どうして西洋の真似を?
近代以降の日本の詩のルーツは西洋の詩にある。明治の先人たちは日本には詩が無い事を知っていた。だからこそ西洋の詩を日本語に輸入出来ないかと考えて、躍起になった。結局このとき新体詩に始まった試みは挫折し、目標は達成されないまま放棄された。
西洋詩は、日本の詩が到達すべきゴールを既に持っている。漢詩を日本の詩とするなら、日本の詩も例外ではない。だが、そもそも西洋詩を継承した上で日本語の特徴を活かした「漢詩以外の」詩を作り上げる事が、元々先人たちの崇高な悲願であった。にもかかわらず、後続の多数派が、言語的にそぐわない云々と理由をつけて、工夫も努力もしない事が当然であるかのように決めつけ、詩とは到底言えないものを詩と呼ぶ様になり、現在に至る。
【どうして西洋の真似を?】
それはそもそもはじめから、西洋言語の詩みたいな
日本語の詩はどうすれば書けるか悩むところから、
今の流れは始まった。だから西洋詩はすべて、
日本語詩から見てみれば、元祖のようなもののはず。
であるにも関わらず、気にも止めない人ばかり。
西洋詩の事知らないで、自分だけしか分からない、
「詩」しか書けない者ばかり、増えて本質見失う
日本語の詩の将来は、お先真っ暗間違いない。
と最近までは思ってた。しかし世の中なかなかで、
まんざら捨てたものじゃない。新たな担い手登場し、
希望の光が見えてきた。彼らは日本の外にいて、
真摯に勉強続けてる。西洋言語はお手の物。
詩学に馴染み、韻を踏み、明治の文士が目指してた、
形に近づく試みも、今までよりは進むはず。




