断水
「ん? ここはどこだ?」
目覚めると俺はどこかの部屋にいた。辺りを見回してみると見知らぬ男女がいた。そのふたりは離れ離れになってうつむいている。
部屋の真ん中にはテーブルが置いてあり、そのテーブルの中心にコップが一個置いてあった。
コップには透明な液体が注いである。水か? と俺は思った。
ふたりのどちらかに声をかけようとしたが、よく見ると、ふたりとも隅に座っていて生気をなくしたように眠っていた。
どうやってここに来たのか? いままでどうやって生きてきたのか? 思い出そうとしたが、ふしぎなことに思い出せなかった。
部屋には窓はなく、あるのはひとつのドアだけ。
とにかくここを出たかった俺はそのドアから外へ出よとした。だが、鍵が掛けられていた。
いまの自分の状況がなんとなくわかってくると、とたんに喉が渇き始めた。ふいにコップに目が行く。
この部屋がなんだか暑いことに気がついた。夏の日に冷房をつけずにいると汗が出てくるような、そんな暑さ。
俺は自然にコップへと近寄る。
「やめろ」
男の声がした。声のしたほうへ振り向くと、その男は立ち上がった。
「えっ?」
「そのコップに入っている水を飲むな」
「みず?」
「それは罠だ」
「罠って?」
「毒が盛られているってことさ」
「え? どく?」
「ああ、だから飲むなよ」
そう言って男はまた座った。俺は知りたかったことを彼にたずねてみた。
「あのう、ここはどこですか?」
「……わからない」
「わからない?」
「ああ、目が覚めたらここにいたんだ」
「あの、あそこにいる女の人は誰ですか?」
「知らない。俺が目を覚ましたときから、ああやって座っている。あんたも同じ、そこに座って寝ていた」
「えっと、あの、どうして毒だってわかるんですか?」
「喉が渇いてその水を飲もうとしたが、嫌な予感がして……」
「嘘よ!」と女の声がした。振り向くと女の人は立っており、そして指を男に向けた。
「その男は嘘をついているわ」
それを言われた男は黙っていられずに言い返した。
「へえー、俺が嘘をついているだって。なぜ嘘をつく?」
「その水はただの水なのよ。わたしたちにその水を飲ませないために言っていることだわ」
「じゃあ飲んでみろよ」
女はコップへと近づいた。ためらいがちにちらちらと俺と男のほうを交互に見ている。
女がコップに手をふれようとしたとき、俺はたまらず止めた。
「ちょっと待って!」
「え?」
「本当に毒が入っているかもしれないし、それより、ここを出ない? なんとかして」
俺はふたりを交互に見た。ふたりはドアに視線を送る。
「出れないわ」と女が言った。
「でも、なにか方法がありませんか?」
「なにがあるって言うの? この部屋は密室。置いてあるのはテーブル一台に水の入ったコップだけ。それだけだわ」
……部屋が暑い。さっきよりもはるかに暑さを感じる。額から汗がぽたぽたと落ち始める。
「それでも、わかるでしょ? この部屋がだんだん暑くなってるって」
「ええ、わかるわよ」
そう言いながら彼女は額の汗を手で拭うが、また次の汗がふき出してくる。
どんよりとした部屋。すべてを溶かすような熱波めいたものがこの部屋の中に存在し、際限なく部屋を暑くしていく。
「あつい、あつい、あつい」
男は立ち上がりコップを手に取りそのまま口に持っていこうとした。すると、女がそれを阻止するように、彼の手からコップを取り上げた。
「あんた、これを飲もうとしていたわね。やっぱりただの水なんだわ!」
女はコップを口に持っていく。彼女が水を飲もうとしているのが目に映る。俺は彼女に水を飲ませてはいけないと思い、水をうばいに行った。
それは俺の意思とは関係なく体が勝手に動いていた。
女から水を取り上げる。が、彼女は放そうとしない。するとそこへ男が割り込んできた。
俺たちは水の入ったコップを必死に取り合った。誰かの爪で誰かの手が傷つき血が流れ出るが、それも気にせず取り合った。
「あっ!」
水の入ったコップは誰の手にも止まらず宙を舞い地面に落下する――。
……ん? また目が覚めた。
周りを見ると自分の部屋にいた。どうやら夢だったようだ。嫌な夢を見た。寝汗がひどい。
口の中が渇いている。なにか飲物を冷蔵庫に取りに行った。だが、飲物はひとつもなかった。仕方なく蛇口をひねる。
「あれ?」
水が出ない。回しても回しても水が出なかった。
俺はちゃんと水道料金は払っている。それで出ないってことは……。
夢のせいで喉が非常に乾いていた。俺は近くのコンビニまで飲物を買いにくことにした。
仕事は夏季休暇中のため俺には時間がある。
歩き出すと照りつけるような日差しが肌を焼く。額から出る汗を手で拭いながらコンビニを目指す。
最近のコンビニやスーパーなどは店員がいなく、全部ひとりで行うことができるようになっている。
店に入り、水を求めて飲料コーナーへと急ぐ。
「え? うそ?」
飲料関係が全部売り切れている。どこかにないか店をくまなく探してみるがひとつもなかった。
やばい、喉が渇いた。
冷房の効いた店内にいたかったが、名残惜しさを殺し店を出た。とたんに照りつける太陽。
迷っている時間はない。ちょっと遠いがスーパーまで行くことにした。そこへ行く途中で自販機を数台確認してみるが、すべて売り切れていた。
ふいに電柱を見ると、いまにも剥がれ落ちそうな貼り紙がされている。
【異常気象のため7月21日~8月31日まで断水】
「だんすい……どうなってるんだ? 昨日は断水だったっけ? 今日は何日だっけ」
暑さと、喉の渇きで思考が回らない。とにかくスーパーへ……。
俺は愕然とした。スーパーも飲料関係が全部売り切れていたのだ。俺はスマホを取り出して、親に電話をかけた。だが、つながらなかった。実家の電話番号にもかけたが誰も出なかった。
友人、知人、会社関係の人にもかけたが、誰も電話に出なかった。
「なんで……」
喉が渇いて水を欲するあまり気づかなかったが、いままで誰ひとりと出会っていない。道を歩いている人がいない。確かに、こんなに暑い日は誰も外に出たがらないのかもしれないが、だが、これは異様。
無人のスーパー。外に出てみては暑さだけが残る無人の町。さらに無音。物音ひとつしない。
誰もいない。見当たらない。ふと、スマホでカレンダーを確認してみた。
7月21日、13時12分をさしている。
俺は自分の車で移動を試みた。行く先々のコンビニやスーパーを片っ端から寄ったが飲物だけがなかった。いや、途中アイスでいいと思い、アイスコーナーをのぞいたりしたが、思った通りすべてなかった。
ほかにも、飲食店やデパートなども見たが誰もいなかったし、水差しなどにも水は入ってなかった。トイレの水を見に行ってみたが、そこにも水はたまっていなかった。
なかったことと言えば、車で走っていても、誰ひとり見当たらないし、車も走っていない。
そのまま実家に帰ってみるが家族の姿がない。冷蔵庫を開けてみるが当然飲物は入っていない。というか口で飲めるというものがない。つまり、醤油やみりん、液体に浸かったものやゼリーなどもなかった。
コンビニやスーパー、それにほかの店もそれと同じだったのをいまになって思い出した。
ダメもとで実家の蛇口をひねってみたが、水は出なかった。
「……どうなってるんだ」
何度も何度も電話をかけるが誰も出ない。訳が分からなくなり警察や病院にも電話をかけたが一向に誰も出なかった。
すると、スマホの画面が急に消えた。その瞬間、俺は見てしまった。日付がおかしくなっていたのを。2月10日、23時52分と表示されていた。
もう一度、それを確認するため、電源を入れようとしたが壊れたように電源が入らない。バッテリー切れかと思ったが、思い返してみると、まだ半分ぐらいは充電があったはず。
故障か? それにしても喉が渇いた。仕方なく俺は川を目指して車を走らせた。
ビルの窓に映る人影らしきものはない。当然、ガソリンスタンドにも人はいなかった。
俺はあることを思いつきコンビニへ寄った。その目的は新聞だった。いまの本当の日付と時間、それにいまなにが起きているのかを知るために。
「えっ!」
新聞を手に取って見てみると日付が書いていなかった。見出しには【沈まない太陽】と書いてあり、月が消えた理由ということも載っていた。
詳細を読もうとしたが喉が渇き過ぎているため、かいつまんで読んでみることにした。
地球の自転が高速になっている。太陽がふたつある。月が地球を離れたのは超強力な太陽風の影響か?
コンビニにある時計を見てみた。12時35分をさしている。
なにかの影響で時計が狂っているのか、それとも正しい時間を表示しているのか、いまの俺にはわからなかった。だが……。
外に出てみて空を見てみた。まぶしい太陽がひとつ存在している。
いまが何年何月で何時なのかもわからない。わかっていることは昼間であること、人がいないこと、水がないこと、喉が渇いていること。
昨日までのことを思い出してみた。たしかにいつも通り夜が来てそのまま眠りについたのを覚えている。
それから変な夢を見て目が覚めた。昨日は何日だった? ……わからない。なぜか思い出せない。まるで水分のない体が思い出そうとすることを阻止しているような。
誰もいない。この世界を俺がひとりで支配している? そんな感覚に捕らわれそうになる。
ふたたび車を走らせ当初目的だった川へ向かった。
川に着いた……しかし、川に水がなかった。完全に干上がっていた。川に水がないとこんなふうになるのかと思うようなふしぎさがあったが、違和感もあった。魚がいない。
……まさか!
俺は辺りを見回した。……いない……いない……いない! 鳥がいない。虫もいない。その声も聴こえてこない。動物や昆虫たちが消えている……。
クソ……。頭を掻きむしりながら俺は考えた。
海だ。海へ行ってみよう。俺は確かめてみたかった。この世界に本当に水がないのかと。俺は車を走らせる。どうせ誰もいないのだから思いっきり飛ばした。海に近づくにつれて嫌な予感は的中した。
遠くから見てもわかるように、砂浜だけが一面に広がり地平線の向こうまでそれが続いている。
……海がない。これ以上海のない海を見ていても意味がないと思った俺は、車をいったん止めると一呼吸置いた。
水をどうやって確保する?
そうだ、たしかサバイバルで水を作る方法があったはずだ。俺はそれを調べるためスマホを取り出したが、故障中だったため使えなかった。仕方なく本屋へ向かった。
本屋に着き、店内に入ると蒸し暑かった。それに誰もいない。さっそくサバイバル術の本を探した。
よし、やり方はわかった。
材料をそろえるため車に乗ってエンジンをかけた。が、エンジンがかからなかった。何度も何度も試したがかからない。
「なんで……この暑さで?」
とたんに頭がくらくらしてきた。ダメだ。もうだめだ。もう汗もふき出してこない。
「みずが……」
最後までお読みいただき、ありがとうございました。