第814話 どワンコ教授と殺人ピエロ
「怖かったんだぞぉ!! いきなり、いきなり部屋の中にドバーッと水が落ちてきて、天井まで届くくらいに溢れてきて!! それで、溺れるって思ったら、いきなり部屋の扉が開いて!! だぞ、だぞおおおおお!!」
「おぉ、よしよしケティ、怖かったね。けど泣かないの。大人の女なんでしょう」
「こんなの大人でも子供でも怖いんだぞ!! モーラ達がいてくれてほんとよかったんだぞ!! ぐすっ、ぐすっ、だっ、だぞぉぉぉ!!」
女エルフの薄い胸に泣きついて嗚咽を上げるワンコ教授。
大人の女性を常々強調する彼女だが、今回ばかりは相当な恐怖だったのだろう。それはもう、体力が尽きるまでくらいの勢いで、彼女は泣きはらした。
泣きはらして、すっきり、もう寝ちゃおうって感じ。
そんな状態になるくらい、彼女は泣き通した。
寝る寸前で、流石にと男騎士達が止めた。
ダンジョンで気軽に眠ろうとするあたり、やっぱりまだまだ子供である。
とにもかくにも。
「だぞぉ、なんにしても合流できてよかったんだぞ」
「ほんとね」
「こうも巧妙かつ壮大に幻術魔法を使われたとなっては、モーラさんの魔術でも打ち破るのは難しい。大切なのは、この魔術の根源についての理解と対策だ。ケティ、知恵を貸してくれないか?」
「任せるんだぞ!! こういう時こそ、僕の出番なんだぞ!!」
男騎士パーティに無事に合流したワンコ教授。
普段の冒険においては、男騎士たちの影に隠れてサポートに回る彼女。だが、今回はメインでこの階層の攻略に必要な人員だった。
早急に合流できたのはまさしく幸運。
男騎士も女エルフも、そして壁の魔法騎士も、まずは彼女に現状自分たちの知っている情報をすべて話した。
この洋館が何かしらの魔術で作られていること。
男騎士達が殺人ピエロ――ペニ○・サイズに拉致られたこと。
パステルカラーの少女趣味な服を着せられたこと。
女エルフがペニ○連呼に大激怒したこと。
「後半の説明は別にする必要なかったんじゃないかしら?」
「とにかくそういう訳で、この階層の主は殺人ピエロことペニ○・サイズに間違いなさそうなんだ。ケティさん、奴について何か知っていることはないか?」
「また、この館を作り出している魔法についてもだ。これだけ大がかりな魔術、現在では失伝されていて聞いたことも無い。過去にこのような魔法を使うモノ、あるいは、妖怪がいただろうか。何か知っていないか、山岳学術都市の考古学者よ」
「だぞ……」
ワンコ教授。
男騎士たちから出された情報に耳を傾けて、それを頭の中で整理する。
流石に本職考古学者である。
男騎士達に頼んで冒険者稼業に同行しているとはいえ、長年の研究で得た知識は、過去の大罪人とそれにまつわる物語もしっかりと脳の片隅に蓄えていた。
覚えていた、が、しかし。
その情報を与えられて、ワンコ教授が返した反応は、いささか男騎士達が想像していたものと違っていた。
「だぞ。ペニ○・サイズがティト達を襲うはずが無いんだぞ。ティト、ゼクスタント。それはきっと勘違いなんだぞ」
「……何を言っているんだケティさん」
「俺たちは確かに見た。殺人ピエロの顔を。あれは間違いない、伝説に語られている殺人ピエロ。その顔に間違いなかった。本や肖像画で見たことがある、ペニ○・サイズとそれはそっくりそのまま、同じ大きさ形そして堅さをしていた」
「だから、その、本名で呼ぶのは止めなさいよ!! あと、堅さってなに!!」
それこそあり得ないんだぞ、と、ワンコ教授。
いつになく声を荒げて、彼女は男騎士達の言葉を否定する。
彼女がそこまで言うからには、何かしらの理由があるに違いない。
男騎士、そして壁の魔法騎士、女エルフも一様に黙ると、難しい顔をするワンコ教授の次の言葉を待った。
考えに考えあぐねいている感じのワンコ教授。
おそらく、彼女にもよほど思うとこがあるのだろう。
ひとしきり唸った犬耳少女は、少し暗い顔をして、だぞと男騎士達にその葛藤の理由を語るのだった。
「まずはじめに話しておかなければならないことがあるんだぞ」
「話しておかなければならないこと?」
「前提となる知識の話か?」
「ペの字について、私たちが知らない事実があるっていうこと、ケティ?」
「だぞ、その通りなんだぞ」
女エルフの鋭い指摘に頷くワンコ教授。
考古学者の彼女は、当然この世界の人類史についてもそらんじている。
そして、その中に、伝説の大量殺人鬼――殺人ピエロも含まれていた。
また、彼女が席を置いていた山岳都市国家群にある大学では、このような歴史上の人物の研究が盛んであり、彼女もまた他の学科の教授たちとの交流の中で、その最新学説に触れることがあった。
そう、まさしく、問題の殺人ピエロについても。
「最新の学術研究によれば、殺人ピエロ――ペニ○・サイズの存在は否定されているんだぞ」
「……え?」
「……なんだって?」
「ちょっと待って。歴史に名を残した、誰でも知っているような犯罪人よ。それが存在しないって、それはいったいどういうことなの」
「だぞ。確かにモーラの言うとおりなんだぞ。しかしながら、ペニ○・サイズの伝承を追って行くと、多くの矛盾が発生するんだぞ。そももそも、彼はその生い立ちから、その死没までまったく謎のベールに包まれていて、なおかつ、生死すらも怪しい人物なんだぞ」
「……そういえば、ペの字の最後については、謎のままだったな」
「捕まらず、どこかに消えたという風に聞いたが」
「言われてみれば」
「だぞ、なので最新の研究において、ペニ○・サイズなる人物は存在せず、時代が見た一種の幻想――集団幻想に近いものだったのではないかと言われているんだぞ」
ワンコ教授から告げられた、殺人ピエロの真実。
男騎士、壁の魔法騎士、そして女エルフも、歴史についてはまるで素人である。
その降って沸いた最新学説に、彼らは何も言えずただただ黙り込んだ。




