2話
二人の家は大陸の西端の山にある為、滅多に人と会うことはない。たまに衣服や生活用品を調達するために隣の港町に足を運ぶが、それも半年に一回だ。
自給自足の生活で、左脚のないアイリスは基本家事と植物の栽培を行っている。セレスは反対に身体能力が高いため、鹿や野兎の狩りを行っている。しかし、家事は殆ど行わず基本何かに追われるように研究室に引き籠っている為、
「アイリス、飯は何時だ?」
「もうちょっとで出来るから急かさないでよ」
「早くしてくれ、時間は有限だ」
完璧なダメ人間になった。最早娘にさえ、「町にいた小さい子供みたいだ」と呆れられている。これでも一人でアイリスをここまで育てたのだから、もう少し頑張ってもらいたいところである。
義足をはめたアイリスが野草と兎肉のスープを出すと、セレスは黙り込んで食事に移る。アイリスも同時に食事を始め、セレスが黙って顔をほころばせておかわりを希望する。アイリスが器を受け取り、スープをよそいセレスに手渡す。そして笑いながら言う。
「今日も旨いな」
何時もの食事風景だ。季節によってスープの具は変わる。しかし朝食がスープなのはアイリスが火を扱えなかった頃も、セレスが家事を手伝っていた頃も、アイリスが一人で料理をし始めた頃も変わらない。いつも二人でスープを飲むことは変わらなかった。
だからだろう、アイリスには一人で朝食を摂る日が来るなんて思えなかった。
最初は気のせいだと思っていた。セレスは日に日に朝起きれなくなっていった。何回体をゆすっても中々起きなかった。朝食も上の空になるようになった。ある時から獣を狩れなくなり、息が切れるようになった。
アイリスには分かっていた。セレスの綺麗な顔に皺が刻まれていっていることに、尾から生える銀の鱗が輝きを失っていることに。
半年でセレスは皇帝の妃の様な美しい中年の女性になった。髪からも艶が失せていく。アイリスは何も聞かず、セレスも何も言わずに研究室に引きこもった。夏だ、今日は罠にかかっていたイノシシのスープだった。
秋になるとアイリスも研究室についていくようになった。セレスの顔には皺とともに愁いを帯びた表情が浮かぶようになった。アイリスは無言で資料を渡す。セレスも何も言わず受け取った。今日は川を上ってきた鮭を入れた。
季節が一巡するとセレスは研究室に行かず、暖炉の炊かれた母屋のベッドで過ごすようになった。手には紙か本がいつもあった。見事な銀髪はいつの間にか白くなっていた。
ある日、セレスは昼前まで起きなかった。アイリスは兎と野草のスープを食べた。隣には鱗の禿げた尻尾が垂れ下がっていた。それから一週間、アイリスはスープを一人で飲んだ。
朝起きたらセレスはいなくなっていた。アイリスは研究室まで行った。埃臭い部屋の中を進んだ。散乱した紙を踏まないようにした。壁のような紙束を避けた。インクの臭いがした、ミミズがのたくったような字の先頭にペンがあった。
一枚の紙の上に、突っ伏して寝る女性がいた。痩せた肩を掴み、揺すり始めた。
「セレス、朝だよ」
髪の薄くなった頭も連動して動いた。
「起きて、スープ作るよ」
垂れた両手も揺れた。
「ねえ、起きてよ。スープ、美味しいんでしょ?」
深い皺の刻まれた老婆の横顔が見えた。
「セレス……」
アイリスは肩を揺らすのをやめた。その代わりアイリスの肩が震え始めて、母の背中にしがみ付いた。喉を震わせて泣いた。もう彼女を心配する声も、呆れたようなため息も聞こえなかった。
セレスの背中は残酷なまでに冷たかった。
誰だよ俺に〇廻りと高野〇一のさくら勧めたの