詩学の役割
詩学は元々詩を読む為の学問である。詩学を理解しなければ詩を書く事は出来ないかというと、必ずしもそうではない。だからといって排除して良い物でも無い。そもそも自分の思いや考えを述べるだけなら散文を書けば良いのだ。実際、現代の日本で「詩」と称されているもののほとんどは句読点や改行を省いただけの、出来損ないの散文と何ら変わるところがない。萩原朔太郎こういった物が広く出回ったとき、これ等を「出鱈目」と称した。
詩学が定める詩のルールや作法は、自由な創作を制限したり枷になったりするものではなく、むしろそれを守れば誰でも「読んでもらえる」詩を書ける様にする為にある。
【詩学の役割】
詩学詩学と言うけれど、なんぼのもんじゃと語る人。
日本の詩人に多いのは、決して気のせいなどじゃない。
元々口語自由詩の、書き手の多くは素人で、
勉強嫌いで傲慢で、やる気もないから当たり前。
詩学は詩を読む学問だ。だから詩学を中心に、
書き手と読み手は繋がって、一緒に世界を創り出す。
それを拒む人は皆、独りよがりの独断で、
好きな言葉を並べては、自己満足に浸ってる。
盛りのついたけだものが、思いのままにうぉううぉうと
吠えたてるのと変わらない。そう言ったのは朔太郎、
口語自由詩提唱者。理想に破れて晩年は、
文語定型詩にすがり、後輩からも揶揄された。
詩学が唱える詩のルール。勉強しない書き手ほど、
縛りと言って忌み嫌う。しかしホントにそうだろか。
スポーツ、音楽、絵画にも、ルールや基本が存在し、
みんな厳しい修練に、耐えて実力つけてゆく。
ルールは縛りの道具じゃない。ルールがあるからみんなして、
詩境を分かち、高め合い、ホントに良いモノ作り出し、
書き手も受け手もお互いが、同じ土壌で分かり合う。
ルールのせいで書けないと、言うのは工夫をしないだけ。
創造力は縛れない。ルールでしぼむ位なら、
いっそなんにもない方が、悩まなくて良いだろう。
ルールは詩作を整える。ルールにすがればいっぱしの、
詩を書くことも夢じゃない。しっかり詩学を知り抜いて、
良い詩を沢山書いてみよう。1000年先まで残るかも。