第724話 ど男騎士さんと武士道
「……モーラさん」
「……ティト。おい、しっかりしろよぉ」
ホウライ島の浜辺に揺蕩う幽鬼の姿が一つ。月影を受けて打ち寄せる白波。その波濤の中に愛しき人の姿を探す彼の瞳は正気のそれではない。
なんとかレースの最中に正気を保った男騎士だが、やはり相棒の喪失は大きい。
いや、相棒ではない。
もはや女エルフは彼にとって、なくてはならない大切な伴侶であった。
冒険者である。
危ない仕事をしていれば、いずれそのような危機に陥ることはあるだろう。
そんなことはぼんやりと彼も覚悟をしていた。
けれども絶対にそんな辛い思いはさせないと、彼は固く決意していた。
なんとしても彼女の身の安全は守ってみせると誓っていた。
決意していたのに。
誓っていたのに。
「守れなかった。俺はまた、大切な人を守ることができなかった。俺は、俺は」
「ティト、おい、しっかりしろよ!! お前までそんなになっちまったら、モーラちゃんが!!」
言いかけて魔剣がはっと息を呑む。
男騎士の瞳が泪に揺れている。
月光を拾ったその冷たい滾りは、黒い相貌の中を濁流のように流れている。もはや男の顔ではない。悲嘆にくれる男騎士のその顔を、魔剣は見ていられなかった。
こんなにも人間は脆いのか。
いや、と、魔剣。
自分もまた、彼と同じように大切な人を失った。
失って、それを取り戻すために走り続けて、ついには人ならざる身にやつした。
自分もまたその頃には彼のようではなかったのか。
彼のように、心の中にぽっかりと空いてしまった洞を埋めることができず、悪鬼羅刹になり果てたのではなかった。
今や、男騎士の後見人として、彼の冒険に同道することを決意したかつての英雄は、彼がまた自分と同じ道を歩もうとしていることに歯噛みする。
肉体は滅び、剣にその魂を宿す身なれども、過酷としか言いようのない運命のいたずらに彼は天を恨んだ。
そう――。
「ふざけんなよ。クソ神どもが。全員揃いも揃って性格の悪い。どうしてこんな真面目な奴に、世界の命運なんてたいそれたものを背負わせやがる。どうして人に世界を委ねるとこの世を去った癖に、中途半端に介入しやがる。魔神シリコーンはお前たちと同じ存在だろう。なんでその尻拭いを俺たちに求める」
かつて、神の走狗として暗黒大陸へと乗り込み、導かれるままに剣を振るって魔女ペペロペを屠った。
そんな伝説の勇者が吐き出す呪詛。
神々への恨みごと。
しかしそれは、激しく打ち付ける波音の中にかき消された。
まるでそんな言葉に意味などないとばかりに。
世界を救った大英雄も、この世を去った神々も、どうしようもできない流れがこの世界には渦巻いていた。
そして、そんな残酷の渦の中に、男騎士は巻き込まれようとしていた。
「……モーラ、さん」
ふらりと男騎士の脚が波を踏み抜く。
遠浅の海に歩み出そうとした彼を見て、いかんと魔剣が瘴気を発する。
やはり彼は正気ではない。
今ここで、彼を死なせては、大海に消えた女エルフに申し訳がたたない。
なんとしても彼だけは守らなければ。
そう魔剣が思ったその時――。
「陸じゃ、陸じゃ、女子じゃぁ!!」
「ふほほほ!! ついに島からの脱出に成功したでおじゃる!!」
空気も読まずに野太い男の声がする。
なんだお前、こんなこっちはシリアスをしているのに。そんな気持ちを込めて、男騎士と魔剣が視線をやる。
するとそこには、ぼろい小舟に乗った侍と公家が居たのだった。
両名。
口調とは裏腹、見事なまでの爺であった。




