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華やぐ浪費家の義母様へ。この「借用書」の持ち主が私だと気づく頃、貴女は私の使用人です  作者: jnkjnk


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第4話:新たなる契約

早朝五時。まだ太陽も顔を出さない薄暗い刻。

バルトン子爵邸の屋根裏部屋に、無機質なベルの音が鳴り響いた。

かつては物置として使われていたその狭い部屋には、隙間風が容赦なく吹き込んでいる。薄い毛布にくるまって震えていた三つの影が、その音に弾かれたように飛び起きた。


「……ああ、また朝が来たのね。悪夢なら覚めてほしいわ」


掠れた声で呟いたのは、義母ベアトリスだ。

彼女の自慢だった艶やかな髪は、今や手入れもされずにパサつき、無造作にひっ詰められている。高級な化粧品で塗り固められていた肌は、過労と寝不足で土気色に沈んでいた。


「お母様、早く起きてください。遅れると、また『減給』されますわよ」


隣で着替え始めたのは、義姉のクララだ。彼女が身につけるのは、流行のドレスではなく、装飾の一切ない質素なメイド服。かつて彼女が「雑巾みたい」と嘲笑っていた使用人の制服そのものだった。

そして、部屋の隅で重い体を起こしたのは、夫だったテオドール。彼の手には、絵筆ではなくモップが握られている。


「……体が痛い。こんな生活、いつまで続くんだ」

「いつまでって、借金を返し終わるまでよ。……計算上、あと百五十年かかるそうだけど」


クララが吐き捨てるように言った。その瞳からは、かつての覇気は完全に消え失せ、あるのは諦めと恐怖だけだ。

彼らは知っているのだ。この屋敷の新しい主人が、時間と規律にどれほど厳しいかを。


一ヶ月前、あの破滅の夜会の後、彼らは一度屋敷を追い出されかけた。

行く当てなどない彼らが泣きついた先で、私が提示したのは「住み込みでの労働契約」だった。

ただし、その条件は過酷だ。労働基準法など存在しない裏社会のルールの下、彼らは私の所有物として働くことになったのだから。


ベルが二度鳴った。仕事開始の合図だ。

三人は慌てて部屋を飛び出し、階段を駆け下りていった。


***


私は、かつて義母が独占していた主寝室の天蓋付きベッドで、優雅に目を覚ました。

絹のシーツの感触を肌で楽しみながら、枕元のベルを鳴らす。

すぐに扉がノックされ、セバスチャンが入ってきた。


「おはようございます、マダム。本日のスケジュールですが、午前中は王都商工会議所の理事たちとの会合、午後は東方貿易の視察となっております」

「ありがとう、セバスチャン。……彼らの様子は?」

「はい。皆様、勤勉に働いておりますよ。特に元・大奥様は、床磨きの腕を上げられたようです」


セバスチャンが意地の悪い笑みを浮かべる。

私はベッドから降り、彼が差し出したガウンを羽織った。

窓の外には、私の指示で手入れされた美しい庭園が広がっている。以前は荒れ放題だった庭も、今は幾何学模様に刈り込まれ、一分の隙もない。

この屋敷は今や、私の裏稼業「銀の未亡人」の表向きの本部として機能していた。

無駄な装飾は排除され、機能的かつ洗練された空間へと生まれ変わったのだ。


着替えを済ませ、私は一階のホールへと向かった。

カツ、カツ、と私のヒールの音が廊下に響くと、空気の密度が変わるのがわかる。


ホールでは、ベアトリスが四つん這いになって床を磨いていた。

冷たい大理石の床に膝をつき、荒れた手で雑巾を動かしている。

一ヶ月前、彼女が私の頭から紅茶を浴びせたあの場所だ。


「……おはよう、ベアトリス」


私が声をかけると、彼女はビクリと肩を震わせ、慌てて立ち上がろうとして足を滑らせた。無様に尻餅をつくその姿に、かつての子爵夫人の威厳はない。


「お、おはようございます……奥様」


彼女は震える声でそう言い、深々と頭を下げた。

「奥様」。そう呼ばせることは、契約の一つだ。かつて私を「卑しい商人の娘」と呼んだ口で、私を主人として崇めさせる。


「ここの輝きが足りなくてよ。朝日が反射した時、私の靴が映り込むくらいに磨きなさいと言ったはずです」

「も、申し訳ありません! すぐにやり直します!」

「口を動かす前に手を動かして。……それと、今日の午後、大切なお客様がいらっしゃるの。粗相のないようにね」


私は冷ややかに言い放ち、その場を去った。

背後で、必死に雑巾を動かす音が聞こえてくる。シュッ、シュッという摩擦音が、私にとっては心地よいBGMだった。


食堂に入ると、テオドールが配膳の準備をしていた。

彼は今、屋敷の雑用兼、私の事業の末端の経理事務をやらされている。

芸術家気取りで「金のことなど分からない」と言っていた男に、一日中数字と向き合わせる。これ以上の皮肉はないだろう。


「エリーゼ……あ、いや、奥様。朝食の準備が整いました」

「テオドール。昨日の帳簿、見ましたよ」


私が席に着くと、彼は青ざめた顔で直立した。


「計算ミスが三箇所ありました。あれほど複式簿記の基礎を教えたはずですけれど? あなたのその芸術的な脳みそは、足し算引き算もできないのかしら」

「す、すまない……。数字を見ていると、目が回ってしまって……」

「言い訳は結構。ミスのペナルティとして、今月のあなたの小遣い――と言っても、スズメの涙ほどですけれど――から差し引いておきますから」

「そ、そんな……! ただでさえ、絵の具も買えないのに!」

「絵の具? 買う必要などありまして? あなたに絵を描く時間などないはずですよ」


私はナプキンを膝に広げながら、冷酷に告げた。

彼から「描くこと」と「逃げること」を奪う。現実という名の檻に閉じ込め、直視させる。それが彼への罰だ。


「……はい。仰る通りです」


テオドールは力なく項垂れ、私のカップにコーヒーを注いだ。

その手つきは危なっかしいが、一ヶ月前よりはマシになっている。

人間、追い詰められれば学習するものだ。


朝食を終えると、私は執務室へと向かった。

そこはかつてテオドールのアトリエだった離れだ。今は私の司令室として改装され、壁一面の本棚には世界中の経済書と帳簿が並んでいる。

机の上には、山のような決裁書類。

私は革張りの椅子に深く腰掛け、次々と書類にサインをしていく。

貿易取引の承認、新規事業の立ち上げ、そして貴族たちへの貸付金の回収計画。

私が動かす金の桁は、バルトン家が全盛期だった頃の十倍にも達している。


「失礼します」


ノックと共に、クララが入ってきた。彼女の手には、洗濯物を入れた大きな籠が抱えられている。重さに耐えかねて腕が震えているのが見て取れた。


「奥様、シーツの洗濯が終わりました。……あの、ご相談があるのですが」

「手短に。私の時間は高いわよ」

「その……私の爪が、割れてしまって。ハンドクリームを買いたいので、少し前借りをさせていただけないかと」


クララが差し出した手は、かつての白魚のような手ではなく、赤切れだらけの荒れた手だった。水仕事の過酷さを物語っている。


「前借り? あなた、自分の借金の残高を理解していて?」


私は引き出しから一冊の分厚い台帳を取り出し、机の上に放り投げた。

ドサリ、と重い音がする。


「現在、あなた個人に割り当てられた債務だけで、金貨三千枚。これまでの労働で返済できたのは、わずか金貨五枚分です。利息の方が遥かに多いのよ。この状況で、さらに借金を増やすつもり?」

「で、でも! 指が痛くて、これじゃ仕事が……」

「なら、工夫なさい。痛みを堪えて効率を上げるか、あるいは夜中に内職でもして小銭を稼ぐか。……甘ったれるのもいい加減にしなさい」


私の鋭い視線に射抜かれ、クララは涙目になって口をつぐんだ。

彼女は自分が置かれている立場を、まだどこかで「一時的な不幸」だと思っている節がある。

違う。これは日常なのだ。そして、一生続く現実なのだ。


「下がりなさい。次に私の手を煩わせたら、食事を抜きますよ」

「……はい。失礼いたしました」


クララは逃げるように部屋を出て行った。

扉が閉まると、私はふう、と息をついた。

可哀想だと思う心など、とうの昔に捨てた。

彼女たちが私にした仕打ち。心を殺して耐えた日々。それを思えば、衣食住を与えているだけ、私は慈悲深い女神と言えるだろう。


午後。

屋敷の前には、数台の豪華な馬車が止まっていた。

今日のお客様は、かつて義母が懇意にしていた――そして義母を唆して散財させていた――貴婦人たちだ。

彼女たちは「バルトン家の新しい女主人」に挨拶をするという名目で、落ちぶれたベアトリスの様子を見物に来たのだ。悪趣味なことだが、私にとっては都合の良い宣伝材料である。


サロンには、最高級の調度品が整えられている。かつての義母のセンスの悪いコレクションはすべて処分し、私の美学に基づいたシックで洗練された空間だ。


「まあ、エリーゼ様! 噂には聞いておりましたけれど、素晴らしい改装ですこと!」

「『銀の未亡人』としての手腕、社交界でも持ちきりですわよ」


扇子を持った貴婦人たちが、媚びへつらうような笑顔で私を取り囲む。

一ヶ月前までは、私を「地味な嫁」と無視していた連中だ。金と権力を持つ者が変われば、態度などこうも簡単に変わる。


「皆様、ようこそお越しくださいました。粗茶ですが、ご用意させております」


私がベルを鳴らすと、扉が開き、メイド服姿のベアトリスがお盆を持って入ってきた。

その瞬間、サロンの空気が凍りついたように静まり返り、やがてクスクスという嘲笑のさざ波が広がった。


「あら……あれ、ベアトリス様じゃなくて?」

「まあ、本当にメイドになられたのね」

「あのプライドの高かった方が、お給仕なんて。傑作だわ」


聞こえるか聞こえないかのギリギリの声量で交わされる悪意。

ベアトリスの顔は真っ赤に染まり、持つ手がガタガタと震えている。

屈辱。

かつての友人たちに見下され、あまつさえ使用人として茶を出す。これ以上の地獄はないだろう。


ベアトリスが私の前に来た。

震える手で、ティーカップをソーサーに置く。

カチャカチャと音が鳴り、紅茶が僅かにソーサーにこぼれた。


「……失礼いたしました」


蚊の鳴くような声で謝罪し、彼女は逃げるように下がろうとした。


「待ちなさい、ベアトリス」


私は彼女を呼び止めた。

そして、優雅な動作でカップを持ち上げ、一口すすった。


「……」


私は無言でカップをソーサーに戻した。

その音は、サロン全体に響くほど冷たく、鋭い。


「お茶がぬるくてよ?」


私は静かに、しかしはっきりと言った。

ベアトリスが息を飲む。


「申し訳ありません! すぐに淹れ直します!」

「以前、あなたは私に熱い紅茶を浴びせましたわね。……温度管理もできないメイドなど、この屋敷には不要です」


私は貴婦人たちに向かって微笑みかけた。


「お恥ずかしいところをお見せしました。使用人の教育が行き届いていないようで。……ベアトリス、下がって新しいものを。今度は完璧な温度でね。95度よ。一度でも温度計を見逃せば、分かっているわね?」

「は、はい……! 直ちに!」


ベアトリスは涙を流しながら、転がるようにして部屋を出て行った。

その背中を見送りながら、貴婦人たちは扇子で口元を隠し、「厳しいのね」「でも、あれくらい躾けないと」と囁き合っている。


私は知っている。

彼女たちが私を恐れていることを。

そして、この光景が王都中に広まり、「バルトン家のエリーゼには逆らうな」という教訓となることを。


その後、サロンでの会話は私の独壇場だった。

新しい貿易ルートの話、投資の勧誘。貴婦人たちは私の言葉に熱心に耳を傾け、次々と出資の契約を結んでいった。

かつて義母が浪費のために開いていたサロンは、今や私が富を築くための集金システムへと変貌を遂げたのだ。


夕暮れ時。

客たちが帰り、屋敷に静寂が戻った。

私はテラスに出て、沈みゆく夕日を眺めていた。

オレンジ色の光が、広大な庭園を染め上げている。


「お疲れ様でした、マダム」


セバスチャンが背後からショールを掛けてくれた。


「本日の収支報告です。……サロンでの出資契約だけで、元・大奥様の借金の元本を上回る利益が出ております」

「そう。悪くないわね」

「……そろそろ、彼らを解放して差し上げてもよろしいのでは? 借金は形式上、相殺できたとも言えますが」


セバスチャンの問いかけに、私はゆっくりと首を横に振った。


「いいえ。契約は契約よ」


私は庭の片隅で、まだ草むしりを続けている三人の影を見下ろした。

彼らは泥まみれになりながら、黙々と手を動かしている。


「彼らを世間に放り出したところで、生きてはいけないわ。プライドだけで中身のない彼らは、野垂れ死ぬのがオチよ。……ここで死ぬまで働かせてあげるのが、私なりの慈悲というものよ」

「ふっ……。マダムの『慈悲』は、相変わらず手厳しい」

「それにね、セバスチャン」


私は手すりに寄りかかり、遠くを見つめた。


「復讐というのは、相手を殺すことでも、追放することでもないわ。相手を生かしたまま、その魂を支配すること。……毎日、毎時間、自分の愚かさを噛み締めさせながら、私のために利益を生み出させる。これ以上の『ざまぁ』があって?」


かつて、このテラスで義母は私を見下し、こう言った。「商人の娘風情が」と。

今、その場所に立っているのは私だ。

そして彼女は、私の足元で泥を啜っている。

この逆転の構図こそが、私が欲しかった宝石よりも価値のある戦利品なのだ。


「お茶の時間よ、セバスチャン。……今度は、ベアトリスに最高級の茶葉を使わせてちょうだい。彼女が一生口にすることのできない、香りを嗅ぐことしか許されない、あのお茶を」

「承知いたしました。……本当に、マダムには敵いませんな」


セバスチャンが一礼して下がると、私は一人、風の中に佇んだ。

心地よい風が、私の頬を撫でる。

自由だ。

誰にも縛られず、誰にも媚びず、自分の力で勝ち取った自由と権力。


私はふと、ポケットから銀色の仮面を取り出した。

夕日に照らされ、鈍く輝くその仮面。

「銀の未亡人」としての顔は、これからも必要だ。この屋敷を守り、さらに高みへと登り詰めるために。


「さあ、明日も忙しくなるわよ。……私の可愛い使用人たち」


私は口元に、誰にも見せることのない冷酷で、とびきり美しい笑みを浮かべた。

屋敷のどこかで、夕食の準備を告げる鐘が鳴る。

その音は以前のような憂鬱な響きではなく、私の王国を統べる凱旋のファンファーレのように、高らかに響き渡っていた。

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