1.僻地での大騒ぎ
アストラ:
朝か…一体誰がこんなものを考え出したんだ!?重い瞼をなんとか開け、あたりを見回した。はぁ、いつかは違う場所で目覚めてみたいものだ、ここじゃないどこかで。絹のカーテンの隙間から差し込む頼りない朝の光が、赤い布で覆われた金色の家具を部屋の薄暗がりから浮かび上がらせる。私は天蓋付きの巨大なベッドに横たわり、頭の下には最高に柔らかい枕がある…残念なことに、ここでぐっすり眠れたことは一度もない。
運悪く、こんなに「二回も名門」の家に生まれてしまった。「二回も名門」ってどういうことか説明するわ。ザウバー家はただの貴族じゃない、代々続く魔法使いの一族なのよ。ランパラを支える三本の柱、それは王座、魔法、そして教会。この三つの巨人に逆らえる力は存在しない。
私は何を話していたんだっけ?ああ、そうだ、睡眠。私とお母様は叔父様の城に住んでいる。ここには使用人も警備兵も…簡単に言えば、人が多すぎて息が詰まる。使用人はいつも主人よりも早く起きて、私達が目覚める前に家を準備をするのが決まりだ。あちこち走り回り、おしゃべりをして…他の人がどうなのかは知らないけど、私はこんな状況では眠れない。叔父様に何度も部屋を防音呪文にしてくれるように頼んだんだけどなぁ…残念ながら、大人にとって十二歳の少女の嘆きはただのわがまま。睡眠ポーションもまだ早いからダメだと言われる。私がこんなに繊細な睡眠の持ち主だって、私が悪いわけじゃないのに!どんな小さな物音でも目が覚めてしまう…こんな性質は傭兵や旅の魔法使いには向いているかもしれないけど、高い壁に囲まれた城に住む高貴な淑女には絶対に向いていない。
それに…内緒にしてくれる、ね?私は寝る前に空想するのが大好きなんだ。頭が枕につくと、目の前に万華鏡のように輝く色彩の想像の扉が開く。そこでは、私は何者にでもなれる:世界を救うヒロイン、世界の果てを探す偉大な旅人、そして、くすくす、次々と王子様を虜にする運命の美女にさえなれる。うん、私はそんな夢見がちな女の子だよ。思考マラソンはいつも何時間も続いて…ぐっすり眠れないんだ。でも、仕方ないじゃない?私の人生には冒険が全くないんだから!
そして今日も、騒音で朝が始まった。どこかの間抜けが、私の部屋の前を何かガタガタと音を立てながら通り過ぎるのが素晴らしいアイデアだと思ったらしい。覚えてろよ、私がここで一番偉くなったら、ネズミ一匹だって音を立てられないようにしてやる…!
「おはようございます、ロッサ様!」
扉が開き、厳格なドレスを着た十人ほどのメイドが整然としたで列部屋に入ってきた。彼女たちはボンナ、高貴な家の令嬢を教育し、世話をするために選ばれた、下級貴族出身の女性たち。一人は箪笥の上の物を遠慮なく大きな音を立てて動かしながら埃を払い始め、もう一人はカーテンを勢いよく開けた…はぁ、もう少しベッドでゴロゴロしていたかったのに、マーフィーの法則は私に他の計画があるようだ。
「ロッサ様、起きなさい!もう小さいお子様ではありませんし、アカデミーも卒業されたのですから、私達をあなたの分別を疑わせないでください!」そう言ったのは、メイドの中で一番年長のレッティだった。彼女は入り口に立ったまま、私をじっと見つめていた。
「どうかお目覚めください、お寝坊は淑女にあるまじき行為ですわ!」と、二番目の声が、甲高く、少し不安げに、教育係を援護した。
毎日これだ…使用人たちと一緒に起こされるだけじゃなく、この人たちも…私が何としても淑女らしく振る舞うように見張っている。ふん…
「はいはい、起きますよ…」と私は返事をした。メイドたちなら、私から躊躇なく毛布を剥ぎ取り、無理やり立たせるだろうから。
私にはボンナがたくさんいる。叔父様が頑張って、大勢連れてきたのだ。そして、皆が城の主人に気に入られようと必死だ。私をあれこれと理由をつけては困らせ、いつも小言を言ってくる…その中でレッティがリーダー格で、私が「過度にわがまま」を言い始めると、私のお母様に告げ口をしに行くのだ。本当に厄介な存在だ。
毛布を蹴り飛ばし、私はベッドに座った…
「ダメですよ、ロッサ様!」ベッドのそばでせわしなく動いていたボンナが、私の手を掴んだ。「手で目を擦ると、まぶたが腫れてしまいますよ!ロッサ様はレディですので、お水を待ちなさい」
わかるよね?全く息がつけない!まるで籠の中のカナリアみたいだ!そう、籠は確かに金色で、食事も一日に六回も運ばれてくる。でも、将来偉大な魔法使いになる私に、少しぐらい自由があってもいいんじゃないの!?言い争いや口論は無駄だ。私が何か言えば、レッティは三倍にして返してくる。彼女は何十人もの若い娘を育ててきた、経験豊富なのだ。いいの、私が成長すれば、これらの「楽しみ」も自然となくなるはず。そう願う…
私は目を瞑ったまま立ち上がり、ボンナたちが私を新しい一日に備えられるように両手を広げた。高貴な令嬢は、髪を梳かし、編み込み、濡れたタオルで体を拭いてもらうのが決まりだ…本当にうんざりする。私は軽いものを羽織って、居間に降りて、叔父様の図書館にある素晴らしい本を読みながらお茶を飲んで、昼食まで過ごしたいのに…
「お嬢様、お腹を引っ込めてください!」
考え事をしていたら、急にコルセットで絞め殺されそうになった。
「ロッサ様、しっかりしてください。でないと朝食に遅れてしまいますわ。」レッティが不満を漏らした。
こんな着替えの規則がなければ、とっくに朝食に降りているのに!一体なぜこんなに厚着をさせられるの!?まるで舞踏会にでも行くみたいじゃない!もちろん、こんなことを口に出すほど分別がない淑女ではないけれど。
***
十五分後、ロッサはダイニングルームに連れてこられた。ボンナたちの中で、彼女はまるで女王のようだった:二つのおさげに編まれた髪、軽いメイク、パフスリーブの豪華なドレス。誇り高い眼差しと高く上がった鼻が、まさに眩い光景を作り出していた。もちろん、高いヒールによるわずかなぎこちなさが、注意深く見なければわからない程度に雰囲気を損なっていたが。
ダイニングルームでは、真っ白な布で覆われた彫刻が施された巨大なテーブルに、彼女のお母さん、ベラが座っていた。彼女を見ればすぐにランパラの東洋の出身だとわかる:美しい燃えるような赤毛の美女で、堂々とした胸と大きな青い目をしていた。ロッサは幸運にも、そばかすの位置に至るまでベラの容姿を受け継いでいた。彼女は母親の小さなコピーだった。自分の子供に気づくと、女性は何気なく頭を向け、二人の視線が合った。
「おはようございます、お母様。」ロッサは頭を下げ、軽いカーテシーをした。
ベラは返事を控え、娘を頭の先からつま先までじっくりと見た。ロッサは目を上げずに、思わず唾を飲み込んだ。彼女は知っていた:母親が少しでも欠点を見つければ、着替えさせられ、朝食抜きにされることを。アカデミーの寮では規則ははるかに緩く、小さな魔法使いは好きな時に好きなだけ食べることができた。しかし、城ではロッサは高貴な淑女にふさわしい料理だけを食べさせられた。味がなく、まずく、そして何よりも量が少なかった。そのため、少女は執拗に鳴り響くお腹に何かを詰め込む機会を逃さないようにしていた。しばらくして、ベラは満足そうに頷き、少女の後ろにいたボンナたちはほとんど気づかれない程度に安堵の息を漏らした。
「あなたのトーストとジュースです。」レッティは、二つの小さな焼いたパンを乗せた皿を教え子の前に置いた。
「叔父様はご一緒されないのですか?」少女は少しばかり勇気を出して尋ねた。
「知らないわ。」ベラは少しの感情も込めずに答えた。
「お嬢様、シンリノコ魔法使い様は夜明け前に城を出発されました。」レッティが急いで報告した。
「レティシア。」ベラは食器を置きながら、メイドに話しかけた。
「はい、マダム。」
「料理人に、満足したと伝えて。」
「かしこまりました。」
ベラはナプキンを丁寧に角錐形に折り畳み、皿の横に立て、退出した。
「お母様は今日は珍しくご機嫌が良いようですね。」レティシアが言った。
***
アストラ:
待っている時ほど、時間が途方もなく長く感じるものはない。一時間や二時間を潰すのは難しくないけれど、それでは全然足りない。そう、「子供時代は黄金の時代」と言うけれど、私は早く終わってほしいと願っている。明日目覚めたら大人になっていたらいいのに…きっと、アカデミーのせいだ:自由な生活に甘やかされて、法律や規則のない生活に。はぁ、良いものは少しずつ、か…
「ロッサ様!」
「え?」
「どうかご集中を。ぼやぼやなどおやめください!」
太陽は西に傾き、部屋を深紅の光で満たしていた。一日中、私はおとなしい女の子を演じ、全てに耐えた:ダンスも音楽も、エチケットの授業も、そして魔法の授業での努力は…もう足がふらふらだ。でも、一瞬でも気を抜くと、またレッティが不満を漏らす…
「お母様に訴えさせないでください!それに、その田舎じみた「え?」は何ですか。淑女らしく答えなさい!」
「誰が気にするのよ…」
「なんですって?」
しまった!声に出してしまったか…!?
「ロッサ様…」レッティは苛立ちながら額を指で擦った。「ザウバー家の名誉あるお嬢様は、礼儀正しくなければなりません!親戚の誇りとなり、貴族の憧れの的でなければなりません!もうすぐご結婚されるのですから、もし農民のように振る舞われたら、あなたのお母様は恥ずかしさで死んでしまいますわ!」
「もし私が結婚したくないと言いましたら?」
人は誰でも心の痛む話題を持っている。私にとって、それは結婚だ。「あんなにハンサムな人がいるわよ」「あの家は〜を所有しているわ」「結婚したら〜」そんな話ばかり聞こえてくる。どんな会話もこの話題に落ち着いてしまう。私はまるでその目的のためだけに育てられているようだ。私はおもちゃじゃない!
「お嬢様はご理解されていないようです…」
「いいえ、理解していないのはお前の方よ。」
もう我慢の限界だ…高貴な人々が重んじる冷静な仮面が、ひび割れた。私は立ち上がり、テーブルを両手で叩きつけた。
「眉をひそめないでください…皺が寄りますわよ…」
「レティシア、お前は結婚したことあるの?」
「それが何か…」
「答えなさい、これはお嬢様の命令よ!」
「いいえ、ありません。」
「あら、そうなの?まさか馬鹿な男が見つからなかったのかしら?」
「お嬢様…」
くそっ!感情を爆発させてしまった…下唇が震え、涙が溢れてくる。あと一秒でヒステリーを起こして暴れ出す…レッティは凍りついた。彼女は私がこんな風になるのを一度だけ見たことがある、まだ覚えてるのだろう。
「ロッサ様、もうやめてください。」私たちの衝突を見て、別のボンナが割って入った。
「あら!」私はわざとテーブルからインク壺を落としながら、レッティを睨みつけ続けた。
「すぐに拭き取ります、絨毯に染み込んでしまいますので!」三番目のボンナが加わった。
私の心の火花はもう少しで炎になるところだったが、レッティがそれを消し止めた。彼女はテーブルを回り込んで私を抱きしめた。レティシアは経験豊富だ…
「アストラ、私のかわいい子、落ち着いてください。お話は聞きました、もうこの話題には触れません、約束します。辛いのはわかっていますが、どうか、私の立場も考えてください。」
はぁ…さっきまで怒っていたのに、もう罪悪感を感じている…ずるい!レッティが落ち着いた口調で話して私を「アストラ」と呼ぶと、すぐに許してしまう。
「少し空気を吸ってくる。」そう言って、私はバルコニーに出た。
認めたくはないけれど、ボンナの言う通りだ。私は色々なくだらないことをさせられているけれど、レッティはもっと大変だ。もし私が失敗しても、何度も何度も繰り返すことができるだろう。ロッサ・ベリア・アストラトゥ・フォン・ザウバーは替えがいないから。でも、レティシアは…どんな失敗でも追い出される可能性がある。
世界は馬鹿げた場所だ。人々は些細なことに過剰に注意を払い、本当に重要なことは放置する。その結果、私たちは周りの声に耳を傾けず、自分の頭の中に閉じこもって生きている。
外は気持ちよく、暖かい。息を吸うたびに、怒りが葉のざわめきに溶けていく。叔父様の城は丘の上にあり、そこからの眺めは奇妙で少し恐ろしい。小さな僻村が、北の森の暗く見通しの悪い壁の近くのくぼみに寄り添っている。陰鬱な巨木は今にも崩れ落ち、村人を暗い雪崩のように飲み込んでしまいそうだ…いや、やめよう、そんな恐ろしいことを想像するのはやめておこう。
私が話した帝国の三本の柱を覚えているだろうか?ランパラは王座に支配され、教会の影響を否定するのは愚か者だけだが、人々はとっくに魔法にひれ伏し、その恩恵のために働いている。ほら、城の周りは全て磨き上げられ、刈り込まれているし、門から村に続く道は柔らかいレンガで作られている。美しい!私たちは、地球が星から遠いみたいに、首都から遥か遠く離れているのに。つまり、魔法は帝国で最も高価な商品なのだ。人が何を言われようとしても、世界は金で動いており、金持ちは常に正しい。魔法使いは贅沢な暮らしができるだけでなく、自由だ…こほん、この言葉はいつも私を興奮させ、鳥肌が立つ。魔法は単なる稼ぎ方ではなく、マジで哲学なのだ。魔法使いはどんな注文を受けるか、誰のために働くか、働くかどうかを自分で決める。彼らはごく稀な例外を除いて、誰にも支配されない。
(バルコニーからの)私の立場から見ると、城から離れるほど、家は小さく、道は悪くなり、ゴミは増えていくのがはっきりとわかる。この村は、ランパラにとって魔法がいかに重要かを示す最良の例だと思う。
ん…あれは誰?丘の麓で、警備兵たちが奇妙な男を取り囲んでいる…
「ロッサ様?」レッティがドアを少し開けて顔を出し、その視線は私が予定より長くバルコニーにいたことをはっきりと示し、授業に戻る時間であることを告げていた。
部屋は「換気」され、空中に漂っていた怒りと憤りは跡形もなく消え、ボンナたちは偽りの笑顔を浮かべていた…まあ、それが彼女たちの仕事だ。時には怒りを爆発させるのも良い。喧嘩の後では、授業もそれほど難しく感じない。ああ、私の未来の夫は気の毒だわ、くすくす。
ドアが開き、母が駆け込んできた…一体何事!?
「アストラ、私と来るの!」
「え?ええ…」
私は衝撃を受けている!母が走るなんて!?ありえない!しかも、彼女は私の腕を掴んで、無理やり連れて行こうとした!これは淑女のすべての規則に反する!
***
ムレシュを驚愕させて目を丸くさせたまま、魔法使いは村の広場を通り、シンリノコの領地へと向かった。彼のフードからは手に負えない麦色の房が覗き、唇には謎めいた笑みが浮かんでいた。村人たちは日没前に寝ようとしていたので、彼が道で出会ったのは主にシンリノコの弟子たちだった。勉強もアルバイトも、若い魔法使いたちの溢れんばかりの若さを振り払うことはできなかった。充実した一日を終えると、彼らはグループになって集まり、酒やダンス、そしてその他の抑制の効かない娯楽で日中のストレスを発散させ、村を一種のアカデミー都市に変えていた。
多くの人々は今でも疑問に思っている:なぜシンリノコは首都からこんなにも遠く離れた場所に引っ越したのか。通常人はより良い場所を求めるだろう。なぜわざわざ文明の恩恵を自ら奪うのか?
魔法使いは目を上げた:柔らかいレンガが敷かれた道沿いに、柔らかい青緑色の光を放つ街灯が立っていた。彼が十歩も進まないうちに、全身を黒い布で覆った戦士たちが魔法使いを取り囲んだ。シンリノコは護衛にお金を惜しまなかった、彼らは南の精鋭だった。その戦士たちの訓練と規律は、プレトリアニ軍団の兵士さえも羨むほどだった。傭兵たちは武器を抜かず、静かに手を下げて立っていた。専門家だけが気づくことができる:彼らの中はまるで張り詰めた弦のようで、いつでも切れそうで、どんな侵略者にも必然的な死をもたらす。
プロの殺し屋たちを見ながら、魔法使いは肩を丸めて下げた。彼から先に話しかけるつもりはなかった。沈黙の待ち一分後、警備兵たちが道を譲り、この夜の静けさを破った魔法使いに老人が邀えた。彼は他の南部人と同様の制服を着ており、片肩には金色のシェブロンが飾られていた。しかし、同僚とは異なり、マスクを着用していなかった。
「残念ながら、若者よ、訪問に最適な時間を選んだとは言えませんな。」老人の声は穏やかで日常的で、彼は微笑んだ。
「私はシンリノコに挑戦しに来ました。」魔法使いは落ち着いて言った。
「あなたは予約をしていますか?」
「魔法の決闘には通知は必要ありません。法律にそう書かれています。」来訪者はため息をついた。相手の無知は彼を不快にさせた。
「それならば、」警備隊長は両手を合わせた。「自己紹介をして、謙虚な老人のエフェンディにあなたの書類を見せてください。」
「エンティヌス・ゼー」と、魔法使いはフードを脱ぎながら言った。
「ふむ」エフェンディは羊皮紙を見ながら言った。「教員免許、飛び級合格、最高得点…」
老人は熱心に巻物を調べているふりをしながら、目立たないように命令を出した:城に招かれざる客が来たことを報告するように。
「さて、すべて問題ありませんな」警備隊長はわざとゆっくりと羊皮紙を巻きながら言った。「ご案内しましょうか?」
「どちらでも構いません。」
城を囲む壁の頂上で、灯りが騒ぎ始めた。エンティヌスはため息をついた。
「何かお困りですか、若者?」エフェンディが聞いた。
「人混みは好きではありません。」
「それならば、尊敬すべき修士に挑戦するのではなく、遠くの山の洞窟にいる獣に挑戦するべきでしたな。」
魔法使いはそれ以上反論せず、ただ足早に歩き始めた。彼はできるだけ早くすべてを終わらせたかった。
***
決闘は城壁の前の広場で行われることになった。警備兵たちが輪を作り、即席の競技場を作った。見物人は大勢集まった:使用人、魔法使いの弟子、そしてただの野次馬たち。もちろん、ほとんどが城の主人を応援していた。見知らぬ者を罵る声が飛び交った。魔法の巨匠に挑戦した傲慢な者がいるという考えで、群衆を落ち着かせなかった。
松明の炎が揺らめき、寒気が漂い、見物人たちは油に水が弾かれるように道を空けた。彼らの間から、杖に重そうに寄りかかった人影が現れた。
「こんな遅い時間に訪れるとは、寝床に入ろうとしていた老人に何と大胆で無礼なことでな、若者よ。」修士は警備兵の輪の中に入りながら言った。
「決闘が始まる前にオーラで私を圧倒しようとするのは同じことでしょう、尊敬すべきシンリノコ様。」エンティヌスは言い返し、修士を支持する人々をさらに憤慨させた。
シンリノコは朗らかに笑い、それから杖を地面に叩きつけ、静寂を求めた。
「君は大胆だな!気に入った!しかし、君は魔法の決闘で近接戦闘が禁止されていることを知っているのか?」老魔法使いのフードの下から、いたずらっぽい笑みが覗いた。
「知っています。順番制の決闘ですね?」エンティヌスは右腕の袖をまくり上げた。普通の人の普通の腕。
「その通り、若者よ。法はすべてに優先する。」
「順番制の決闘」とは、持久力を競うもので、一人の魔法使いが攻撃し、もう一人が防御する。どちらかが降参するか、続行不能になるか、死ぬまで交代で行われる。
見知らぬ者と同じように、シンリノコも袖をまくり上げ、ルーン文字で覆われた皮膚と、お守りを結びつけた細い糸が通された指を露わにした。老魔法使いの腕の姿は、恐ろしくグロテスクだった。
同じ儀式的な動きで、魔法使いたちは懐からロジウムメッキの銀製のお守りを取り出した。
「神と大衆の前に…」エンティヌスが誓いを述べようとした時、修士が遮った。
「待て!決闘を延期しないか?」シンリノコはエンティヌスの腕を哀れみを込めて見て言った。普通の、魔法的でない腕を。
「施しは必要ありません。」
「しかし、君は全く準備ができていないし、深刻な怪我をするかもしれない!私の弟子になり、二十年ほど経てば…」
「対戦相手に優しすぎるのは、あなたの評判を傷つけるかもしれませんよ。」エンティヌスは冷たく指摘した。
「駄目か…」老人はため息をついた。
「神と大衆の前に、私は師の労苦と忍耐に応えることを誓います。」
「私は自分の名誉を守るために、対戦相手を尊重することを誓います。」
シンリノコが言い終えると、決闘者のアミュレットが光り輝き、彼らの間を絡み合う半透明のマナの細い糸が流れた。契約が締結された。
修士は手を上げ、人差し指を対戦相手に向け、お守りの一つが光り輝いた。観客が目を細めるほどの眩い閃光とともに、紺碧の白い炎の球が放たれ、エンティヌスは魔法の炎の中に消えた。ぴしゃりという音とともに呪文は終わった。
「おお!これは面白いぞ…!」修士は見知らぬ者が手を振って炎を払い、すでに反撃の準備をしているのを見て驚いた。
ビュン!
エンティヌスの手のひらから小さな青い球が飛び出し、空中にきらめく跡を残していた。シンリノコは両手を数回振ったが、球は簡単に彼の防御呪文を貫通し、マントのフードを吹き飛ばし、髪を焦がした。若い魔法使いの呪文は競技場の外に飛び出し、要塞の門にぶつかった。地面が揺れ、鋼鉄で覆われた重い門扉が内側に倒れた。衝撃波で倒れた人々のうめき声だけが静寂を破っていた。
「あなたの番です、尊敬すべき修士。」
シンリノコは優しく、心の広い人物として評判だった。彼はしばしば挑戦を受け、そのたびに修士は極端な手段を避けていた。対戦相手に深刻な怪我を負わせずに勝利することを好んでいた。その結果、元対戦相手は彼の弟子になり、学生の仲間入りをしていた。残念ながら、今日は居合わせた人々全員にとって、気絶戦術はうまくいかなかった。老人の優しさが裏目に出た。
もちろん、理由の一つは、対戦相手の珍しい外見だった。魔法は儀式の集まりであり、どんな魔法使いも何年も本を研究し、お守りを作り、複雑な線を描くことに費やさなければならない。修士のような魔法使いは、自分の体さえも傷つけていた。何も持たずにただ出てきて魔法を作り始めるなんて…ありえない。修士はエンティヌスを新米だと見て間違えた。
「私は…降参します。」シンリノコはあらゆる可能性を考慮して決断した。彼は理解した:次回、見知らぬ者はわざと外すようなことはしないだろうと。
高等魔法アカデミーを卒業した多くの人々は、若い才能に魔法の奇跡を伝えたいと願い、教師のコースに進んでいた。残念ながら、魔法使いギルドは何世紀も前から存在しており、尊敬される有名な教師は十分にいる。一部の教授は何百、あるいは何千もの若い才能を集め、最近免許を取得した人たちにチャンスを与えなかった。これは、アカデミーが教師間の決闘を正式に許可するまで、何度も対立を引き起こした。決闘に負けた魔法使いは、最高の弟子を勝者に譲り渡さなければならない。
エンティヌスは群衆を見回したが、誰も彼に微笑みかける者はいなかった。弟子たちは顔を背け、互いの後ろに隠れていた。誰でもが法律を知っていたが、偉大な修士から見知らぬ者の元へ行くことは…
「ダルタ、坊や…」
「いやだ!私を渡さないでください!」
修士が名前を呼ぶと、群衆の中から背が高く痩せた少年が飛び出してきた。鄙びた顔立ちと四角い顎から、すぐに地元の羊飼いの息子だとわかった。
「お願いです、懇願します!何でもしますから…」ダルタは師の前にひれ伏し、額を地面に打ち付け始めた。
「これらの決闘で、困難な時代が来た…しかし、誰もが法に従わなければならない。そうでなければ、意味がない。」老魔法使いはため息をついた。
「私が選んでもいいです。」エンティヌスは、羊飼いの頬に涙と泥が混ざり合っているのを見て提案した。
「この笑劇をやめなさい!」突然現れた女性が、そばかすだらけの赤毛の少女を連れて大声で言った。
「どういう意味ですか?」見知らぬ者は疑問を抱いて片眉を上げた。
「文字通りの意味よ!修士はあなたに才能のない者を押し付けようとしているの!」
「ベラ…」シンリノコは当惑で、唇だけで述べた。
「黙って、兄!あなたはどこまで堕ちたの…?あなたにとって「名誉」という言葉はもう何の意味もないの?」
「妹よ…」シンリノコは顔を歪め、その表情には恥、失望、怒りが入り混じっていた。彼はまるでぴしっとした平手打ちを食らったようだった。
「正直な人々の前で同僚に嘘をつくなんて…ここにいる誰でもが、あなたの最高の弟子が誰かって知っているわ!」貴婦人は優しく撫でるようにロッサの頭に手を置いた。
「それは本当ですか、シンリノコ様?」エンティヌスが聞いた。
「大変恥ずかしいことだが、そうだ。私の妹の娘…私は彼女を人前に出したくなかった。」
「もちろん、出したくなかったでしょ!アカデミーの教授たちはアストラの潜在能力を二つの満月と評価したのよ!彼女はただ賢く、美しく、素晴らしい教育を受けた女の子ではないわ!」ベラはわざと大きな声で、言葉と言葉の間に意味ありげな間を置いて言った。
「二つの満月だと!?」見知らぬ者は驚いた。
「想像してみて!それはこの屑ども全員を合わせたよりもずっと多いのよ!」貴婦人は修士を取り囲む弟子たちを細い指で軽蔑とともに指し示した。
ランパラの夜空には二つの月が見える:大きな白い月と小さな紫色の月。「魔法使いの月」と古代から呼ばれてきた二つ目の月は、この世界に奇跡を与えると考えられていた。高等魔法アカデミーは、古代の言伝えに従い、紫色の月の満ち欠けに基づいた評価システムを導入した。誰かが「満月」と評価された場合、その生徒はすでにアカデミーの誇りであり、どの教師にとっても魅力的な存在と見なされた。二つ持っている者はほとんど奇跡だった。
「兄、あなたの行動は私たち一族全員への唾棄よ。初心者に対し何もできなく、降参までした。臆病者!あなたはこれだけでも絞首刑に値するわ!」
ベラは修士の心に罪悪感を植え付け、容赦なく攻撃を続けていた。誰も介入する勇気はなかった。なぜなら、彼らはザウバーであり、ここでは最高権力を持っていたからだ。
「で、どうして黙り込んだの?忠告してあげるわ:称号を捨てて、神を怒らせないことね。敗北の罰を受けるべきなのは、十二歳の子供ではなく、あなたよ。もし見知らぬ者に私のたった一人の娘を渡すようなことをすれば、明日には帝国全体が「偉大な」シンリノコの真の姿を知ることになる…」
老魔法使いの周りの空気が渦巻き、彼は杖を強く握りしめたので指の関節が白くなった。
「地獄への道は善意で舗装されているというが、本当だな。」老人の目は鉛で満たされ、歯を食いしばって絞り出した静かな言葉は、ベラを後ずさりさせた。「ああ、私は臆病者だ、ああ、詐欺師だ、認める。しかし、背後からの一撃は予想していなかった。私があなたを酒と放蕩生活から連れ出したことを復習しているのか?」
「黙れ!」貴婦人は金切り声を上げた。
「黙るものか!目には目を、妹よ!」修士の体を覆うマナが重い瀑布のように流れ落ち、草の上に霜を残していた。「あなたの卑猥な行いと、私があなたを罪から救うためにここに引っ越さなければならなかったことを、皆に知らせてやる!」
「あ、あなたは…!」オーラの圧力でしゃがみ込み、ベラは震える手で娘を抱きしめた。
「あなたが首都でどんな生活を送っていたか、夫が生きている間に…まあいい、救うと約束したからには、どんな犠牲を払っても救ってやる。私の治療の爪から逃れることはできないぞ!エフェンディ!」
「はい!」警備隊長は、夜の闇から切り離された暗い布切れのように、修士の背後に現れた。
「妹を部屋に閉じ込め、彼女は自分の行動を反省し他たほうがいい。」
「承知しました!」
オーラに圧倒されたでさえ、ベラが反論しようとしたが、南部人は稲妻のように素早く行動し、彼女は口を開く暇もなかった。見知らぬ者は終始眉を上げて立っていた。決闘に勝った彼は、誰かの家族の場面を目撃することになるとは思ってもいなかった。
「全員、解散しろ...今すぐ」修士はほとんど囁き声で言った。見物人は逆らう勇気はなく、群衆は退散し始めた。
「叔父様!」シンリノコが横に倒れるのを見て、ロッサは駆け寄り、彼に手を差し伸べた。修士は途切れ途切れに呼吸をしていた:感情的な爆発に苦しんでいた。
「さあ、城に行こうか?」老魔法使いは提案した。
「申し訳ありませんが、私は彼女を別の場所で教えるつもりです。」
「きっとそうか?あなたの領地は私の領地に劣らないと確信している
が…」
「きっとそうです。」
「そっか…」
シンリノコは使用人が手厚く用意した椅子に重そうに腰を下ろした。彼には自分の子供がいなかったので、姪にすべての愛情を注いでいた。決闘に負けた修士は、エンティヌスを自分の城に迎え、アストラが成長するのを見守ることができると素朴にも考えていた。
「尊敬すべき修士、もしご迷惑でしたら、他の弟子を見てみましょうか…」
「若者よ、高貴なふりをするのはやめてもいい。あなたは真の力と比類なき技術を示した。私には目が利く。同情に訴えていると思わないでほしいが、アストラは私にとってこの世界の最後の希望の光だ。もしあなたが彼女の願いを叶えることができるなら、私はそれ以上のことを望まない。」
シンリノコはロッサを見て、彼の目の隅には涙が浮かんでいた。彼らは数秒間、お互いから目を離さず、今にも口にされそうな言葉を恐れ、意図的に避けられないことを先延ばしにしていた。
「叔父様…」
「私のかわいい姪よ…こほん。しかし、その前に、一つだけ明確にしなければならないことがある。あなたは本当に魔法を学びたいのか?」
「え?いいえ…あの、そうですけど…ダメですよね…」少女はつぶやき、不安そうに城の方を見た。
「あなたの母親とは、落ち着いたら話す。まずは自分のことを考えなさい。」
「で、でも…もし私が…」アストラはエンティヌスに目を向けた。決闘者のアミュレットはまだマナの流れで繋がっていた。「もし私が断ったら、叔父様は称号を剥奪されるでしょう!」
「あなたは優しい子だ。」修士は微笑みながら姪を撫でた。「他人のことを考えるのは大切だが、今日はあなたの運命が決まる日だ。だから、わがままになってもいい。ああ、弟子を渡すのを拒否すれば、私は修士の称号を失い、多額の罰金を科せられる…でも、いいんだ!もし私の愛する子が幸せなら、私は残りの人生を普通の老人として生きる覚悟ができている!」
「あの…それで…お二人は知り合いなんですか?」
「エンティヌスと?初めて会ったよ!」老人は一笑した。「私があなたに呪文に集中する方法を教えたのを覚えているか?注力して!余計な考えを捨て、自分の心に耳を傾けなさい。決闘の前に結ばれた契約は絶対的なものだ。今、彼からしか学ぶ権利がない。エンティヌスを拒否すれば、魔法使いになる可能性がなくなる。」
「わ…私は学びたいです…」アストラは裾を揉めていた、唇を噛み締め、言葉を紡ぎ出すのに苦労していた。少女は自分の運命を決めるのはこれが初めてだった。
「決まりだな!エンティヌス、せめてお茶でも飲みに来ないか?あなたのことをもっとよく知りたい。」
「またの機会に。私の領地の用事は急を要するのです。」
「おやおや、よくわかるよ…」シンリノコは首を振った。
「後で、彼女の荷物を送るための住所を書いた手紙を送ります。ここにテレポートはありますか?」
「はいはい、もちろん。魔法陣は村の外、森の近くにある…どうか、アストラを大切にしてくれ。」
「もちろんです。」
「一ヶ月後にロフォスで会おう、愛しい子よ。」
「うん…」
修士は一秒ごとに躊躇いを強めていたので、自分の考えに頷き、できるだけ早く立ち去ろうと急いだ。ショーは終わり、人々は退散し、城の前庭には二人が残された:若い魔法使いと小さな魔法使い。アストラはエンティヌスに背を向け立っていた、最後まで叔父様を目で追い、肩を震わせていた。
ついに、ハンカチで目を丁寧に拭き、少女は振り返った。彼女の表情は以前とは違っていた。家族の前では、若い貴婦人は緊張し、完全に服従している様子を見せていた。エンティヌスはそのような態度を受けるに値しなかった。小さい魔法使いは鼻を高く上げ、腕を組み、まるで痩せた駄馬を見るかのように見知らぬ者を見下ろした。
「行こうか?」エンティヌスは少し首を傾げて聞いた。
「もし紳士が命令する前に自己紹介をする気があれば、自分の良い名前に大きな恩恵を与えるでしょう。」少女は下唇を窄め、鼻を鳴らした。
「エンティヌス・ゼー。」
「はっ、それだけ?」
「かも…」
「家系も血筋もないの?なるほど…だからすぐにあなたが野蛮な愚か者だと気づいたわ。マナーも教育もない。それで…おい!どこ行くの?」
「行こう、時間がない。」魔法使いはフードをかぶり、村に向かって歩き始めた。
「ちょっと!私に着替えさえもさせてくれないの!?私はドレスを着ているのよ…!」
アストラは拳を握りしめ、片足を踏み鳴らしたが、すべて無駄だった。頬に浮かび上がった血管と上向きに尖った目の隅が彼女の怒りを十分に示していたが、師匠の背中は遠ざかり続けた。
「最低!」