第110話 どワンコさんと武者修業
男戦士たちが拠点としている街からそう遠くないところにあるダンジョン。
古代人たちが居住区として使っていたと思われるそこは、スライムや戦闘蟻などが定期的に沸く場所で、若手冒険者たちの腕試しの場として、また、素材集めの場としてよく知られている場所だった。
と、そんなところに、ベテラン冒険者の男戦士たちがやってきたのは他でもない。
パーティ内で一人だけ戦闘技能を持たない、ワンコ教授の訓練のためだ。
「だぞ。やっぱりやらなくちゃダメなんだぞ?」
白衣の下にレザーメイルを着こみ、手にナイフを持った彼女は、少し不安げな顔をして後ろを歩く男戦士たちに尋ねた。
「ダメだな。何かあった時のために、ケティにも戦士技能のレベルを上げておいてもらいたいんだ」
「賢者技能と野伏技能は申し分ないんだけど、どっちもサブスキルだからね。戦闘系のスキルを一つでも持っておかないと、この先厳しいから」
「ファイトですよ、ケティさん」
だぞ、と、肩を落とすケティ。
このパーティとしばらくたびをしたいと言い出したのはワンコ教授だけに、何も言えずに、彼女はしぶしぶとナイフを構えた。
うねうねと、前からやってきたのは、小型――といっても野良犬サイズ――の戦闘蟻だ。黒光りする足をワシワシと動かすと、シャァ、と、モンスターは鳴いた。
ダンジョンで出てくるモンスターの中では、雑魚に分類されるそれだが、いつも後方待機をしているワンコ教授からすれば、はじめて間近に対峙するモンスターである。
「や、やっぱり怖いんだぞ、ティト」
涙目になって振り返るワンコ教授。
助けてくれと懇願するその表情は、彼女の幼い容姿と相まって、女エルフと女修道士の心をぐさりとえぐった。
しかし、男戦士は違う。
「戦闘中によそ見をしてはいけない!! 大丈夫だ、戦闘蟻は初心者が相手をするのに十分にのろまだ。不意を突かれたり、大群で押し寄せられない限り負けはしない」
「本当なんだぞ? 大丈夫なんだぞ?」
「大丈夫だ。ただし、後ろに回り込むと尻尾から酸を吹きかけてくるから気を付けろ。なるべく側面をとって、少しずつその足を払っていくんだ」
腕を組で力強くそう言う男戦士。
その姿からは、泣き言ひとつでは一歩もその場から動かないという彼の覚悟が見てとれた。
ワンコ教授も覚悟を決める。
男戦士に言われた通り、慎重に戦闘蟻の側面に回り込む。すぐに回転して正面を向こうとした戦闘蟻の前脚を、えい、と、彼女はナイフで切り裂いた。
硬い蟻の外骨格がナイフの刃を弾く。
「ダメだ、足の節くれを狙うんだケティ!!」
「そんなの、言われてもわかんないんだぞ!!」
そんなやり取りをしているうちに、ワンコ教授の正面を向いた戦闘蟻。
シャアとその上あごを開いた姿に驚いて、ワンコ教授はその背後におもわず回りこんでしまった。
すぐさま、戦闘蟻の尻尾が震える。
しりもちをついたワンコ教授に酸の鉄砲の照準が重なったと思ったその時だ。
「ふんっ!!」
その胴体を切り離すように、戦闘蟻に上からとびかかった男戦士が、剣を振るった。
ぎぃ、と、昆虫特有の鳴き声を上げて絶命する戦闘蟻。
ほっとその姿に胸を撫で下ろしたのは、ワンコ教授と女エルフたちであった。
やれやれ、と、男戦士もつられて頭を掻く。
「これは鍛えるのに時間がかかりそうだな」
「だぞ。申しわけないんだぞ」
「いいさ、誰でも最初は素人なのだ。それになにも剣の達人になれと言っている訳じゃない、身を守る程度なら十分ケティでもなれるさ」
元気なくしょぼくれていたワンコ教授の頭を、がしがしと撫でる男戦士。
そんなやり取りで少しは元気が出たらしく、次こそはうまくやってみせるんだぞ、と、彼女は立ち上がってみせたのだった。
「スパルタですね」
「ねぇ。まぁ、あいつなりに、パーティのことをおもいやってんのよ」
「モーラさんも、冒険者になった時は、ティトさんに訓練を?」
「私は狩人技能を持ってたから、教えてもらったのは冒険のノウハウくらいね――」
と、女エルフは冒険し始めたころのことを思い起こした。
『モーラさん。女エルフが一人でギルドに依頼を受けに行くと、高確率でスライムや触手系のモンスター討伐を依頼されるから気を付けるんだ』
『オーク系のモンスターに遭遇したときは、慌てず騒がず、ゆっくりとパンツを見せないように後退するんだ。オーク系のモンスターは基本、性的な興奮を与えなければ、人間やエルフに興味を抱かないぞ』
『お金に困ったら、道具屋に行って村人の服を試着をするんだ。理屈はよく分からないが、エルフが着ると女エルフの服になって、倍の値段で売れるようになるぞ』
『酒場にたむろしている男たちは、娼館とか会員制クラブに行かずに夜をあかす奴らだから結構まともで初心だぞ。気のあるそぶりでも見せたら簡単に勘違いするし、キョドったりするから十分に気をつけてあげるんだ』
「――ろくなこと教えてもらった記憶がないわ」
遠い目をして女エルフは言った。




