(武道家・武道有識者向け)虚実の操作の正体について
武道において、虚実の操作と呼ばれる技術があります。
これは、技をかける側の気持ちの問題で、相手がその技に反応できるかどうかが変わるという技術や理論の総称として用いられることが多い言葉だと思います。
有名なのは、松濤館流空手の中達也先生が披露した「受けられない手刀」とか、ジークンドーの石井東吾先生が元ボクシング世界チャンピオンに挑んだ「ミットにジャブを当てるゲーム」の技術とか、我流武道家の日野晃先生がテレビ番組で披露した「腕ごと抱えるように胴体をホールドされた時の抜け出し方」とかでしょうか。
他にも、心法だとか、気を消す技術だとか、起こりを消す技術だとか、最近開発された技法で言うと甲野善紀先生の「微振動」(※これは甲野先生本人は虚実の操作と称していないが、筆者は該当すると考える。理由は後書きにて記す)とか、まあ色んな呼ばれ方をされたり、細分化されたりしていると思います。
さて、こういう技術に共通するのはやはり、技を仕掛ける側の気持ちが、実際の身体の動きと乖離しなければならないということです。
例えば「腕ごと抱えるように胴体をホールドされた時の抜け出し方」だったら、例えば右腕を抜いて脱出するのだとすると、「左腕を動かすぞ!」ということしか考えずに右腕を動かさなければならないのです。
右腕のことは忘れて、「この左腕で、今からどうにか振りほどいてやる…!」という気持ちの中で、「あれ!?何故か体が勝手に動いて、右腕が抜けちゃったあ!」という感じで、抜いたというよりは、不本意にも抜けてしまったという風にならなければ成立しないのです。
しかし、一見するとこれは理論上不可能っぽく思えますよね?
いくらそういう気持ちを捨てようとしても、実際脳から腕などの運動器官には電気信号が送られている訳ですから、結局は自分の意思じゃないかと思いますよね?
しかし、こういう技は確かに実在し、成立します。
では、相手は何故反応できなくなるのか。何故、心と身体の動きを乖離させることができるのか。そもそも相手は、普通ならば何を読み取っていて、それが読み取れなくなると反応できなくなるという訳なのか。
これは、そういう謎について考察していく随筆です。
武道に興味のある人だけ読んでみてください。
まず、今のところ立てている考察の結論から言います。
虚実の操作とは、脳から身体への電気信号による運動指令の制御ではありません。
それとは別に、脳が作り出す動きのイメージや、その動きをした結果として招かれる事態についてのイメージを、その脳自身が観測することによって起こる反応を、制御する技術こそが虚実の操作なのだろうと考えます。
虚実の操作について、よく疑問視される点があります。
虚実の操作の理屈を大雑把に説明しようとすると、「心と身体の動きを乖離させれば、相手はこちらの心にばかり反応して、身体の動きには反応できない」というような説明になります。
しかしこれだと、相手に自分の心を読む能力があることが前提となっていますよね。
「メンタリストならばいざ知らず、相手の心なんて誰しもが読める訳じゃないんだから、その技は万人に通用するものなのか?」という疑問が、ここで生じる訳です。
しかし、よく考えてみてください。
そもそも、心なんて読める訳が無いじゃないですか。
メンタリストだって、心を読んでいるのではありません。
相手の心の反応に伴う、身体の反応(目の動き、口角の動き、手の動きなど)を読んで、そこから相手の意思を大まかに確率論で(つまり科学的に)類推しているだけです。
ならば、闘っている最中に読んでいるものも同じでしょう。
相手の心ではなく、身体を読んでいる。そしてその身体の情報から相手の意思を類推する。
まずはこれが前提であって、問題は身体の何を読んでいるのかという点ですけれども……これを「心に対する身体の反応だ」と考える理由は、後で説明します。
そして、メンタリストはしばしば、トランプでどれが何のカードかを当てるという風に、相手の"認識"に関することを言い当てますよね?
「まず本当はここにジョーカーがあるが、こう嘘を吐いて騙してやろう、そしてここは本当のことを言っておこう、すると相手はこう考えるだろう」と、自分の認識を操作してこようとする相手の意思というものを、当てますよね。
つまるところ、言い当てる対象は気持ちや意思です。
だから素人には、どうやって読めば良いのかわからない。身体から間接的に気持ちを読む方法を知らないから、「そんな目に見えないものは読めないよ!」となってしまっても無理は無い。
しかし、戦っている最中に相手を観察している時には、相手の"身体の動き"を予測しようとするものです。だから素人でも誰でも、「相手の身体を見れば良いんだな」ということはわかるから、相手の身体の動きを見るのです。
そして先程言ったように、心を読もうとしたり、何をするつもりなのかという意思を読もうとしたりする時、本当に読んでいるのは心そのものではなく、その心に身体が反応したり連動したりしている様子なのだとすれば。
身体を読めば、心を読めるのならば。
大抵の人は、戦っている相手の心を、少なくとも大雑把には読めるということになる訳です。
ましてやその「心」の内容も、「身体をこう動かすぞ」という意識ですから、そりゃあ身体がダイレクトにその内心を物語りますよ。
ならば、格闘している相手の心を読むことは、ほんの少しくらいの大雑把で単純な情報を読むだけで良いのなら、どこかのタイミングで殆どの人間にできることなのです。
否、できるというより、それは無意識に無自覚に読んでしまうと言ったほうが正確でしょう。「読まない」とか「無視する」っていうことのほうが高等技術ですから。
例えば自分が素人だったとしても、「この相手は今から右手で殴ろうとしてくるんだな」というくらいのことだったら、相手が素人ならば殴りかかってくる直前に察知できる筈です。だから、まだ拳を繰り出してきていないうちから、ビビってしまったり怯んでしまったり、手で相手を抑えようとしたりと、何かしらの反応をしてしまうのですよ。
まあ中国武術的に言うと、それは心というよりは、意とか気とかを読んでいるということなんですけどね。
一度整理しましょう。
人は皆、相手の心を読んでいるのではなく、相手の身体を読んでいます。もっと言えば、相手の心に対する、相手自身の身体の反応を読むことで、相手の動きを予測して対処しようとするのです。
だからその応用で、自分のそれを読まれないようにすれば、自分の動きが相手に反応されにくくなる。
つまり虚実の操作、特に虚を作り出す技術とは、自分の動きや自分が起こそうとしている事象をイメージするのを一切やめてしまう(大抵、別の動作を意識してその動作に実を作ることで実現する)ことで、そのイメージに対する自分の身体の反応が起こらないようにする技術なのだと、僕は考えます。
因みにですが、「身体の反応」というのが具体的にどんな反応なのかという話は、場合によるという以前に、まず細かすぎて説明しても伝わらないと思います。
と言うか、こういう技術が使える人にも、あるいはやられたことがある人にも、言葉では説明できないことが多いと思います。
実際には、身体のどこがどう動いて、どこがどんな姿勢になって……という微細かつ無数の情報の組み合わせのパターンによって、脳が「こいつは今からこの動きをしてくるつもりだ!」と予測しているのでしょうが、その微細かつ無数の動きや姿勢のパターンを具体的に言語化するのは困難ですし、長くなりますし、言われても理解しにくいでしょう。
一例を言いますと、これは僕が体軸の研究をしていて気付いたことなのですが、人間は「今からこの相手に飛びかかって、タックルでもパンチでも繰り出してやる…!」という気持ちを持つと、腰椎を丸めるための力(小腰筋の力)が入り、元々反っていた腰椎が真っ直ぐになるのです。
それと共に、大腿四頭筋や大臀筋などの筋肉が、いつでも収縮できるような準備状態に移行します。
これは中国武術的な表現では「脚に気が巡った状態」とも言い、つまり脚力を発揮しやすく、また脚力を腕に伝えやすいような構造を、腰椎に作っているという状態です。
そしてこの形を相手が見た瞬間、相手には「今にも飛びかかってきそうだ、こいつは今から飛びかかってくる気だ」と感じられるのです。
こう感じるようなことを「心を読んだ」と表現しているに過ぎないのですが……さて。
こんな説明を受けただけでは、ピンとこないでしょう?
実際にやってみるかやられてみるかして、初めて感覚的に「おお、確かにそうなるな」「うわー、これは確かに今にも飛びかかってきそうだな」と感じるだけなのです。
それは感じている本人からすれば当たり前のことで、「だって、なんかそういう感じがするじゃん!見ればわかるじゃん!」としか説明できず(素人でも、見ればわかることが多い)、「心を読む」なんて大仰な言い方をするような特別な能力ではないように自覚するのですが、それを「心を読む」などと超能力風に言ってしまうから誤解が生まれるんでしょうね。
そんな、言語化の難しさがある話なんです。
話を戻します。
それではそろそろ、先程から言っている「自分の心に対する自分の身体の反応が、相手に読まれるものの正体だ」という主張の根拠を説明しましょう。
ここで、生理学者のベンジャミン・リベット氏が提唱した、「自由意志など存在しないのではないか」という学説を紹介します。
この話は界隈で有名ですが、詳しく、そしてわかりやすい説明を聞きたい方には、個人的にはYouTubeの
「なぜ自由意志は存在しないのか【ゆっくり解説】」
という動画を最初から最後まで飛ばさずに視聴することをおすすめします。
ある実験でリベット氏は、人が動こうとする気持ちと、動くための肉体の機能について、そのタイミングの関係を測定しました。
肉体の機能というのは、実際に筋肉が動いたり、筋肉を動かすための電気信号を脳がいつでも発信できる状態を作ろうとする現象である「準備電位」を生じたりする機能のことです。
[ここで、脳のことも「肉体」と扱い、「気持ち」とは別物として扱っていることについては、クオリア(感覚質)に関する観念や知見が根拠となっており、これもこれで虚実の操作の話と繋がってくるのですが、説明すると長くなるのでここでは割愛します。]
なんとこの実験の結果では、動こうとする意識や気持ちよりも、準備電位のほうが、平均して0.3秒も早く発生するという結果が出たのです。
被験者が「手を動かす!」と思った時(意思決定した時)、既に脳は手を動かすための準備を終わらせていたのです。プロ○ュート兄貴のあの台詞は、実は厳密に言うと特別ではないのかも知れないということがわかりました……いや、まあ、その時点ではまだ筋肉は動いていないんですけどね。筋肉が動くのは、意思決定から更に0.2秒後なので。
クオリアの研究でもそう言われたりしますが、この事実からリベット氏は、人間の「こうするぞ」「これをやるぞ」という意思というものは、本当は自分が既にやろうとしている動きの後付けの理由付けに過ぎないのではないか、人間に真の意味での自由意思など無いのではないかという説を提唱しました。
つまり。
人が身体を動かそうとした時、その「動こう」という意思や気持ちは、身体の動きの原因ではなく、むしろ身体の動き(を実行しようとする脳の働き)の結果であって。
動作を出力した自分の脳に対する、自分自身の反応なのではないか……と、説いているようなものです。
このことから、僕は虚実の操作において疑問視される、「自分の気持ちと実際の動きを乖離させることが可能である理屈」について、次のようにまとめます。
自分の身体の動きを決めているものは、脳の準備電位であって、気持ちではありません。準備電位と気持ちは違うもので、気持ちとは準備電位に対する自分自身の反応なのです。
恐らく、脳から運動器官に出力される電気信号などは、どんな人間であっても同様に、読み取ることは不可能でしょう。超能力でも無ければ無理ですよそんなの。
しかし、何か相手に技をかけようとした時、その自分の動きや力のかけ方というものを意識してしまうと、「今から自分はこの技をかけるぞ」「今から自分はこんな動きをするぞ」「すると自分はこうなって、相手はこうなるだろう」というようなイメージを持ってしまい、そのイメージを自分で観測してしまうことで、それに対する何らかの反応が生じるのだと思います。
ならばメンタリストのように、相手はその反応を自然に無意識に読み取るのでしょう。そしてそこからこちらの行動を類推して、反応してくるということなのではないかと、僕は考察します。
因みに、じゃあ身体を動かすための準備電位を、身体を合理的に動かすための作為をもって発生させているものは何なのか、本当に自分の行動を決定しているものは何なのか、という疑問が生じるかも知れませんが、その正体は実に機械的なものです。
それは、その時点でわかる状況や認識や感覚や記憶や知識などの情報、即ち「刺激」に対する、根源的な欲求や本能による「反応」です。
皮肉と言うべきか奇遇と言うべきか、これを中国武術の世界では「心」と呼ぶんですよね。
「微振動」の技術について。
甲野先生は剣を使ったデモンストレーションをしていたので、それを例にお話しします。
まず剣を挙げるように構えたところから、剣を前に振ったり後ろに振ったりする往復運動を繰り返すような動きをイメージしてみてください。
で、この動きをどんどん小さくしていって、最終的にめちゃくちゃ小刻みな動きになるまで小さくしていった動きをイメージしてみてください。
この微細な振動をした状態から剣を振ると、相手は反応できない……という技術なのですが、しかしこれは普通にやっても反応されます。
これが虚実の操作たる所以は、その振動をさせる時の意識(虚実で言うところの実)が、「動かす」というところにあるのではなく、「止める」というところにあるという点です。
さっきは「剣を前に動かしたり後ろに動かしたりする往復運動」とは言いましたが、それは傍から見た時の見え方に過ぎず、やっている側からすると「前に動く剣を止めたり、後ろに動く剣を止めたりする停止の連続」という感覚なのです。
「前に動かす、後ろに動かす」の繰り返しではなく、「前に止める、後ろに止める」の繰り返しなんです。
そして、ここで突然「止める」のをやめてしまえば、理の当然として剣は動くのですが、そこに「動かそう」という意識が全く無く、ただ「動作をやめよう」という意識があるだけなので、相手は虚を突かれて反応できないという理屈です。
ところで虚実の操作について、「ずっと虚のままで技を繰り出すよりも、最初は実で、技を繰り出す瞬間に虚になるほうが、相手は反応しにくい」という法則がある(参照:中達也先生)のですが、この微振動はそれを図らずも実現できるという、何とも画期的な技法だと思います。
まあ、「図って」しまったら、それは実になってしまうから反応されてしまうんですけれどね。




