第2話 想い合う家族のしるし
突然の結婚の申し出に、アネットや彼女の祖父母は目を丸くした。
それも母親の遺言で妻にしたいとのことだから、その驚きぶりは測りしれない。
「お母上の遺言で私を、とのことでしょうか?」
自分で本当に合っているのだろうか。
アネットはそう考えた。
(公爵様が平民の私と結婚だなんて、嘘よね……?)
それほどまでに彼女にとって信じられないことだった。
しかし、アネットの疑念を払拭するように彼は返答をする。
「ああ。間違いなく君を妻にしたい。もちろん支度金は十分に出すつもりだ」
「支度金」と聞いたアネットの顔色が変わる。
それは常人にはわからないほどの微々たる変化であったが、ジルベールはその些細な変化を見逃さなかった。
「君にも決定の自由はある。よかったらじっくり考えて、後日手紙で返答をくれ」
彼はそう告げると、馬車に乗り込んだ。
やがて、馬車の姿が見えなくなった頃、アネットがようやく口を開く。
「ほら、もう外は冷えるし、中に入ろう!」
「アネット……」
表情が曇っている祖父母にアネットは心配をかけないよう微笑んだ。
夕食を終えた彼女は、自室で静かに物思いにふけっていた。
(結婚……)
アネットは今年十八歳になる。
貴族の令嬢であれば婚約者がいてすでに結婚をしている令嬢もいるだろう。
平民となれば結婚する時期は貴族よりも様々だが、それでもそろそろ考えたい年頃だ。
それに、彼女の頭には彼の言ったある言葉が残っていた。
(支度金……それがあれば、おじいちゃんとおばあちゃんにもう少し裕福な生活をさせてあげられる)
この家はアネットの祖父が若い頃に建てたこともあり、なかなかの年季が入っている。
今から訪れる冬なんかは、寒さが厳しく一層辛い。
支度金があれば家の建て替えもでき、さらにアネットが結婚した後の食べ物の心配もないだろう。
(でも……)
しばらく考え込んでいた彼女の耳に、ノックの音が聞こえた。
「おばあちゃん、それにおじいちゃんも……」
「アネット、今いいかい?」
アネットは大きく頷くと、三人でベッドに腰かけた。
「結婚の話、私らに支度金を使おうとしているんじゃないのかい?」
孫が考えていることは手に取るようにわかる。
そういうようにアネットの手を握って伝えた。
「私らはもう十分幸せだから。アネット、お前がしたいようにしなさい」
「おばあちゃん……」
アネットは喉の奥がツンとして言葉に詰まる。
そんな彼女の肩に優しく手を置いて話しかけたのは、彼女の祖父だった。
「お前には苦労をかけた。今まで支えてくれたことだけでもありがたいと思っておる。だから、これからはお前の幸せについて考えてほしい」
ついにこらえきれなくなったアネットは涙を流す。
今まで育ててくれた日々の思い出と感謝が、彼女の心に溢れてくる。
(こんなに私の幸せを願ってくれてる……)
アネットは涙を拭い、祖父母の手を握った。
「本当はね、少し不安なの」
アネットの気持ちは当然だろう。
平民として育った彼女が突然貴族の妻として生活するのだ。
それでも、彼女には強い思いがあった。
(こんなに想ってくれる二人に、心配をかけたくない。それに……)
昔した母親との「ある約束」を思い出す。
そして、彼女は笑って答えた。
「私、あのお方の妻になろうと思います」
彼女は決心したのだった。
数日後、アネットの祖父母が家の前でジルベールを迎えていた。
「わざわざおいでくださり、誠にありがたく存じます」
「いや、朝早くから申し訳ない」
三人がそう話しているうちに、家からアネットが出てきた。
「アネット……それ……」
彼女はドレスに身を包んでいたのだ。
その姿を見た祖母は、目を潤ませている。
「これ、お母さんから預かってたの。『もし、アネットがお嫁にいくときにはこれを来てほしいの』って」
そのドレスはアネットの祖母が娘──つまりアネットの母親のために手作りしたものだった。
しかし、母親は由緒あるバルテル伯爵家に嫁いだため、しきたりのドレスがすでにあり、希望のドレスをきれなかったのだ。
「よく似合ってるぞ」
涙ぐんで声にならない祖母のかわりに、祖父がアネットに声をかけた。
アネットは祖母の涙を拭ってあげると、笑顔で告げる。
「おじいちゃん、おばあちゃん。育ててくれてありがとうございました」
アネットはそれだけ告げると、ジルベールの目を見た。
「もういいのか?」
「はい。公爵様、これからどうぞ、よろしくお願いします」
深々とお辞儀をした彼女に、彼は手を差し伸べる。
二人はゆっくりと馬車に乗った。
孫とその夫となる人を、二人は肩を寄せ合って見送った。
新しい門出は良く晴れた日だった──。