第483話 どエルフさんと彼女を縛る影
次の日も、そのまた次の日も、女エルフの身に巡ってくる生活は、最初の時と同じものだった。かつての彼女の生活。養母と暮らした幸せな日々、それを追体験するだけの数日が彼女たちの身の上を過ぎ去っていった。
なんの気づきも発見もない日々。
永遠に続くかもしれないと思われるその日常に、女エルフは徐々に疲弊していった。
最初の時と違い、彼女の心に溢れて来たのはあきらかな不安である。
いったい、このような生活を、どれだけ続ければいいのだろう。
十年、二十年、いや、寿命の長いエルフである。ともすれば、百年近く、このような生活を続けなければならないのではないか。それでも、答えに到達することはできないのではないだろうか。
そう思うと、女エルフは自分のしていることが途方もなく虚しいことのように思えて、どうしようもない気分になってしまう。そしてそんな彼女を決まって、第一王女が慰めるのであった。
母に言われて魔法の修行をする日々。
彼女に助けを請いに来る村人の求めに応じて畑を耕す日々。
字を習い、物語を聞かされ、人の営みについて学ぶ。
全てそれは彼女が中途半端に置いて来たもの。魔女ペペロペの介入により失ってしまったもの。それであった。
満たされなかったものが満たされていく。
幸せな日々。
そうであるはずであるもの。
しかし、女エルフの心は潮騒のようにざわめいて、決して安らぐことはない。
これはいったいどういうことなのか。母と一緒にいることで感じる、この途方もなく襲い掛かってくる、不安の正体はいったいなんなのだろうか。
おそらく魔女ペペロペが復活することがなければ、暗黒大陸に動乱の嵐が巻き起こり、それが中央大陸へと向かうこともないだろう。女エルフが今身を置いている歴史は大きくその舵を違う方向に切っていたはずだ。
多くの命が失われずに済む。第一王女の母も、魔女ペペロペの下着というひと悶着はあったかもしれないが、きっと平和な生涯を終えることができたに違いない。
なのに、なのに――。
「……退屈」
ぼそりと呟くように女エルフから出た言葉。
それは、夜中、女エルフと第一王女が、母からとあるエルフの英雄にまつわるおとぎ話を聞かされていた時に、不意をついて口から出たものだった。
そう、本当に、自然と。
それまで子供を装っていたのも忘れて。
何かに耐えかねるように、彼女は母の腹を背中に、そんな言葉を吐き出した。
少し間をおいて、自分の失言に気が付いて、彼女ははっと口を噤む。すぐに振り返ると、彼女の母は、変わらぬ慈愛に満ちた目を女エルフへと注いでいた。
「違うのお義母さん。あのね、ちょっと、眠たくなっちゃって」
「面白いお話じゃなかった? モーラはもっとこう、お姫様とかヒロインとかそういうのが出てくる話が好きだものね。それに、かっこいい王子さまやヒーローが一緒に出てくるような物語が」
「……えっと、そうじゃなくて!!」
「なんにしても、退屈なんて難しい言葉、よく覚えたわね。偉いわ」
よしよしと、女エルフの頭をかき混ぜるように養母が撫でる。
その手の感触までが、なんだか――正体もなければ理由もなく気持ち悪くて、女エルフは表情を翳らせて視線をベッドに向けた。心配そうに彼女に気遣いの視線を向ける第一王女だったが、その表情は彼女の瞳に映っていなかった。
女エルフが顔を背けたことに彼女の養母は気が付いてそっとその肩を抱いた。
もう、何を心配しているのと、金色の髪を掻きわけて彼女が養女の耳にささやくと、ようやく女エルフが口を開いた。
「何も心配してないの。こんな幸せがずっと続くのが、なんだか私は怖いの」
「幸せが続くのが怖い?」
「そう、怖いの。こんなに幸せな人生が、続いていいんだろうかって……」
精神的な時の部屋へと入ってから、彼女を苛んでいた闇を隠すことなく養母に告げる。それほどまでに彼女は追い込まれていた。
永遠に続くように感じられる幸せの時間。
いや、失われた母と過ごす日々。
それは確かに楽しいもので、それは確かに温かいもので、それは間違いなく女エルフが求めていたものだった。けれど、どうしようもなく、満たすことのできない何かが、彼女の中で悲鳴を上げている。
それがいったい何なのか分からない。
その時――。
「いいのよ、モーラ、そんな心配しなくても」
「……お養母さん」
優しく女エルフの頭をまた撫でる養母。それから、彼女は白桃のような色味をした愛娘の頬に、優しくそのピンク色をした唇を擦りあてたのだった。
ほわりと女エルフの鼻先をくすぐる養母の芳香に、懐かしさからまた、彼女が自分を見失いかけたその時であった。
「これまでもこれからも、ずっとお養母さんが一緒にいてあげるから。ずっとずっと、こうしてみんなで暮らしましょう。家族みんなで幸せに」
女エルフの時を動かす、その言葉が養母の口から告げられた。
その時、彼女は気がついた。ようやく自分の本当に気がついた。
超えなければならない過去とはなんなのか。いや、より正確には――彼女を縛り付けている幻影、その正体が何なのかを。
そして彼女が本当に求めてやまないものを。
超えなければいけない過去の幻影。いや、自分でも気が付くことのできなかった、内なる自分の求める声に、ようやく彼女は気が付いたのだ。
「違う」
「……モーラ?」
「……お姉さま?」
「私はそんなことを望んでいる訳じゃない。お養母さんを助けられなかったことを悔やんでいるのは本当。けれども、そうじゃないのよお養母さん」
「何を言っているの、モーラ? いったいどうしたの?」
「私が望む未来はそうじゃない。貴方と一緒にいることじゃない。この村で、一生を過ごすことじゃない」
一つ言葉を紡ぐ毎に、彼女の体が大きくなっていく。
幼女から少女へ、そして、一人前のエルフへと成長していった彼女。
そんな彼女は、暗い子供部屋の中に立ち上がって、娘の急激な成長に目を剥いている母に向かって、きっと力強い視線を送った。
その視線に迷いはない。
「私は、今の冒険者の生活を気に入っている。ティトとバカやるのも、コーネリアにセクハラされるのも、ケティにいろいろ教えてもらうのも、全部全部かけがえのないもの」
「……モーラ? 何を言っているの?」
「お義姉さま!!」
その揺るぎない信念が宿った声色に、第一王女が声を上げた。
心配をかけたわね、と、女エルフが笑ったその時――。
「その通りだ!! モーラさん!!」
子供部屋の扉を開けて、この時空に存在するはずのない男が飛び出してきた。
全裸。そして、股間に魔剣エロスを挟んだそいつは、そう――。
ムワァと、男戦士臭い奴。
「ティト垣ニシパ!!」
「運命は変えられる!!」
ティト垣ニシパであった。
「うぉい!! こんな大事な場面でなんで出てくるな、このアホ男戦士!!」




