倍速で劇を演じさせるって、いったい何を考えてらっしゃるんですか?
「二時間の劇か……長すぎる。一時間で演じろ」
隣に座っていた私の婚約者は信じられないことを口にした。
私は子爵令嬢のルテア・フラン。
今日は婚約者である伯爵令息ハリス・ゼヒードとともに、ゼヒード家領内の劇場で演劇鑑賞の予定だった。
ところが、上演時間が二時間程度と知ったハリスは、無茶な注文を浴びせ始めたのだ。
「二時間も劇なんか見てられるか。一時間でやれ」
座長は当然受け入れられない。
「ま、待ってください! 無茶です! 二時間でやる劇を一時間でなんて……」
ハリスは前髪をかき上げながら言った。
「倍速で演じればいいだろ。そうすれば一時間で済む」
「ば、倍速……!?」
「いいから早く上演しろ。こうして話してる時間ももったいないんだ」
「わ、分かりました……!」
観客は私とハリス、他数人のゼヒード家関係者のみ。こんな状況だから、ハリスも堂々と要求を述べたのだろう。
まもなく劇が始まった。
俳優たちもプロだった。
早口で台詞を言い、時には場面を省略し、本来二時間ほどの劇を一時間で終わらせてみせた。
だけど、本来の面白さの半分も出せていないのは言うまでもないでしょうね。
よくこんな無茶を聞いてくれたと思う。
それなのに、ハリスは拍手すらしない。
「大して面白い劇でもなかったな。まあ、オチは分かったし、これで話題に出た時困ることはないな」
ハリスとしては劇を楽しむつもりは毛頭なく、おおまかなストーリーを知れればそれでよかったのだ。
私の中でハリスに対する不快感が膨れ上がる。
この人はいつもそうだった。
『これが流行りの小説か……長いな。オチだけ読めばいいか』
『長ったらしい音楽など聴いてられん。タイパが悪い』
『出来る限り、早く、短く。これが新世代の貴族の生き方なのさ』
ハリスはすでに嫡子として、領地経営に携わっており、その徹底した『タイパ主義』とでも言うべきやり方で、一応の成功を収めてきた。
しかし、私はこの件で完全に愛想が尽きた。
私はハリスに向かって言った。
「倍速で劇を演じさせるって、いったい何を考えてらっしゃるんですか?」
「何を? 私は無駄が嫌いなだけだ。二時間もだらだらと演劇を見る暇はない」
「暇がないんじゃなく、単に集中力や忍耐力が足りないんじゃないですか?」
「……なんだと」
ハリスが私を睨んでくる。
「過程を軽視し、すぐ結果を求めてしまうのは、貴族として重大な欠点です。今すぐ直した方がよろしいかと」
私としては、これぐらい強く言えば少しは目を覚ますはず、というつもりの忠告だった。
なのにハリスはあっさりと答える。
「私のやり方が気に入らないなら婚約破棄だ」
「……!」
「じゃあ、これでお別れだ。ルテア・フラン」
「分かりました。今までお世話になりました、ハリス様」
何事にも時間をかけたくない、実にこの男らしい婚約破棄だった。
***
結婚を間近に控えた令嬢から再び独り身になり、しばらくは次の動きをする気が起きなかった。
初めての婚約――いえ本来なら人生で婚約は一度きりの出来事のはずなのに、まさかの破談になってしまった。
人並みに落ち込み、悔しがり、自暴自棄になり、なかなか前を向くことができなかった。
だけど、私には立ち直る手段があった。こんな時は演劇鑑賞に限る。
元々私は演劇を観るのが好きで、だからこそハリスの所業が許せなかった部分もある。
少女が恋をする物語、陰謀渦巻く王国の物語、勇猛な騎士道物語、おふざけ一杯な物語、さまざまなものを観た。
私が好きなのは、劇だけでなく、劇が終わった後の余韻だ。
幕が閉じ、観客席から人が消え、誰もいなくなったあの空間がたまらなく好きなのだ。
これはハリスには一生かかっても分からない感覚だろう。話したところで「劇が終わったのにいつまでも客席に残るなんて時間の無駄だ」と言われただけでしょうね。
ある日、私は王都で劇を観た。
人形職人の女性と、絵描きの青年の恋物語。俳優らの演技はもちろん、かかる音楽、大道具や小道具まで一流の、素晴らしい作品だった。
挨拶が終わり、幕が下り、観客たちは次々に退席する。
だけど、私は残っていた。この余韻を味わうために。
誰もいなくなった席で、劇の内容を反芻する――この時間を堪能する。
かといって、ずっと残っていると劇場の人の迷惑になるから、程々にしないとね。
(そろそろ帰ろうかな……)
私が席を立つと、物音がした。
見ると、少し離れたところに私と同じように客席に残っていた人がいた。
私と同い年ぐらいの青年だった。
私は驚き、向こうも驚いている。
多分お互いに、
(劇が終わった後、いつまでも客席に残る人間が自分以外にもいたなんて……)
と思っていたに違いない。
金髪を自然な感じに整え、スマートな目鼻を持ち、穏やかな顔立ちの男性だった。
私たちは自然と名乗り合う。
「カナルと申します」
「ルテアと申します」
お互いにどこかの貴族だというのは察している。が、フルネームは必要なかった。
ゆっくりじっくりお互いを知ればいい。お互いにそんな風に感じていた。
劇場を出た後はカフェでゆっくりお茶をする。
今日の演劇の感想を話し合う。
「絵画と人形という二つの芸術が混じり合う脚本が本当に素敵でしたね……」
「うん。脚本家も芸術に造詣が深い人なのだろうと分かるよ」
「まさか、序盤のあの台詞が伏線になってるとはね」
「そうですよね。ここであの台詞が生かされるか、って驚きました!」
細かいところまでとことん語り合う。
劇を料理とするなら、私たちはライスの一粒も、スープの一滴も残さず、楽しむタイプ。
いくら話しても話題は尽きない。
非常に濃密で、とても楽しいひと時だった。
「ルテア……ぜひ、また会おう」
「はい、カナル様」
こうなるのは必然とさえ言えた。
たびたび会って、二人でデートを重ねる。
デートといっても、実にのんびりしたものだ。
観光地となった遺跡で、石碑をじっくりと眺める。
ベンチに座りながら、二人でゆっくり本を読む。
ピクニックにちょうどいい野原で、お弁当を食べながら雲を見つめる。
そして――劇場で、他のお客がいなくなるまで劇を堪能する。
いつしか私はカナル様が公爵令息カナル・ニアージュ様だと知った。
もちろん驚いたけど、それは二人でゆったり過ごす時間の副産物でしかなかった。
とにかく、カナル様と一緒にいる時間が楽しかった。それだけで十分だった。
一方で、こんなこともあった。
道ばたにある塀の上でふざけている子供が、危うくそこから落ちそうになった。
カナル様はすかさず動いて、子供をキャッチする。私も安堵する。
「カナル様、普段はのんびりしてらっしゃるのに、こういった時は素早いんですね」
「まあね。メリハリが大事だと思ってるから」
それはその通りだ。
貴族には即断即決を求められる場面も多く、カナル様はそれができる人だ。
ただし、それはただむやみに過程を省略したがるハリスとは似て非なるもの。カナル様は能力があるからこそ、のんびりもテキパキもできるのだ。
私はますますカナル様に好感を抱いた。
***
王城の庭園は、その一部が一般公開されている。
庭木は一流の庭師たちに手入れされており、その見事さは「一生に一度は訪れるべき」という格言もあるほどで、いつも観光客で賑わっている。
しかし、大半の人は流れ作業のように、どこか慌ただしく庭を見回っている。
庭園は広いし、仕方ない部分もある。
そんな中、私とカナル様は――
「この木、ずっと見ていられますね!」
「うん、この枝ぶりは見事だ……」
歩を止め、じっくりと庭園を見学していた。
庭園の主役ですらない一本の木に目を留めて、観察し、感想を述べ合う。これがまた楽しい。
そこへ作業着姿の庭師の老人がやってくる。
「お二人は先ほどから庭をよく見てくださっている。嬉しいことです」
私も笑顔で応じる。
「庭師の方が、よく手入れなされているのが分かります」
「ほっほ。これはありがたいことです」
ここでカナル様が目を見開く。
どうしたんだろうと思ったが、カナル様は驚くべき言葉を紡いだ。
「あ、あなたは……陛下!?」
老人が髭を触りながら笑む。
「おや……バレてしまったか。さすが、ニアージュ公の子息だ」
(陛下……!? この庭師のおじいさんが……!?)
庭師の老人はなんと国王陛下だった。
「私はこの国の王にして、この庭園の筆頭庭師を務めておる」
「そうだったんですか……」
私は目を丸くするしかない。
庭師の老人改め陛下はニヤリとした笑みを浮かべる。
「ちなみにこの庭をじっくり楽しめるカップルは、幸せになるというジンクスがある。君たちにも幸あらんことを祈っておるよ」
突然言われ、私たちは慌ててしまう。
「あ、あのっ……私たちは決してそういう仲では……!」
「え、ええ。ルテアとはまだ知り合ったばかりですし……」
「おや? これは私としたことが早合点したようだ。ハッハッハ……」
朗らかに笑う陛下をよそに、私たちは笑うどころではなかった。ごまかせないほど、頬が照ってしまっている。
しかし、この庭園での一件で、私たちは急速にお互いを意識するようになっていく。
***
程なくして、私の耳に驚くべきニュースが飛び込んでくる。
ゼヒード家の次期当主として期待されていたハリスが、廃嫡されたというのだ。
聞けば、婚約破棄騒動の後、ハリスはあのいきすぎたタイパ主義で色々やらかしていたという。
とにかく結果を出そうと思いつきで次々に施策を打ち出し、失敗を繰り返す。中には腰を据えて取り組めばものになりそうなアイディアもあったが、あの性格では無理だろう。私が指摘した集中力と忍耐力の欠如が露呈した形だった。
名家お抱えのダンスチームのダンスに「長い」とケチをつけ、不興を買ったこともあったみたい。
極めつけは、これまた思いつきで事業に乗り出すも、やはり失敗。しかも協力者と交わした契約書の確認不足で、その責は全てゼヒード家が負う形になってしまったという。丸見えの落とし穴に嵌まってしまったような実に間抜けな話だった。
『そんな……私は、私は出来る限り早く、短く生きてきたのに……! 無駄のない人生を歩んでいたはずなのに……!』
スピード重視の貴族だったハリスは、そのスピード感のまま貴族人生を駆け抜け、自らの手で終わらせる結果になってしまったわね。
さて、私はというと、カナル様とじっくりゆっくり愛を育んだ。
お互いの領地を行き来し、各地を旅行し、もしかすると私たちを見て「じれったい」と思った人もいたかもしれない。
だけど私たちには私たちのペースがある。焦る必要なんてない。これでよかった。
やがて、私はある場所に招待される。私たちが初めて出会ったあの劇場だ。
ただし、今日は劇を観るわけではない。
「どうしてもこの場所で言いたかったんだ」
カナル様の美しい青い瞳が私を映す。そして――
「どうか僕と婚約して欲しい」
私はすぐに返事をしない。
じらしているわけじゃない。少しでもこの瞬間のこの幸福感を満喫したかったから。
だから、私はこう言った。
「この余韻を……しばらく味わってもよろしいですか」
カナル様はにっこり笑う。
「もちろんだとも」
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。




