初めての味
「ただいま」
どっと疲れた体を引きずりどうにか家へ着いた。新しく同居人が増えたが、その本人はソファで本を読んでおり返事はなし。
「夕飯はまだ片付けていないから勝手に食べろ」
「すごい。全部手づくり」
「家事と引き換えに住んでるんだから当たり前だ」
そうは言ってももっと適当かと思っていた。お味噌汁に生姜焼き。サラダも付け合わせもある。
机の上には献立の本がありそれを見たのだろう。サチが買って以降二回ほどしか活躍したことがないのに。
コンビニおかず生活のサチには夢のような光景だ。
「家事力は相当高いよね」
「お前のレベルが低すぎる」
そういうと袋をかかげるカイ。
無くしていたはずのネックレスやリップなどが入っている。
「やだもう何年も見つかってなかったのに」
「こんなもの1時間の掃除で見つかる。不潔女」
話し合い、もとい脅し合いの結果、期限一ヶ月の同居生活、その間は家事をしてもらうということで落ち着いた。
元の世界に帰るためには、治癒で使ってしまったガラス玉の光、もとい『光源』の力を貯める必要があるらしい。
力の源は意外にも太陽光と簡単に手に入るもので、カイが家にいる間は日当たりの良い場所にガラス玉が置かれている。
こちらの世界に来た目的に関しては、本当のところはわからないが、実験で間違えてきてしまったというカイの言葉を信じるしか今はできない。
だがこの傲慢でいかにも育ちが良さそうなこの男に家事を任せるのは、正直心配であった。
一通りは家電の使い方も教えたが。
「変な力で爆破されてもおかしくないかと」
「さっさと食べろ。お前を爆破するぞ」
ご飯を温めテーブルに並べるサチ。カイはもう済ませたようだ。
「いただきます」
お味噌汁に口をつけるサチ。暖かく優しい味だ。インスタントとはわけが違う。
生姜焼きの味も丁度良い。
「うん美味しい」
「・・・」
「ありがとう」
その言葉にカイは睨むようにしてサチを見る。
「これは条件にすぎない。お前のためにやったわけじゃない」
「わかってるよ。でも美味しいご飯用意してくれたんだから、別にお礼言うくらい良いでしょ」
なんてことないように言うサチ。
カイはそれをどこか怪しむように見ている。
豪華絢爛で広い部屋。その中央で一人、料理を食べる少年。部屋には少年以外いない。無表情でサラダを咀嚼している。
重い扉が開く音がして、男が一人入ってくる。
「兄様!」
少年は兄の姿を捉えると、口元をナプキンで吹き、立ち上がり本棚へ向かう。
書類を取り出しテーブルの横に立つ兄の元へと向かった。
兄は無言で受け取ると、パラパラと中身を確認する。
「よくやったな」
その言葉に少年の顔が綻ぶ。
「使用人は宴会の準備で来れない。もうしばらく食事の準備は自分でしなさい」
「はい」
男が去るのを見届けて椅子に座る少年。スープに無表情な自分の顔が浮かんでいる。
目を覚ますカイ。遠い記憶を夢見た気がした。
カーテンを開け小窓から陽の光を浴びる。
この世界は眩しい。
リビングに出るとサチが食事をテーブルに並べている。
「おはよう」
目玉焼きにベーコン、サラダ、トースト。テーブルには二人分が用意されている。
「昨日は初めてのことも多かっただろうから。明日からは朝ごはんもお願いするね」
席に着くサチ。カイはぼうっとその光景を眺めている。
「あ、一人で食べたかったら部屋に戻るけど」
「いや、いい」
席に着くカイ。
サチがいただきますと声に出し食事を始めると。カイもそれにならい食べ物を口に運ぶ。
「そういえばカイは食べれないものはある?アレルギーとか」
「そういったものはない。食べれればなんでも良い」
「そう、よかった。何も聞かずに用意しちゃったから」
「お前はあるのか」
「私もないよ、なんでも好き。あ、辛すぎるのは苦手かも」
時折、会話をして食事は進んだ。
味は普通であったとカイは思う。人によってそんなに変わる料理ではない。だが今まで味わったことのない感覚があるように思えた。
「これは何か特別な味をつけてるのか」
「ただの塩コショウだけど。変な味した?」
「いや至って普通の味だ」
「聞いといてそれ?」
味噌汁を一口飲むカイ。
「ただ」
食事はただの栄養補給。味もただ飽きないためのものと思っていた。
過去の食事風景を思い出すカイ。広い部屋に一人、スープを覗き込んでいる。
「いや何もない」
それから数日が経ち、カイは町のスーパーに来ていた。サチに通貨や支払いのことは教えてもらっている。
先日は料理本の通りに食材を買ったが、今日は少し悩んでいた。目の前にはカレーのルーが並んでいる。種類は多く、横にはスパイスが何種類もあった。
どれでもいいか、そう思い一番安いものを手に取ろうとする。
「あ、それコスパ悪いかも」
後ろから声がする。カイは気づいていたが。
「ああごめん、すごく悩んでいるみたいだったから。僕も今日はカレー用のスパイスを買いに来たんだ」
近づいてきたのは四十代くらいの男性。もちろん面識はない。
「これは安いけど一回で使う量が多くてね。甘口?辛口?」
知らない人間だが、少なくとも自分よりは詳しいはずだ。
カイは以前サチが辛すぎるのが苦手といっていたのを思い出す。
「辛すぎなければ良いらしいです」
カイの様子を見て表情が和らぐ。
「そうか・・・じゃあ、これの中辛がおすすめかな。あとはチョコひとかけらと、粉末タイプのコーヒーいれるとコクがでて美味しいよ」
「チョコレート?」
眉を顰めて聞き返す。
「意外でしょ」
「鈴木さんまだー?」
高い声がして振り向けば、派手な姿の若者がカートを引いて待っている。
「今行く。勝手にすみません、参考程度にしてください。では」
店長と呼ばれたその男はさっと商品を取り、その場を去る。
カイは言われた通りのカレールーを籠に入れた。
サチがパソコンの画面で資料を確認している。画面に映る時間を見れば時刻は17時。一呼吸して気合を入れなおす。
同じチームの同僚である林がサチの隣の自席に座る。まだ30と若いがチームリーダーも務めており、社内では注目の社員だ。
サチをチラチラと見ている。
「なんですか」
「遠田さんは今日急ぎの用事ある?」
「ないです」
「なんか焦っているように見えたから、まあ定時近いのもあると思うけど」
心あたりといえば家にいるカイの存在だ。最近はなぜかサチの帰りを待って一緒に食事をとる日が続いている。無意識にそのことを考えて待たせまいとしているのかもしれない。
それにカイの料理が美味しくて楽しみになっている自分もいた。
「すみません。集中します」
「いやそういうことが言いたいんじゃなくて。今日は金曜だし、もしだったら飲みでもと思ったんだけど」
「お誘いありがとうございます。でも夕飯があるので」
「夕飯・・そっか。急だから気にしないで。ごめんね邪魔して」
「いえ」
会釈をして仕事に集中するサチ。林はパソコンを見つつもサチの様子を時折伺う。
サチの部屋。サチはまだ帰ってきていない。
日はもう落ちていて、時計は9時を過ぎようとしていた。カレーはとっくに冷めており、冷蔵庫に入れられている。
カイは自分の分だけ少量温めてて口をつけるが、まるで味がしない。少なくしておいてよかった。一気にかき込んで飲み込むと、シンクに皿とスプーンを雑に置く。
キッチンにはチョコレートとインスタントコーヒーの殻が落ちている。
自分の寝室へと入り、勢いよく扉を閉めるカイ。ポケットから出したのはガラス玉だ。一時はかすかな光になってしまったが、この数日で少しまた光が戻ってきているのがわかっていた。
この力さえ手に入ればそれでいい。
カイは自分にそう言い聞かせる。
光がカイの手の中で力なく揺らぐ。
やっと仕事が終わった。定時近くなって仕事が増えるのが、この仕事永遠の謎である。
カイには家のタブレット宛にチャットしてあるが早めに連絡できなかったのが不安だ。一応今終わったことも連絡しておく。
荷物をまとめて席を立つ。残っているの林だけだ。
「では、お先に失礼します」
「僕も出るよ。電気お願いしても良い?」
「・・・はい」
駅に行くから仕方がないのだが、林と一緒にしばらく歩くことになってしまった。
途中でコンビニに寄って撒くこともできるが、早く帰りたい一心でこの時間を耐えることにする。
「ごめんね急に仕事振っちゃって」
「いえ」
「遠田さんは電車?どの辺に住んでるの?」
「電車です。ちょっと遠いですね」
適当に誤魔化す。
「あ、今日はここで飲む予定なんだ」
そう言って立ち止まる林。
駅まで行かないのか。ホームまで一緒だと少し気まずいので助かる。
「そうですか。ではお疲れ様です」
「ああ待って遠田さん。よかったら顔だけ出して行かない?」
「いやでも」
「遠田さん誘ってみるって言ったら、小川さんたちも喜んでたし、ちょっとだけ」
「すみません、今日は帰ります」
去ろうとするが近づきながら声をかけられる。
「じゃあ、いつだと良いかな?教えくれれば今日のメンバーに伝えておくよ」
しつこいな。飲み会のメンバーもわからないのに、行きたくないですといって変に伝えられるのも困る。
「それとも彼氏がうるさいとか?」
「は?」
デリカシーのない質問に思わず声が出る。はっきり言わないと伝わらない人だな。そう思い口を開けた瞬間。
「サチ」
最近ようやく聞きなれた声。だがその声がサチの名前を読んだことは一度もない。
同時に背中が重くなり、温もりが伝わってくる。気付けば後ろから抱きしめられていた。
現れたのはカイであった。
「え」
「遅くなるって聞いたから迎えにきた」
カイはサチの顔を覗き込むようにして、林に見られないよう目配せする。
「あ、あの」
その声にカイが林を見る。ひっと一瞬林が引いたのがわかった。どんな顔をしていたのかサチにはわからなかったが。
「会社の方?」
あくまでサチに尋ねるカイ。
「うん」
「そうでしたか。すみません、彼女は今日俺との予定があって」
「あのお二人は」
「恋人です」
食い気味に答えるカイ。サチはぐっと堪える。
「では、電車の時間もあるので失礼します。行こう」
富子の時と同じ、外向けの顔と声で手を引かれる。
少し歩いて林が店に入ったことを確認すると、その笑顔も消える。
「来い」
腕を引かれて進む先は路地裏。人通りは少ない。誰も見ていないタイミングでさらにビルとビルの空間に入ると、立ち止まり手を差し出される。
「俺の手を掴め」
戸惑うサチに、カイは強引に手を握る。
すると急に体が重くなる。ぐっと潰されるような感覚がすると、気づけば周りの景色が馴染みのある空間になっていた。
そこはサチの部屋だった。
「え、ええ!」
サチは驚き転びそうになるが、カイに腕を引かれてなんとか持ち堪える。
なんで。
尋ねようとカイの顔を見て、零れ出たのは別の言葉だった。
「・・ごめん、遅くなって」
「なぜ謝る」
「だって」
そう言いかけて辞める。寂しそうに見えたなんて言ったら、彼は拒絶するだろう。
「さっきはありがとう。ちょっと困ってた」
「お前のことだから、あのままだったら男が殴られてたかもな」
「失礼な、暴力は振りません。でも急に現れたからびっくりした。力は使って大丈夫なの?」
「このぐらいなら大丈夫そうだな」
しばらく沈黙が続く。
「夕飯、食べるか」
「うん」
出されたカレーを食べようとするが、なぜか目の前にカイが座ってじっと見ている。
カレーを口に運ぶサチ。
「どうだ」
「ん?美味しいよ。具材もたくさん入ってるし。辛さもいい感じ」
「抽象的だな」
「いいでしょ、美味しいんだから」
カイはその様子をじっと見ている。
本当に美味しそうに食べる。
サチがカイを見て言う。
「今日もありがとう」
カイはじんわりと胸の奥が苦しくなるような気がした。でも決して悪い気はしない。不思議な感覚だった。
「どうしたの?」
「いや・・・俺も食べる」
カイがスプーンを取ってくる。
「さっき食べたって・・ああ!」
サチの皿にのったカレーをすくい食べるカイ。
「一口大きいんだけど」
今度は味がする。さっきと同じ味のはずなのに。
「悪くないな」
「良かったですね」
変わったことといえば。
カイの目線の先に、自分の方に皿を寄せて食べるサチの姿がある。