第611話 ど男騎士さんとリフレインババァ
「そうだ。もはや隠しても仕方ないだろう。俺は先王シャルルどのから、白百合女王国女王カミーラどのの世話を頼まれた。しかしながら、同時に世界を救わなければいけない宿命を背負っている。彼女を助け出すことはできても、ずっと世話をし続けることは実質的に不可能」
流れるような手つきで、カミーラが着ているズボンを脱がす男騎士。
露になる布おむつ。
使い込んでいるのだろうか、なんとなく黄ばみや茶けた感じがするそれの紐に手をかける前に、彼は車椅子の後ろに手を回す。
取り出したのはブランケット。
それを女傑が座る車椅子の手すりの所にふぁさりとかけると、周りから腰回りが見えないようにする。
見ている者が息を呑むような洗練された所作。
一流の仕事というにはまだほど遠い。
しかしながら迷いがない。
その一連の動きには、彼の仕事に対する並々ならない矜持が垣間見えていた。
男騎士。
彼は冒険者であると同時に仕事人である。
受けたからにはその依頼は必ず遂行する。
どれだけそれが自分の意にそわない者であったとしても。
もちろん、それが人理にもとるものであれば、一考の余地はあるだろうが、人助けならば全力を尽くすことをいとわない。
そのような潔さが彼にはあった。
そして、その潔さが命取りであった。
「故に考えた。どうすればカミーラどのの身の上を保障したまま、救うことができるのかを。答えは至ってシンプルだ。王政をつつがなく次代の者に継承させ、彼女を隠居させればいい。新しい女王の庇護の元、手厚い介護を受けさせてあげる。それが、俺が先王シャルルどのに約束した誓いを果たす、唯一の方法だと結論付けた」
「あーっ、あーっ。ティトさんやぁ、股のあたりがちょっと蒸れて痒くてなぁ」
すぐさま乾いた布と濡れた布を取り出す男騎士。
女傑カミーラの脇に腕を通して、ひょいとその身体を持ち上げる。わずかな時間で、乾いた布を女傑カミーラの尻の下に潜り込ませると、彼はゆっくりとブランケットの中に手を入れる。
ごそごそごまさぐることを数分。
汚物にまみれた布おむつを、可能な限り人目にさらさないようにコンパクトにまとめて取り出すと。入れ替わりに濡れた布を差し込む。
あぁあぁあぁと嬌声とは違う、浮ついた声と共にだらしなく女傑カミーラが顔を緩めて天を仰ぐ。それが納まると同時に、ブランケットの中から取り出された濡れた布と乾いた布は、またしてもコンパクトにまとめられていた。
再び丸められた布おむつとそれらを車椅子の横に置く。
阿吽の呼吸。すぐさま第二王女が、作業を終えた男騎士に、染みの薄い布おむつを手渡す。彼女の身体に触れないように、注意しながらそれを受けとると、男騎士は再びブランケットの中に手を突っ込んだ。
「人間は老いる。それはもうどうしようもないことだ。そして、このように手厚い介護を受けながら、生をまっとうできる人間というのはそう多くない。カミーラ女王の処遇はある意味では過分なことなのかもしれない。しかし、彼女を想う多くの人がいる。彼女に生きて欲しいと願う多くの人がいる。その現状で、出来うる限りのことをしてやりたい。それは間違いなく、先王シャルルとの約束を抜きにして、俺が思っている本心だ」
「あぁ、ティトさんや。もうちょっと、もうちょっと緩めにしてくれんかのう」
「……おばあちゃん。緩くすると横から漏れる可能性があるから。といっても、きついのはしんどいからな。どれ、これくらいで、どうだろうか」
「あぁあぁ、ちょうどええ。ありがとうや、ティトさん」
布おむつを巻き終えて、男騎士がブランケットを取り外す。
取ると時と寸分たがわず、同じように巻かれた布おむつ。
腰回りに通された紐は、女傑のリクエスト通り、きつくもなく緩くもなく、ちょうどいい塩梅にしめられていた。
そこにまた、男騎士はするりとズボンを通す。
手慣れた、文句のつけようのない、自然な手つきだった。
「どんな者にも生ある限り、その命をまっとうする権利はある。少なくとも俺はそう信じている。確かにひどいことをしたとは思う。梁山パークについても、エリィたちについても、とばっちりに思うこともあるだろう。だが、分かって欲しい。こうすることでしか、この女傑カミーラを――今やボケた老女とした彼女を生かす道はなかったのだ」
「ありがとうやティトさんや」
「また何かあったら遠慮なく言ってくれオバ――カミーラさん」
「そうじゃのう。それじゃぁ――実はまだちと残尿感が」
「オヴァアァアァアァアア!!!!」
目を綴じて絶叫する男騎士。
その前で、また、ほぅとなんだかすっきりした顔をする白百合女王国の女王。
せっかく着替えたというのにこの仕打ちはどういうことか。そんな心の叫びが声にせずともジューン山の青空に木霊する。
もう分かっただろう。
そんな死んだ顔をして、男騎士は女エルフたちを見た。
女エルフたちも、死んだ顔をして男騎士を見た。
「分かってくれただろうか。老人介護の大変さを。誰かがやらなければいけない苦労ではある。そして、逃れられない苦労でもある」
「……ティト」
「それが金と権力で解決できるのなら」
頼ったって構わないじゃないか。
男騎士はかつてないほどシリアスな顔をして仲間たちに言った。
まったく余裕のない感じで。
まるで、物語のクライマックスで、非情な決断をしなくてはいけない主人公のような顔だった。世界と身内を天秤にかけて、身内を斬り捨てることを選択した正義の味方のような顔して、男騎士は言い切ったのだ。
後悔、後ろめたさ、気後れ。
そんな物はない。
「ふざけるなッ!! 馬鹿野郎ッ!!」
とばっちり。
完全にとばっちり。
しとどに流れる涙の大河の中、開かれた男騎士の瞳には光はない。
完全に病んだ男の顔だった。
オババのために世界を敵に回すことを強要された正義の味方の慟哭。
哀しく、それが白百合女王国の青空に響くのだった。
「ティトさんやぁ」
「ごめん、ごめんよおばあちゃん。すぐにおむつを取り替えるから」
「すまないねぇ」
「……イインダヨ」
「……ティト、貴方」
「……疲れてるのよ」
「……だぞ」
もはや誰も、彼が背負った哀しみを癒すことなどできなかった。




