4話
とても更新が遅い
セレスが息を引き取って早二週間が過ぎた。唯一無二の存在を失ったアイリスは、セレスの遺体を埋葬してから家の中から出ていない。木々が雪の重みに耐えられなくなった音、暖炉で火の粉が弾ける音、自身の呼吸音。それだけが世界を満たす中、アイリスは重度の無力感に押しつぶされていた。
何故セレスは急激に老いたのか、なぜそれを相談してくれなかったのか、そもそも彼女は何者だったのか。気になることは多かったが、それでも追及する気にはなれなかった。母を失った喪失感が頭の中を占めていたから。
16年間、セレスと顔を合わせなかった日はなかった。毎日が彼女とともにあった。
幼き日の思い出が映像作品のように頭の中で繰り返される。そのどれもが白銀の女性に彩られていた。温かい思い出に包まれて、何時からかアイリスは夢を見ていた。
____________________________________________
「ねえセレス、セレスって人じゃないの?」
ああ、懐かしい。これは初めて角と尾をもつ彼女の正体に違和感を持った日の記憶だ。
「そうだな、確かに私は人間とは違うよ」
「じゃあセレスって何なの?トカゲ?」
「そんな訳ないだろう、あんな奴らと一緒にするな。私は……そうだな、何時か言わなきゃ駄目になったら教えてやる」
「いわなきゃいけない時って?」
「お前が人里に降りて他の人と暮らすことになった時とか、誰かが私達に危ないことをしようとした時とか、あとは…私が死んでしまった時とかかな」
「じゃあわたし、一生セレスの正体わからないね。ずっと一緒だもん」
「ああ、そうか、そうだな。…じゃあ16歳だ、16歳になったら教えてやる」
「ほんと⁉じゃああと10年だね。おぼえといてよ?」
____________________________________________
「16歳……」
アイリスは目覚めると、一言だけ呟いた。10年前のその記憶は朧気だったのだが、今になってはっきり夢に見た。16歳になると正体を明かすというその約束はセレスは覚えていただろうか。いや、覚えていた筈だ。何しろ彼女はアイリスとの約束を破ったことは一回もないのだから。
今この瞬間、アイリスは再び生きることにほんの少し価値を見出した。
「メモとか、ないかな」
蹲っていた体を起こし、ふらつく足で踏ん張り、家の各所に散らばるメモを集める。そのどれもが『魔獣』・『魔法』・『スタンピード』などと書いてある。アイリスはセレスからこの言葉を学んでいるが、今はどうでも良かった。セレスが残した筈の意思、それを一刻でも早く見つけ出すことが何よりも大事だった。既に目を通したメモは積み、テーブルの上に置く。そしてまた別のメモに目を通す。しかし母屋にあった紙にも本にも何も書いていなかった。
「ここにはない、……研究室かな」
小さく呟くと、アイリスは金属製の義足を嵌める。義足を観察すると、金属の部分は所々錆び付いているのが見て取れた。この義足はセレスが作ったものであり、型取りも制作も全て一人で行っていたらしい。アイリスはそれを思い出すと、本当に自分の母は何者なのかと二週間ぶりに微笑む。
隣の研究室は冷え込んでいて、大量の本には埃が薄っすら積もっていた。そのうちの一冊を手に取ると、その中には植物のスケッチや見たことのない怪物の詳細が書かれていた。本を置くと、部屋を改めて見渡す。一面が本でいっぱいだ。
(これは骨が折れるな)
溜息を一つつくと、アイリスは近くにある本に手を伸ばした。
____________________________________________
「あぁ…見つけたよ、セレス」
『親愛なるアイリスへ』と書かれた紙をアイリスが見つけたとき、捜索開始から2日は過ぎていた。紙はセレスが最後の眠りについた机の上にある本の平積み、その一番上の本の上に置いてあった。
見つけた瞬間アイリスは足の力が抜け、その場にへたり込んでしまった。そのまま数瞬の間座り込んでいたが、喉を鳴らすと握りしめた手紙を震える手で開いた。