79話 宿を出る日
翌日、ボクらは宿を引き払う事にした。
「あんた達、もう出ていく気なのかい!?」
宿の受付で女将さんに話を切り出すと、目を丸くして驚かれてしまった。
支援期間が終わるまで、まだ半月も残っているのだ。
それも無理のない話か。
「うん、急に新居が決まっちゃったから……」
「みんなで相談して、新しい環境に早く慣れた方が良いだろうって話になったんです」
「俺はもうしばらく、宿の生活を楽しみたかったんだけどな」
「シロウのエッチ……」
「ち、違ぇって! 別に相部屋じゃなくなるのが寂しいとか、そんなんじゃねぇからなっ!」
毎度のようにギャアギャアと騒ぐボクらを見て、女将さんの顔が少しだけ寂しそうに陰ってしまった。
だけど、それも僅かなこと。
彼女は直ぐに、元気な仕事用の顔を取り戻していた。
「部屋の荷物を片付けたら戻っておいで。解約手続きをするからね。あと、今日の宿代はもう引き落とされてるから、コレは返金だよ」
そう言って、女将さんはボクらに銀貨を一枚ずつ手渡してくれた。
「それじゃ、直ぐに片付けてきますっ」
「そんなに急がなくても良いからね~」
「はーい!」
ボクらは二階へ駆け上がると、それぞれの部屋へと別れた。
――――約二週間か……。
思い返すと、ここへ来てからの生活は、とても濃密な物だった。
だからか、実際に過ごした時間よりも、ずっと長く居るように感じてしまう。
二週間なんて、普段ならアッと言う間に感じてしまうのに……。
そんな短い間暮らしただけなのに、部屋の扉を開ければ、嗅ぎ慣れた空気がフワリと鼻をくすぐる。
この部屋はもう、ボクらの香りを覚えてしまったらしい。
それが何だか落ち着くような、気恥ずかしような……。
一言では言い表せない、不思議な気持ちにさせてくる。
そんな感覚に身を委ねながら、ボクらは古巣を懐かしむように部屋へと踏み入った。
部屋に入って直ぐの所には、壁に固定された姿見がある。
この世界へ来たその日、今の自分の姿を初めて目にしたのが、この鏡だった。
そして……。あれが、初めて見た女の子の裸でもあった……。
あの時は、男の願望が叶った! なんて、食い入るように見つめたっけ。
それで興奮しすぎて、鼻血が出ちゃったんだよな。
思い出したら恥ずかしくなってきた……。
何やってんだよ、あの時のボクはっ!
でも、女の子の裸を見て鼻血を流すことも、今ではもう無くなった。
さすがに見慣れたって事かな。
とはいえ、ボクの心の根幹が『男』で出来ている事に変わりはない。
だから、女の子を求めもするし、女の子の裸にも普通に興奮してしまう。
白状してしまうと、何度か自分の裸をおかずに――――。
い、今のなしっ!
自分から黒歴史を暴露してどうすんのっ。
勢いよく鏡に背を向けて、変な方向に流れた思考を切り替える。
すると、安っぽい無骨な丸テーブルが目に入った。
それに歩み寄ると、ゆっくりと周回しながら、ツーっと指先で天板をなぞっていく。このテーブルにも、随分とお世話になった……。
何度も部屋に料理を持ち込んで、テーブルを四人で囲んだっけ。
女の子の自覚が足りないって、ハルちゃん達に怒られたのも、そんな時だった。
それで、シロさんまで巻き添えで怒られて。
あの時のシロさん、恨めしそうな目でボクを見てたなぁ。
思い出したら、クスクスと笑い声が漏れてしまった。
バスルームへは、優柔不断な自分を誤魔化すように、何度も逃げ込んだっけ。
照れ隠しだったり、間を持て余してだったり、頭の中を整理する為だったり。
ボクの逃げ場所になってくれて、本当にありがとう。
そして――――。
窓際に並んだ二つのベッド。
本当に……、本当に沢山の事を二人で語り合った……。
「今日こんな事があったよ」なんて些細な事から、「好きだ」という告白まで。
ボクらの会話は、いつもこのベッドの上で交わされていた。
明かりを消した後も話し声が止まらず、お互いの声を子守歌代わりに眠りについたよね。ハルちゃんが先に寝ちゃった日なんか、彼の規則正しい吐息を聞いていると、ボクも不思議なほど安心して眠りにつけたんだ。
その点、新しい屋敷ではハルちゃんとも別々の部屋。
それを考えると、二人並んで過ごせたこの部屋は、とても掛け替えのない物のように感じてしまう……。
「ユウ君……、大丈夫?」
「え……? 何が?」
ハルちゃんがボクを見つめて、心配そうに声を掛けてきた。
何故そう問われたのか。
ボクはその答えに見当が付かず、キョトンとして彼の顔を見上げてしまう。
彼は疑問に答えるように、人差し指の背で、ボクの頬を優しく撫でてくる。
それでようやく、彼の言葉の真意に気づくことができた。
いつの間にか、ボクの頬を涙が伝っていたらしい。
たったの二週間だ……。
そんな短い時間なのに、ボクらはとんでもなく濃密な思い出を、この部屋に刻み込んでしまったらしい。
そこを離れるのだと悟った時、心よりも先に、体の方が感情を溢れさせてしまったのだ。
「うん、大丈夫……。グスッ……大……丈……ぅ……」
嗚咽を漏らすボクを、ハルちゃんは黙って抱きしめてくれた。
ボクが口にした言葉は、所詮ただの強がりだ。
言葉とは裏腹に、ボクは彼の胸に縋り付いて体を震わせている。
悲しい事があったわけじゃない。
この部屋を出るのだって、新しい生活の始まりなのだ。
それは、とても希望に満ち溢れたモノで……。
だというのに、ボクの体はボクの意思などそっちのけで、感情に振り回されてしまっていた。
――――あぁ、ボクは寂しいのか……。
思い出の刻まれたこの場所が、ボクの手から離れてしまう。
それが、どうしようもなく悲しいんだ。
その感情を頭が理解した瞬間、無自覚に塞き止めていた感情が、津波のように一気に押し寄せてきた。
前ならこんなこと無かったのに……。
自分の手に余る程の感情に翻弄され、ボクは彼の逞しい腕の中で、声を殺して泣いた。
「ハルちゃんは……、強いね……」
「うん……。ユウ君を守れるだけの、大きな体を貰ったからね……」
震えの止まらない体を、押さえ付けてくれる力強さ。
凄く窮屈な筈なのに、それが不思議と安心感を与えてくれる。
人にしてもらって初めて知る感覚。
抱きしめて貰うって、こんなにも心が安らぐ物なのか。
ボクが顔を離すと、彼もボクを解放してくれた。
「ありがと……。少し寂しいけど、もう大丈夫だから……」
泣き笑いのような顔で見つめると、彼は優しげに微笑み返してくれる。
目の前に居るのは、暖かな春の陽射しのように、安らぎを与えてくれる人。
それが、ボクの大好きな恋人……。
コン、コン、コン――――。
ボクが感傷と恋心に浸っていると、扉がノックされた。
そちらを見やると、入り口で待っていたベティさんが、面白くなさそうに頬を膨らませている。
部屋のドアは、初めからずっと開けっ放し。
つまり、彼女は一部始終を、まるっとお見通しだったわけです。
彼女は少し肩を怒らせながら歩いてくると、ガバッとボクを抱きしめた。
そのまま、ボクの肩越しにハルちゃんを睨み付け、抗議する。
「抜け駆けなんて酷いですわっ!」
「私、そんなつもりは……」
「嘘っ! そんなの見ていれば分かりますわ! 昨日までとは、雰囲気が違いますもの! ズルいですわっ!」
「ごめん……」
ハルちゃんの謝罪を聞き、ベティさんは一層力を込めて、抱きしめてきた。
彼女のそれは嫉妬だ……。
ここはハーレムだって許容される世界。
だからって、他の誰かに負けないくらい心を通わせたいと願うのは、人として当然の欲求なのだろう。
彼女は最初から三人での関係を、と願っていた。
ボクの気持ちを知っている分、一歩退いているところもあったと思う。
なのに、ボクとハルちゃんだけが、心の繋がりを強めてしまった。
それがショックだったらしい。
ボクが彼女に感じる気持ちは、男として女の子に向ける想いだ。
そこに、女同士の友情が混じっている感じ。
ハルちゃんとの関係は、ともすれば、自分の男の部分を希薄にしてしまう。
それはボクにとっては喪失で、寂しさや恐怖を感じてしまう部分でもあった。
ベティさんはそんなボクに、『男』という物を強く想起させてくれる。
そう言うと、都合の良い相手のように聞こえるかもしれない。
だけど、ボクは間違いなく彼女の事も大好きだ。
甘く囁いてくれる所も、ボクに甘えてくる所も。
全部ギュッと抱きしめたくなる。
そんな、可愛くて愛おしい人。
「私は貴方と違って、この世界で出会ってからの思い出しか有りませんのに……。その上、私の知らない所で、二人だけで何かが進んでるなんて、ズルいですわっ! 私だけ、一緒に居られる時間が少ないのに、酷いっ……」
ベティさんは、感情を爆発させながら捲し立て、涙を滲ませている。
そんな彼女の震える背中を、ボクはポンポンと軽く叩く。
それでようやく、彼女はボクに口を挟む余裕を与えてくれた。
彼女はボクから顔を離すと、不安そうに見つめてくる。
人一倍依存心の強い彼女だ。
ボクの気持ちがハルちゃんにばかり向かうのは、さぞかし怖かった事だろう。
ボクは彼女の頭を撫でて、安心させようと微笑んだ。
「一緒に来る?」
彼女は、ボクが贈った短い言葉に涙をこぼすと、静かに頷いた。
その返事を受けて、ボクはギュゥ~~ッと力強く彼女を抱きしめる。
互いの小さな胸が、押しつぶされる程に。
ついぞ今、ハルちゃんから教わった事。
今のボクには彼のような力強さはないけど、それでも不安に揺れる彼女を包んであげたかった。
「新しい生活は、ベティさんも一緒にスタートだねっ」
今更だけど――――。
なんでこの場にベティさんがいるかって言うと。
ハルちゃんの盾が壊れてダンジョンには入れないから、「今日は休みにして、引っ越し作業してくるね」ってメールしたら、手伝うと返ってきたのだ。
といっても、身一つでこの世界にやって来たボクらは、荷物が極端に少ない。
サクヤ邸に持っていった荷物で、ほとんど全部なのだ。
だから、特にして貰う事もなかったんだけど。
そこはそれ、みんなで何かやっているのに、自分だけ参加しないのは寂しいって思ったみたい。
部屋に残っている物は、生活用品やちょっとした小物、着替えが少しって感じ。
あ……、ここへ来た時に着ていた、ボロボロのシャツも残っているか。
とても着られる状態じゃないけど、コレも思い出って感じがして、捨てられなかったんだ。
一通り片付けが終わって廊下に集まると、全員分の私物をまとめても、ボクの空間拡張バック一つに、余裕で収まってしまう量しかなかった。
一階の受付に戻ると、女将さんが解約の手続きをしてくれる。
それは契約した時と同様に、起動したカードキーを、冒険証にかざしていく流れだった。
ボク達と女将さんとの関係を断ち切るような最後の儀式。
酷くあっさりとした物だったが、みんな神妙な面持ちでその所作を見守った。
全員の解約が終了すると、しばし沈黙が訪れる。
今生の別れって訳じゃない。
だけど、区切りが付いてしまう事が、何だか妙に物悲しかった。
「今までお世話になりました」
女将さんに深々とお辞儀をすると、彼女は腰に手を当てて、口元に笑みを浮かべていた。
でも、その顔はなぜか片眉だけが下がっていて……。
それは見ようによっては困り顔のような、微笑んでいるような、なんとも表現しづらい微妙な表情だった。
「ホントに世話のかかる子達だったよ。あんた達は毎度毎度、食堂で騒ぎ散らして……。これじゃ、静かになりすぎて、あたしの方が寂しくなっちまうよ」
その言葉を聞いていたら、収まっていた感傷が刺激されて、ボクはまたジワリと涙がにじんでしまった。
「また、いつでもご飯を食べにおいで……」
「うんっ」
女将さんはボクをギュッと抱きしめ、優しく頭を撫でてくれた。
一頻り別れを惜しむと、女将さんはボクらを外まで見送ってくれた。
「しっかり頑張りな! だけど、行ったきりになるんじゃないよ! 必ず帰っておいで!」
女将さんが贈ってくれた言葉に、大きく手を振って応えると、ボクらは新たな一歩を踏み出した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ベティさんの件は事後承諾になってしまったけど、彼女だってボクらのパーティーメンバーだ。
そんなわけで、サクヤも彼女の入居を二つ返事でOKでしてくれた。
ただ、ちょっと意外だったのが、ベティさんのお住まい。
六畳一間の安アパートで、トイレは在れども風呂は無し。
そんなお部屋に、彼女は一人で暮らしていたのだ。
ご飯は自炊、お風呂は銭湯に通っていたらしい。
質素な部屋の割には、調度品がやたらと豪華で、それがすごくアンバランスだった。というか、家具が立派すぎて、部屋が立体パズルのように埋まってしまい、寝る以外の空間が確保できていない有様。
お嬢様然とした風貌からは、とても想像の付かない暮らしぶりに、ボク達はビックリしてしまった。
これはボクの勝手なイメージだけど、ベティさんなら絶対に豪邸に住んでいると思っていたから……。
実は貴族でした、って言われても驚かないつもりでいたのに。
それが、こんな生活だったなんて……。
もっと早くに、同居の話を切り出せば良かった。
しかし、転移魔法って完璧チートスキルだよなぁ……。
荷車が必要な量の荷物を、サクヤはあっさりと屋敷まで転移してしまったのだ。
そんなこんなで、サクヤ邸に戻ったボクらは、早速荷物のお片付けです。
ボクらの方はちょっとした手荷物だけなので、基本はベティさんのお手伝い。
彼女はこれから始まる生活に心を躍らせているのか、凄く楽しそうだった。
「ドレッサーは隣に並べて下さいな。クローゼットは、右側から使わせていただきますわね。それから――――」
「待って、待ってっ! 何でボクの部屋に荷物を運び込んでるの!?」
悪乗りしたシロ・カナの二人が、部屋の主そっちのけで、ベティさんの要望を叶えていた。
ベティさんはさも意外そうに、片付け途中のドレスを抱きしめて涙ぐむ。
「そんなっ、酷いですわっ! 一緒にって言ったではありませんの!」
「一緒の家に、ね。一緒の部屋じゃないよっ?」
ボクは、彼女の意図的な勘違いを正した。
だけど、それで収まるような彼女でもなかった。
ベッドに押し倒す勢いで、ずずずいっとボクに詰め寄ると、彼女の言い分が飛び出してくる。
「ハルノさんとは、二週間も同じ部屋で過ごしたんですのよね!? なら、私とも同じだけの時間を過ごして下さらないと、不公平ですわっ!」
「うっ……。そ、そう……かな?」
そう言われると、確かに不公平な気もしてくる……。
彼女の言い分ももっともか……な?
「ええ、だから私がこの部屋で一緒に過ごしても、全然問題ありませんわ!」
「えっと、じゃぁ……」
彼女との討論で押しきられる寸前、ハルちゃんが参戦してきた。
「ダメですよっ? 私だって、ユウ君と別の部屋になって寂しいんだから、ベティちゃんも同じ環境でスタートしなくちゃっ」
「あの……、ボクは――――」
「ユウ君は黙っててっ!」
「ユウキさんは黙ってて下さいましっ!」
「は、はいっ!」
部屋の主の自由意志など、早々に机上から投げ捨てられていた。
白熱する二人の論撃バトル。
それをオロオロと見守るボクと、ニヤニヤと見守るシロ・カナ。
でも、冷静に考えると、【同調】の特訓以来、ベティさんとは過剰気味なスキンシップが増えてしまった。
そんなボクらが一緒の部屋で生活を始めたら……、ボクは多分溺れてしまう。
うん……、やっぱり別々の部屋の方がいいよね。
討論はハルちゃんに軍配が上がったらしく、ベティさんが悔しがっていた。
「あ~ん、もうっ! 貴方が邪魔さえしなければ、押し切れましたのにっ! 酷いですわっ!」
「押しに弱いユウ君を守るのは、私の役目だからっ」
勝者の余裕か、彼はドヤ顔でフンスと鼻を鳴らしていた。
「お邪魔虫っ!」
「なっ!? え、えっと、この泥棒猫っ!」
昼ドラかよっ!
そして、一度ボクの部屋に運び込まれた荷物は、西隣の部屋へと運ばれていくのだった。
完全に二度手間だ……。




