第624話 ど男騎士さんと冒険者
冒険者としては男騎士はもはやベテランと言っていい。
技能レベルは騎士の頃からの引継ぎであり、厳密に冒険者になったのはまだ十年を越えていない。
だが、騎士団に所属していた頃から、冒険じみたことはやっていた。
それこそ海を越えての遠征。
山岳地帯でのゲリラ戦。
時には密命を受けて少数精鋭での特殊任務。
リーナス自由騎士団は数を頼みとしない騎士団である。それ故に、どうしてもその活動内容も、冒険者に似通った所が出てきた。だからこそ、男騎士はすんなりとリーナス自由騎士団を去り、冒険者として生計を立てる道を選べた。
しかし、普通の騎士団はまた違う。
彼らは数を頼みとし、集団行動により最大の成果・戦果を引き出す戦略戦闘のプロフェッショナルである。故に、集団の外に出てしまえば、彼らの持つ技術や知識は途端に意味をなさなくなってくる。集団戦闘と、冒険で必要とされる戦闘技術は、同じ戦闘と言ってもまた意味合いが違ってくる。
たった一人の豪傑が戦場を駆けまわるより、弱兵が息を合わせてタイミングよく攻撃することの方が戦においては意味がある。
それを指揮する騎士が、己の腕だけが頼りの個人戦の世界――冒険者という生き方に馴染めるかと言えばそれは疑問符がつく。
それに青年騎士も気が付いている。
青年騎士の不安は、もっともなものだった。
そして男騎士もそのあたりについては思いやれるくらいには大人だった。個人行動が主流のリーナス自由騎士団から零れ落ち、流れるように冒険者になったとはいえ、苦労をしていない訳ではない。
近いようで遠く、遠いようで近い。生き方を変えるということの難しさを、彼もよくよく理解していた。
竿をひょいと引き上げて男騎士は船の縁にそれを立てかけた。
しばし、青年騎士にかける言葉を探して――彼は口を開く。
「難しい道だとは思う。剣技の腕だけでどうにかなるものではない。組織戦闘とはまた違う技術が求められる上に、少人数での連携などには相性も出てくる。仕事も不安定だし、常に結果を求められる。ようは実力と運だ。冒険者になるのは簡単だが、いろいろなものに恵まれなければ、冒険者をやっていくのは難しいだろう」
「……やはり厳しいでしょうか」
「言っただろう。実力と運だと。騎士としての修練により、ロイドはそこそこの剣の腕は持っている。もと中央連邦共和国の騎士という肩書もないよりはマシだろう。冒険者としての実績を早く上げて、それから優秀な仲間を見つけることができれば――あるいは早々にどうにかなるかもしれない」
「優秀な仲間を見つけられるかどうか、ですか」
「それと身の丈に合ったちょうどいい依頼だ。まぁ、騎士稼業と違って、冒険者稼業は死ねと言われることはない。自分の命を秤にかけて、無理ならば無理と逃げ出すことができる。気長にやるしかないだろうな」
男騎士は自分の素直な意見を不安そうな青年騎士に告げる。
おべっかも、過大評価もそこにはない。素直な、純然たる今の青年騎士に対する評価だ。
青年騎士にそれはよく伝わったのだろう。
自分のこれから歩む道のりが、非情に危ういものだということをしっかりと把握した彼は、鉄の竿を握り締めながら喉を鳴らした。
下手に希望的な観測を述べられるよりも、上手くいくと根拠のない言葉を貰うよりも幾分、分からないと素直に言われることの方が彼にとってもこの時は救いであった。
「結局、ティトさんもいい巡り合わせで生きているってことですか」
「そういうことだ。俺も、モーラさんはもちろんのこと、ケティやコーネリアさんと出会わなければ、今頃冒険者をちゃんとやれていたかどうか自信はない。いつだって、薄氷の上を歩くような、そんな心地さ」
「やっぱり大変なんだな、冒険者って。騎士団とはまた違うんだ」
「……けれども、自分の人生を自分で切り開く楽しみもある。なに、そう身構えるなロイド。まずは楽しめ。無理ならばその時また、生き様なんて考えればいい」
冒険者としての師ではなく、人生の師として後輩冒険者の肩を叩いた。
生き方は一つではない。男騎士とて、結局冒険者稼業の果てに再びリーナス自由騎士団に帰参し、今また世界の平和のために活動しているのだ。
人間は思うように生きられない。
けれども、生きられないほどに世間は冷たくもない。
どこかに生きる道はある。
こればっかりは、リーナス自由騎士団を飛び出して、今日という日までなんとか命を繋いできた男が胸を張って言えることであった。
男騎士が発した言葉の重みを青年騎士はしっかりと受け止める。
そうですねと呟いて、青年騎士は自分の鉄の竿を引いた。
それから、何かを振り切ったように笑う。
「騎士団に居場所がなくなり、どうやって生きて行けばいいのか分からなくなり、咄嗟にティトさんの背中を思い出しました。貴方のように、強く、そして逞しく生きることができたならばと、僕はそんなことを思ったんです」
「……ロイドならばできるさ」
「僕からすると、凄い人に思えるティトさんでもどうにかこうにかその日を生きるのに精いっぱいなんだ。それを知って、ちょっと――こんなことを思うのは変なのかもしれませんが、僕も勇気が湧きました」
精一杯、自分にできる範囲であがいてみます。
そういう青年騎士の顔には迷いの影はまだあった。けれども、彼らの頭上の中天の空のように、確かな明るさが滲み出ていた。
大丈夫。どうにでもなる。
そんな感じに男騎士がロイドに微笑みかける。
広い紅海の上で、師弟二人はこの時心を通わせた――。
「すもさん。なんだかお二人して大事な話をしているところすもさん。この釣り針を取ってくれんじゃろうか」
しかし、そんな絵になるシーンを、聞きなれない声がかき乱した。
それは青年騎士が手に握り締める釣竿――沖釣り用の鉄製の先から聞こえる。
どうやら本日最初の釣果は、人間の言葉を喋る何かのようであった。




