留風探偵事務所・・・・・各種保険有り。住居提供!マジで?』
「御影・・・・・おい!御影!」
「え?あ・・・中森、何?」
中森隼人は、数少ない御影の友人と呼べる人物だった。というより、中森だけが友人だったかもしれない。
みんな、御影をよけて遠巻きにし、悪運が移るとか、不運に見舞われると声をかける事は愚か、挨拶もしない。
「何そんなに真剣に見てたんだ?」
「ねえ、これ・・・どう思う?」
「え?」
御影は、赤い紙に書かれた募集用紙を、中森に見せた。
中森はそれを受け取り、ちらりと目配せしただけで、短くため息をついた。
「お前さ・・・面接。ことごとく落ちたんだって?大丈夫か?」
中森は、御影に同情しているのだろうか?未だ就職も決まらず行くあてもない御影を心配しているのだろうか?
中森は、大学に入ってから御影に交際を申し込んできた唯一の男だった。
坊っちゃん風の、真面目な印象だった中森。
なんとなく勢いで言われたためか、その時は簡単にOKしてしまったが、付き合ってみると、育ちの違い。考え方の違い。お金の価値観の違いなどで、御影が負担に思うようになり、嫌いではなかったが、結局別れる事にしたのだ。
将来は、親の会社を継ぎ、就職活動という一般の人のする苦労はしなくてもいい立場の人間だ。
今でこそ、遊び人の様に振る舞ってはいるが、本当は純真で、優しく、意外と生真面目な今時珍しいというに値する人物だ。だからこそ、別れてからも友人で居られたのかもしれない。
身分差の様な事をひけらかしたりもしなかったし、これまでもそんな事を感じさせたことも無かった中森。なのに、こんな状況だからなのか、憐憫の目で見られた事が、情けなくもあり、寂しかった。
こんな思いをするなら、他の者たちと同じように、シカトされた方が増しだ。
「落ちたんじゃなくて、受けられなかったの!だから聞いてるんじゃない。この内容・・・もう決まってるのかな?悪くないと思わない?」
最後のプライドを振り絞って、明るく振る舞う御影。
再び、中森がその広告に目を向けるが、中森にはその赤い紙に何かが書いてある様には見えなかった。
ただの赤い紙というだけの物。それを真剣に見て、募集広告をみてくれという。
精神を病むほど切羽詰まっているのだろうか?
中森にとって、御影は大学に入って初めて話した相手であり、一目ぼれした相手だった。
別れを告げられても、御影を忘れる事などできなかった。だからこそ、友人のふりをして、女に弄ばれているふりをしてでも、御影の気をひいていたかった。
今でも忘れてはいない。好きなまま。ずっと変わっていない、あの頃も、今も。
だからこそ、最後の勇気を振り絞った。
「御影。おれ、留学する事にしたんだ」
唐突にそう言われても、御影は言葉が出てこなかった。
「・・・・・・・え?」
「留学。本気で会社を継ぐ事を考えてる。だから、留学して経営学とか勉強する気になったんだ」
「・・・・・・・・・そう」
「卒業式出るだろ?」
「うん」
御影は、思考回路が停止した。
「卒業式までお前が就職決まってなかったら・・・・・・・」
中森が言葉を詰まらせた。
「あ、今何時?やば!バイトの時間に遅れる。まだ後一カ月もあるのよ、縁起でもない事言わないで!じゃあね」
中森が何かを言いかけたその言葉を遮るように、御影は、中森から逃げるようにその場を後にしていた。
同情なんかされたくない!
と否定をしているが、御影は、中森がまだ自分の事を思ってくれている事を知っていた。
「御影。やっぱさ、お前じゃなきゃダメそうだ。諦めて俺と結婚してくれよ~」
女に振られるふりをしながら、ぼやく。
中森は誰とも真面目につきあった事はない。嘘をつけない性格だ。
何もかも解り合っているからこそ、そうはしたくなかった。
こんな時だからこそ、自分に負けたくなかった。
今、中森に何か甘い事を言われてしまったら、それに縋ってしまう。
中森だからそうしたくなってしまう。中森だからそうはなりたくない。
二つの相反する正直な気持ちが、御影の中で鬩ぎ合っていた。
御影の現状は、一向に明るい兆しが見えない。というよりは、事態はもっと切羽詰まっていた。
バイトの量を増やそうと、コンビニの店長に交渉しようと思った矢先・・・・・店長の方から、クビを言い渡された。
バイトではなく、正社員として2人決まったかららしい。
そこのコンビニで、社員募集しているなど聞いた事が無かった。知っていれば、自分がなっていた。
バイトだけしか雇わないと言っていた筈だが、本社からの派遣社員だから断れないのだと。
最後のバイトも今日で終わり。
僅かなバイト料は、一体いつまで凌げるのだろうか?
そして、アパートに帰宅をして、更なる試練が待っていた。
「ええ~・・・・・そんなあ~」
アパートの立ち退き宣告書。
6ヵ月分の家賃が払えない場合は・・・・というものだった。
到底今の御影にそんなお金はない。
期限は、大学の卒業式の次の日。
今すぐと言われないだけ増しなのかも知れないが、後一週間しかないのにどうすればいいのだろう。
以前のアパートの管理人だったのならば、こんな無茶な事は言ってこなかっただろうが、悪徳とも言われる業者に転売され、無理やり追い出された人もいた。
交渉するだけ、骨折りだろう。
マッチの灯程の灯りも見いだせない現状。
「はあ~~~~~~~っ。中森に、結婚してって言っちゃおうかな・・・・・・」
自分でも情けなくなるくらい、くだらない発言を口走っていた。
嫌いじゃない。きっとあいつとなら、友人のままの関係を保った夫婦のなれそうな気がする。
中森の両親も、暖かな人たちだ。
御影の育ちを知っても、見下す事はなかった。それどころか、頑張って生きてきた事を褒めてくれた。 だからこそ、そんな事を口走った自分が情けない。
奈落の底かと思えるほどに、自己嫌悪に陥った。
「もうやだ・・・花の様に、蝶の様に・・・散ってしまいたい~~~っ」
座りこんで、机に突っ伏し、暗闇で寒い部屋で、かばんの中身が散らばっていくのをボーっと眺めていた。
「・・・・・・あれなんだっけ?」
鞄の底に入っていた赤い紙。
ずっと忘れていた。大学で見つけた募集広告だった。
暗闇で、そこに書いていある文字が読める筈がないのに、なぜか広告が赤い事も、文字の内容も、ハッキリ解る。
それが不思議とは思わない程、御影は切羽詰まっていたのだ。
携帯に手を伸ばし、表示してある番号にプッシュした。その番号が、あり得ない番号である事に気づきもせずに・・・・・・・。