第2話:契約と行使 〜魔導カットの正体〜
戦いの余韻が残る市場都市ニューヨルクの空に、赤いマナ価格(オプション価格)が静かに揺れていた。
先ほどの魔道刻限で価格は大きくぶれ、空気には未だ魔力の残滓が漂っている。
ルキは地面にしゃがみ込み、自分の手をじっと見ていた。
指先が、微かに震えていた。
「――初めてなら、まあそんなもんね」
声の主は、例の少女だった。黒衣の魔導師。ギルド《ヘッジファンド》の実力者。
「トレ子……さん」
「トレ子は仮の呼び名ってことでよろしく。本名はさておき、アンタにはまだ“契約”の基礎も教えてないものね」
そう言って、彼女はチャート盤の隅を撫でた。そこには刻まれた文様が淡く光っている。
「この世界には、“魔導契約”(通貨オプション)と呼ばれる仕組みがある。将来、ある時刻に、ある価格で“通貨の精霊”(基礎資産)と契約する権利よ」
「将来……の価格?」
「そう。今じゃなくて、未来の。
たとえば“155マナ”(155円)でドルの精霊と契約できる権利。
それを買う人と売る人がいて、あらかじめ取引されるのよ」
ルキは眉をひそめた。
「……そんな契約、誰がするんだ?」
「ふた通りの人間ね」
トレ子は指を2本立てる。
「ひとつは、“リスク回避”のため。
たとえば東方の商会が、アメリカルから魔導機を輸入してるとするでしょ?
もしマナ(円)が暴落すれば、支払いが爆増する。だから、あらかじめ“155マナで契約できる権利”を持っておく。
保険ってわけ」
ルキは頷いた。わずかに、理解の糸口が見えた。
「じゃあ……もうひとつは?」
トレ子の目が笑った。
「“賭け”よ。完全なる投機。
この価格を超えたら大儲け、ってタイミングで契約を買う人がいるの。
いわば“ギャンブル券”ね。たとえば“155マナを超えたら爆益!”みたいな」
「つまり、保険と賭博が同じ契約に混ざってるってことか……」
「そう、そしてその契約には“締切”がある。
使うのか、使わないのか――その判断を下す、魔導刻限。(カットタイム)それがオプションカット」
彼女は再び、空を見上げた。
「……さっき見たでしょう? 魔導刻限直前になると、空の価格が“寄っていった”でしょ」
「うん……。155マナに吸い寄せられるみたいだった」
「買い手は155より上でカットしたい。売り手は155より下で止めたい。
だから、刻限前に“スポット取引”(成り行き取引)でガチでぶつかるの。
そりゃあもう――激しいわよ」
ルキの頭に、先ほどの魔力のうねりが蘇る。
押し寄せる“欲望”と“防衛”の衝突。まさに、魔導の嵐だった。
「じゃあ……あれは、誰かが無理に操作してるんじゃなくて、
“みんなが勝ちたい”って思った結果ってことか?」
「そうよ。それが、“契約と行使”の世界。
誰もが自分に都合のいい未来を引き寄せようとする。
――でも、みんな誤解してんのよね」
ルキは、小さく息を吐いた。
この世界の“戦い”は、剣ではなく数字で繰り広げられている。
でも、確かにそこには熱があった。
命を削るような、“本気”があった。
次回予告
第3話:契約は刃にあらず 〜“誤行使”の代償〜