第619話 どエルフさんと目指せ東の果て
甲板。
やっぱり夢だったかという表情で水平線の果てを見ている女エルフ。
そして、いつも通りの落ち着いた顔つきでその隣に立つ男騎士。
明朝のことである。ワンコ教授は寝こけ、法王は朝の祈りに、新女王は慣れぬ船旅にまだまだ居心地が悪く胡乱な顔をしている。そんな中で、二人は冒険者らしく、これから向かう新たな冒険の地に思いを馳せていた。
穏やかな潮風が女エルフの髪を揺らす。
心地よさそうにその耳元を掻き分ければ、彼女たち種族の代名詞と言っていい、長く白い耳が静かに揺れた。
「まだ、東の島国に着くには時間がかかるのね」
「紅海は広いからな。まだまだ東の島国へ到着するには五日はかかるんじゃないだろうか。途中に中央大陸から来る船が寄港する島もあるから、そこで食料やらなにやら買い込んで――目的の冥府島に着くのはもっとかかるかもしれない」
「……ふぅん、大変なのね」
二度目の遠い航海である。
もっとも、女エルフも冒険者としては中堅どころ。船に乗ったことがない訳ではない。近海を移動する船には何度か乗ったことはあるし、北海を移動する前回の航海でも特にその船上生活に不便を感じることはなかった。
気になるのはむしろ――。
「ティト、貴方もしかして、紅海を渡ったことがあるの?」
この航海に際して、意外と平然としている男騎士の態度の方である。
新しい土地へと向かおうとするにしては、いささか落ち着いた態度の男騎士。もちろん、彼が簡単なことで狼狽える男ではないことは女エルフも知っている。
しかしながら、まるで懐かしい地に戻って来たような顔つきの彼。
その不自然なまでの落ち着きぶりに、彼女は少しひっかかりを感じた。
やはり分かるかという感じに苦笑いをする男騎士。
船の縁へと近づくと、彼は遠い水平線の向こうに何かを見ながら、そっとその唇を開いた。
「若い頃、リーナス自由騎士団の任務で一年ほど東の国へと向かっていたことがある」
「……待って、リーナス自由騎士団は中央大陸の危機に瀕して動く騎士団よね。なんでそれが海を渡って東の島国に行かなくちゃいけないの?」
男騎士がどこか超然としている理由は分かった。
しかし、そこから更にまた別の疑問が女エルフの心に浮かぶ。
そんなものかしらねと流してもいい所だったが――男騎士の公私共のパートナーである彼女としては、彼の過去についてそのまま流すということができなかった。
彼が語らない過去には、何か語らないだけのモノがある。
鬼族の呪いしかり。
リーナス自由騎士団しかり。
今回もまた、そんな事情があるのではないだろうか。
だとすれば今度こそ信頼して自分にそれを語って欲しい。
図らずとも彼女の声色には力が入っている。もはや彼女を自身のパートナーとして認めて周りに対して憚らなくなった男騎士は、そんな女エルフの気持ちを声から察して、優しく微笑み振り返った。
今度は隠すことはないとばかりに。
「すまない、そんな大したことではないんだ。東の島国で政変が起きてな。その結果いかんによっては、中央大陸にも影響が出るかもしれないということで、冬将軍に率いられて俺と姉さんが派遣されたんだよ」
「……へぇ」
「本来であれば、中央大陸に対して友好的であった旧政府側に与する予定だったんだが、まぁいろいろあって。現在、東の国を治めている新政府側に加勢したんだ」
あの頃の者は元気にしているだろうかと、屈託のない顔で言う男騎士。
後悔は微塵も感じさせないすがすがしい表情の彼にほっとしたように女エルフは胸をなでおろした。
どうやら、今回は何も心配することはないらしい。
となればそれで話は終わりなのだけれど――。
「よかったら聞かせてよ」
「うん?」
「なんでもいいから、聞かせて欲しいの。ティトが東の島国で経験したことを」
女エルフがまた髪を掻き分ける。
振り返った男騎士に微笑みかけると、彼女は彼女が知らない男騎士の昔の話をせがんだ。パートナーとしての当然の権利のように。あるいは、一人の女として、愛する人間の過去について知っておきたいというそんな感じで。
いつもなら一緒のワンコ教授も居ない。
小姑のような女修道士もとい法王もまだ祈りから帰ってきていない。
新女王は船倉の中で可哀想なくらいにえづいている。
偶然に訪れた二人きりの瞬間。
女エルフも男騎士も大人の男女である。あぁ、と、男騎士はその問いかけにすんなりと応え。女エルフもその言葉を聞き洩らさぬように、男騎士の隣に並んだ。
穏やかな朝の海を眺めながら彼らは語らう。
まだ知らない、お互いのことを――。
「新政府の主力は擦摩と御伽という小国でな。東の島国の中でも比較的僻地にありながら、対外的な貿易によって大きな力を持っていたんだ。彼らが中央政府でありながら長年の鎖国体制により疲弊した江路幕府にとって代わろうとした所から話は」
「待って!! ちょっと待って!! 言葉の響きは普通っぽいけど、なんだか字面が不穏な単語の連続にちょっと身構えさせて!!」
「擦摩のリーダーは、男の俺でもほれぼれするような逞しい男――性郷隆盛という立派な武将でな。副官もまた、大久派性介というこれまた頭のキレる男で」
「だから!! なんか言葉の響きは普通っぽいけど、字面が不穏なのやめて!!」
いや、女エルフはそう言うが、響きの方もいささか怪しかった。
ちょっとこれからの展開が心配される、そんな感じの単語の連続であった。
パロディ地獄が始まるかと思いきや、これはもしかすると違う地獄が始まるのではないか。女エルフは聞くんじゃなかったと、自分の浅ましさをしばし呪った。




