1話
「……ん、うぅ、朝、かあ」
あの夜からどれ程日は昇ったのだろうか。日が昇らないうちに10代半ば程の一人の少女が山小屋で目を覚ました。赤い長髪はよく手入れされていて、故に朗らかな琥珀色の虹彩が良く映えている。伸びをして起こされた身体もスレンダーで均衡が取れている。端的に言うと非の打ちどころのない美少女だった。
「ん-…あれ、杖どこ?……ああ、あったあった」
しかし、「よいしょ」という掛け声と共にベッドから顔を見せたのは右脚のみで、それに違和感を感じない様子の少女はそのまま杖を突き、上着を手に取って『母』のもとへ向かう。
母と少女が暮らす少し離れた場所に小屋はもう一つある。母が『研究室』と呼ぶ場であり、少女は進んで立ち入らないのだが、たまにこうしないといけなくなる事情があった。
小屋を出て最初に感じるのは何よりも寒気だ。まだ冬の冷気はそこまでではない筈だが、日光の当たりにくい森林ではより寒く感じる。
「うぅ、寒いー、あの夜を思い出すなー」
盛大な独り言だが何の反応もない。その後も何やらぶつくさ言いながら歩くこと約2分。少女がいたものより一回り小さな小屋が見えた。ノックもせずに少女が木の扉を開くと、中は御伽噺の研究者のものだと言われても納得できそうな様相だった。
壁一面を飾る本棚に、山と積まれた紙束に何かしらのスケッチ。何とも言えない臭いが漂っていて、床を見ればくしゃくしゃの紙ごみが散乱している。何か切羽詰まっているかのような散らかり具合だ。しかし、これはまだ良い方であり小屋の奥にある机はその最たるものだった。
壁を作るように置かれた資料の数々に、数少ない白紙の上にあるインクは残り少なく、それも殆ど乾いている。どう考えても臭いの原因はこれだ。それに加えペンもミミズがのたくったような字の先頭付近に転がっている。
極めつけはそこに突っ伏して寝る女性だ。図鑑のような本の上に寝ており、美しくはあるが隈が出来ている。誰が見ても分かる不健康さだ。少女は右手でそんな女性の肩を掴み、ゆすり始めた。
「セーレスー、あーさでーすよー」
「ん、ぐうぅ、ああ?…はあ、アイリスか」
「まーた机で寝て、腰痛めるよ。いつものことだけど」
謎の抑揚と共に揺り動かされ不機嫌そうに目を覚ましたのは幾年か前赤子を拾った角のある女性であり、今はセレスという名で赤髪の少女____アイリスの母親を務めている。
ある夜セレスが拾った赤子、もといアイリスは彼女の養女となり今まで育てられてきた。
普通の母子ではないのだろう。山奥に二人で暮らし、血のつながりはない。なんだったら種族さえ違う有り様だ。見るものが見れば歪とさえ言えるこの関係だが、愛情と絆は本物だ。
その証拠に、面倒くさそうなセレスの新緑の瞳にも、おちゃらけたようなアイリスの琥珀の瞳にも慈愛の光が灯っている。
何でもない、しかし愛おしく、手放せない人なのは両者ともに同じだった。