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第4話:利確に魅入られし魔女

挿絵(By みてみん)


――魔鐘が鳴り終わる。

刻限を越え、155.00のレートは、トレ子の術式を守るように静かに156.60 156.70と、じりじりと上げていく。


空間に揺らめいていたドルの精霊が、音もなく一礼し、淡く溶けて消えてゆく。

その場には、契約の余熱だけが残されていた。


「……通過、完了。ふぅ……危なげなかったわね」

トレ子は巻物を静かに閉じ、胸元で一つ息をついた。


ルキはまだ呆然としたまま、目の前の空間を見つめていた。

だが、その瞳の奥では、何かがざわついていた。


「……終わったのか?」


「一段落はね。魔導契約は無事に通過した。あたしのカットも、あんたのサポートも、完璧だったわ」


「サポート……?」


「気づいてないの? あんた、あの瞬間、“波”に乗ってたわよ」

トレ子はわずかに口元をゆるめ、いたずらっぽくも鋭い視線をルキに向ける。


「無意識かもしれないけど……相場の呼吸に合わせて巻物を読んでた」

「本来なら、術式の揺れでズレるはずなのに、あの一撃、ぴたりと重なったのよ」


「……そんなこと……俺は、ただ……」

ルキは言い淀み、胸元に手を当てた。まだそこには、あの“ざわつき”が残っている。


「感じてるんでしょ? さっきからずっと、波の残響が胸をうずかせてる」

「でも、忘れないで。波に乗るってことは――流される可能性もあるってことよ」


トレ子の表情がわずかに陰る。

その声は、ふざけた調子を消し、どこか重い現実味を帯びていた。


「……勝ったと思った瞬間に、負けが始まる。オプションの世界は、そういうものよ」

「“満期”のその先――行使から始まる新たな戦場を、これから教えてあげる」


ルキは胸の波を聴き続けていた。

「新たな・・戦場・・?」

遠く、まだ魔鐘の余韻が耳の奥に残っている気がした。


【異例の契約と逆流の先に】


「トレ子の契約が成功したってことは、俺たちの勝利……なんだよな?」


 トレ子は手のひらで巻物を回しながら、肩をすくめた。


「でも、カットを通過したってだけじゃ、報酬はまだ手に入ってないわよ」



――魔鐘の余韻がまだ空気に漂う中、ルキは胸のざわめきを押さえつつ、問いかけた。


「え?通過したってことは、もう勝ちってことでしょ?

報酬も、もう手に入ったんじゃないの?」


――彼の言葉に、トレ子はくるりと振り返り、にやりと微笑む。



「普通はそうなのよ……でも、今回は違う契約を使ってるんだから」


ルキ

「えっ?」


――トレ子は指を一本立て、その先に空中の魔導陣を浮かべる。


「今回の契約は、“反対売買”で利確するタイプ。

つまり、カット通過は“入口”に過ぎない。ここから“もう一発”必要なの。」


ルキ

「……もう一発?」


トレ子

「通貨精霊との最後の契約――“利確”ってやつよ。

そしてそのタイミングを読めば、相場に大きな魔導圧力がかかって、その波に乗れば更に差額を手に入れられる。

でも、行使は賭け。失敗すれば全てが吹き飛ぶ。これがまた……危険で、面白いのよね」


――言いながら、トレ子の手のひらがほんの僅かに震えた。魔導陣の数値がひゅっと動く。



勝利の鐘が鳴ったと思ったのに、

本当の戦いは、まだ始まってすらいなかった――


――その瞬間、チャートが突如ざわめき出す。


魔力が反転するような不気味な気配。

行使の契約を控えた市場に、売りの大波が押し寄せる。


トレ子(声が冷える)

「来たわね……逆流売り。利確とヘッジ解消の波よ」


――空間がうねり、魔導刻限の余熱をまとった“行使の波”が、二人をさらおうとしていた。

ルキは胸に手を当て、再び波の奥深くから湧き上がる獰猛な鼓動を感じていた。


魔力の空間がうねる。


まるで召喚された精霊が、消え際に強烈な余波を残していったかのように、周囲の空気が震え、時の流れが加速する。


「……始まったわね。逆流売り」


トレ子が、すでに巻物を解き放ち、第二の契約式を展開し始めていた。


精霊との再契約――利確の魔導反転だ。


「ルキ、ここからが本番。見てるだけじゃなく、“波”を読む練習しなさい!」


「え、俺が……?」


「いいから、**この反応石インディケーター・ジェム**を握って! チャートの変動が大きいときに、脈打つから。タイミングを感じたら、教えて!」


 トレ子が投げたのは、青白く脈動する小石――魔力でチャートとリンクした感応装置だった。


ルキは戸惑いながらも、それを胸元に当てる。すると……確かに、感じた。


どくん、どくん、と。


それは鼓動ではない。もっと荒々しく、不規則に脈動する“波のうねり”。


そして――


視界の端で、トレ子が既に動き出していた。


「“利確弾・発動”――!」


巻物が白く燃え上がり、通貨精霊の姿が再び現れる。


さきほどの精霊と同じ姿……だが、その瞳は今、完全に逆の方向を見据えていた。


「売り、よ……! この一撃で、さっきの利益を確定させる!・・そして更に・・」


ルキの反応石が、強く光った。その瞬間、全身に“理解”が走る。「来てる……波が!!」「今……今だ!」


それを聞いたトレ子が、手元の巻物に触れ叫ぶ。


《成り行き売契約行使!》


ズンッ――!!


地を裂くような音と共に、精霊が放った斬撃が、空中に現れた“レートの壁”を切り裂く。チャートが一気に下方へ走り出す。


155.20 → 155.10 → 155.00――


 チャートが吠えた。

 逆流の波に押され、ローソク足が激しくうねる。

 155.00――その節目を割った瞬間、市場が一斉に崩れた。


 「――ここだ! ここが“利益の発露”!そのまま抜けろ!」


 トレ子が巻物を掲げると、精霊が再び魔導の刃を振り下ろす。

 刃は光となって走り、チャートの底を、さらに深く突き破った。


 154.90 → 154.80 → 154.75……


 「すごい……! こんなに動くのか……!」


 ルキが目を見張る横で、トレ子の目は、異様な光を宿し始めていた。

 その視線はチャートではなく、**“その先”**を見ていた。


 「まだよ……こんなのじゃ足りない……もっと……もっと深く……」


 唇がかすかに笑みに歪む。

 巻物が自律的に反応し、次なる売契約を勝手に開き始める。


 「トレ子……? 大丈夫か?」

 ルキの声に、返事はなかった。


 代わりに聞こえたのは、彼女の低い呟き。


 「波が……呼んでる……

 この奥に、まだ潜んでる……“利の核”が――」


 トレ子の背後に、複数の通貨精霊が立ち現れる。

 最初の一体とは異なり、どれも目に光がなく、まるで“欲に呑まれた傀儡”のように沈黙していた。


 「いける……ここからさらに下へ!

 あたしがこの波の最深部を見せてやる!!」


 トレ子が両腕を広げた瞬間、巻物が闇のように黒く変色し、

 その中心から**“異常な魔導圧”**が噴き上がる。


 ――ズゴォォォン!!!


 154.75 → 154.60 → 154.55……!!


 ルキは思わず数歩、後ずさる。「う・ォ・・」

 “利確の波”は、もはや“逆流”というより、深淵からの引き潮。

 それに飲み込まれた者は、二度と戻ってこれないような気がした。


 「トレ子……やめろ!!」

 ルキが思わず叫ぶ。


 「それ以上は……戻ってこられなくなる!!」


 しかし彼女の耳には、ルキの声はもう届いていなかった。


 ――“利の核”を喰らう。

 その一点だけに、意識のすべてが支配されていた。


154.55……154.45……154.40……


 市場の時間が、歪んで見える。

 あまりの動きに、取引所さえ息を呑むような静寂。

 画面を見ていた者たちは、誰もが思った――

 「こんなの……乗れるわけがない」


 だが、トレ子だけは違った。


 その目は濁り、巻物は禍々しく変色してなお、さらに“利の核”を掘り進もうとしていた。


 「まだだ……まだ、掘れる……もっと、もっと……っ!!」

 彼女の手が、もう一度、契約の符を結ぼうとした――その時だった。


 


 ――ズンッ……


 


 ルキの胸元で、反応石が淡く震えた。


 「……っ!」


 その脈動は、今までとは違っていた。

 強く、そして――逆方向に、引かれるような力。


 「……止まる……いや、違う……戻る……!!」


 ルキの目が見開かれた。

 感覚が叫んでいる――これは、反発の“波”。


 「トレ子!! 反発が来る――今、ここが底だ!!」


 その声は、荒れ狂う市場の中でも、トレ子の耳へと突き刺さった。


 


 「っ……!」


 


 一瞬、迷いがトレ子の目をかすめた。

 巻物が震える。契約が……保留された。

 彼女の中で、欲望と理性が交錯する。


 そして――


 「……クソッ……」


 舌打ちと共に、彼女は手を振り上げた。


 《利確買い契約解放ッ!!》


 


 ズバァァンッ!!


 


 まるで裂けるような音とともに、魔導契約が解かれ、精霊たちは空間から一斉に消える。

 チャートは、まるでそれに呼応するように、ぴたりと止まった。


 154.35――


 そして次の瞬間、


 154.35 → 154.40 → 154.50――反転。


 市場全体が跳ね上がり狂乱に包まれる。

「うおおおお、やった。やりやがった。あの女」

そんな叫び声が一面を包む・


 「っ……!! 当たった……!」


 ルキは思わず膝に手をついて、荒い息をつく。


 トレ子も目を見開いたまま、しばらく呆然とチャートを見つめていた。

 だが次第に、その表情は……ふっと緩み、笑みに変わっていく。


 


 「ルキ……あんた、やるじゃない」


 


 その言葉を皮切りに、魔導室内の空気が一気に弾ける。


 精霊が消え去った後の、純粋な勝利の残響。


 全ての巻物が、光の粒となって舞い散る。


 


 「利確成功ォォォ――――ッ!!!」

 「これは伝説だ……完璧すぎる!!」

 「見たか!? 154.35ドンピシャだぞ!? あのトレ子が利確で寸前まで狂ってたのに!」


 


 奇跡を目の当たりにした歓喜の声が魔導室を包む。


 そしてその中心で――

 トレ子は、ルキの胸ぐらを無言で掴む。


 「おい……ルキ」


 「な、なに?」


 彼女の目は真っ直ぐ、そして燃えるように鋭い。


 


 「“波”を、完璧に読んだわね……スキャナイトの才能、確かにあるわよ」


 


 ルキは返事もできず、ただ黙って頷いた。


 


 ――勝利の光が、今はまだ、彼らを包んでいた。




【 牙を研ぐ者】


 一方――その頃。


遥か遠く、**“情報の塔”**と呼ばれる拠点の一室。


 厚いカーテンで閉ざされた空間、月光すら届かぬ漆黒の中で、

 ひとりの男が、魔導チャートを食い入るように見つめていた。



 「……舐めた真似しやがって」


 くわえた葉巻の先から、灰がぽとりと落ちる。

 男の名は《ヴェルド・カイアス》。

 かつて、魔導カットで通貨精霊を自在に操り、《南方ギルド》で恐れられたヘッジスペシャリスト。

 今回のカットで、トレ子の仕掛けた逆流に巻き込まれ、精霊契約を破断された男。



「155の上……カットを通されただけじゃない。逆流まで読んで完売り抜けとか、聞いたこともねぇ芸当だ……」

 ぎり、と拳を握りしめる。


 彼の背後で、部下たちが沈黙のまま立ち尽くしていた。


 


 「舐めるなよ、《ヘッジギルドの女王》……」


 ヴェルドの目が、トレ子の名を刻むチャートの隅を睨みつける。

 そこには、“契約通過”の表示と共に、ルキの名が新たに記されていた。


 「それと……ルキ。テメェ……どこの出だ?」


 男は立ち上がり、静かに言った。


 


 「次は――こっちが波を起こす番だ」


 


 彼が手をかざすと、空中に一つの魔導契約書が浮かび上がる。

 そこに刻まれた文字――


 「次回契約予定:USD/JPY 155.60 魔導カット+突発イベント」


 

 そして、その奥で、別の術師たちが既に動き出していた。


 次なる舞台は、“騙し”と“虚偽”が支配する魔導取引――


 《偽りの逆流》



 “波”はまだ静かだ。

 だがそれは、新たな牙を潜ませた静寂に過ぎない。



次回予告:

『第5話:欲望の罠 〜“騙し”の逆流〜』


地獄の刻限を超え、完全勝利を果たしたトレ子とルキ。

すべてが完璧だった。波は読めた、利確も決まった。


――そう、“あの日”までは。


次なるカットの時。

ふたたび現れた通貨精霊。

だが、どこか様子が違った。波の気配も、やけに静かで……。


「これ、いけるわ……もう一発、利確の波に乗る!」


そう信じたトレ子は、ふたたび契約を放つ。

しかし、待っていたのは“何も起こらない”逆流。

張り詰めた市場に、じわりと走る違和感。

刻限を通過しても、精霊は――動かない。


「トレ子……おかしい、これは……!」


ルキが感じ取ったのは、静寂の中に潜む“不在の波”。


そして次の瞬間、反転するチャート、裏切るローソク。

待ち構えていたのは、逆流を餌に仕掛けられた“騙し”の罠――!


崩れる価格、飛び交う叫び。

踏まれる損切り、喰らう大口、連鎖する悲鳴。


これは“流れ”などではない。

――誰かが意図して“仕組んだ”波だった。


次回、『異世界オプションウォーズ』

第5話:『欲望の罠 〜“騙し”の逆流〜』


お前は本当に“波”を読めていたか?

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