76話 赤毛のアルテミス
虚を衝くように、横合いから飛び込んできた一撃。
前足に突き立った矢に驚き、大ガマの攻撃が止まった。
だが、意表を突かれたのは、大ガマだけではない。
戦闘の最中に敵から視線を逸らすなど、自殺行為もいいところだが、ハルノもまた突然の援護射撃に驚き、矢の出所を探ってしまった。
誰かが救難信号を出してくれたのか?
そう思い、周囲を見渡すが人影は無い。
或いは、視覚を妨害するスキルで潜んでいるのだろうか?
レンジャーならば、それも十分にあり得そうだが……。
戦場に乱入した一本の矢により、不意に訪れた凪のひととき。
誰もが状況を飲み込めずに居ると、仲間の一人が声を上げた。
「おっ、当たったか?」
声に誘われるように皆が振り向くと、目に飛び込んできたのは、不敵に笑う赤毛の少女だった。
「シロウ?」
呆けたように零れたカナタの声。
他の皆も同様に、彼女の言葉が意図するところを図りきれず、ただ呆然と少女の一挙手一投足を見守っている。
己が注目されていることなど、シロウは気にも留めていない。
ただ静かに片膝を突き、体をしっかりと大地に固定すると、目を閉じて弓を引き絞る。
キリキリとしなる弓、魔力で微かに光る矢。
そこまでなら、なんら不思議な光景ではない。
おかしいのは矢の矛先だ。
味方への誤射を避けるためとはいえ、上を向き過ぎている。
そのまま放てば、確実に大ガマの頭上を飛び越えてしまうだろう。
だというのに、彼女は何の躊躇いもなく矢を解き放った。
皆は一様に疑問を感じながらも、矢の行く先を目で追いかける。
誰しもが、これは失敗だと思った……。
だが、ハルノの陰から飛び出した矢は、急激に軌道を変化させ、一直線に大ガマへと向かい始めたのだ。
ただ、結果は振るわず、矢は大ガマの肩を浅く切り裂くに留まってしまった。
「チッ、かすっただけか……」
物理的にあり得ない軌道――――。
その現象に誰もが驚いていた。
もしも、ユウキが見ていれば、それと気づいたかもしれない。
これこそが、シロウが弓に憧れを抱く切っ掛けとなった一矢だと。
大熊に襲われたあの日、救助に駆けつけた女エルフが放った矢は、蛇のように木々をすり抜け、大熊にとどめを刺した。
それと同時に、シロウの心までも射貫き、激しい憧憬の念を与えていたのだ。
以来、シロウは弓を取り、人知れず修練場を訪れていた。
そのスキルを物にして、いつか皆の度肝を抜いてやろうと……。
カナタなら、それが彼女らしいと納得する事だろう。
男時代から今に至るまで、彼女はずっと悪戯小僧だったのだから。
まだまだ完熟には至らないスキルではあったが、これ程の美味しいシチュエーションを前にして、彼女が披露しないはずがない。
シロウは目を閉じたまま、再度矢を解き放つ。
今度は大ガマを捕らえる軌道を進んだが、惜しくも躱されてしまった。
「くそっ、動く的はやり辛ぇな……」
一見すれば先のワルカスと似た光景だったが、彼女の物は決して当てずっぽうなどではなかった。
斥候として研鑽を続けた彼女は、特能により底上げされた感覚と、卓越したスキルにより、見えない敵の位置を正確に把握していたのだから。
死地の緊張感と周囲の期待が、彼女の集中力を極限まで研ぎ澄ませてゆく。
これまでの鍛錬で一つ一つ作り上げてきた歯車が、急速に組み上がっていく感覚。
一矢放つ度に気付きをもたらし、技術が急成長していく。
そうして、彼女の類い希な戦闘センスは、都合一〇を越える射を終えた頃には、的を外す事がなくなっていた。
しかし、大ガマの体躯に比べ、矢の一撃は余りに軽い。
肉に食い込みはするものの、致命傷にはほど遠かった。
それでもいつかは!
そんな期待が、消えかけた皆の闘志を奮い立たせる!
暗澹たる状況に、ようやく差した微かな光明なのだ。
そのおぼろげな灯火に皆が縋り、必死に守り抜こうとした。
シロウ自身もその期待に応えようと、かつて無いほどに奮闘している。
だが、皆が期待した攻勢は、酷くあっけなく止んでしまった……。
次矢を求めて伸ばしたシロウの手が、空を掴んで空振りしてしまったのだ。
「やっべ! 矢が無ぇっ!」
誰もが必死に頑張っていた。
それに対する結末がコレとは、実に皮肉が利いている。
湿地を踏破しようと、長時間にわたり頑張った事が、裏目に出てしまったのだ。
矢を回収しながらの行軍ではあったが、それでも戦闘を重ねる度に損耗していくのは避けられない。
ここへ来てそれが徒となってしまった。
こちらの攻撃が止んだことに、大ガマは戸惑いを見せたが、状況を理解したらしく、微かに安堵の様相を窺わせていた。
と同時に、僅かながらでも脅威と感じた事が、大ガマの矜恃を傷つけてしまったらしい。
激高に任せ、先の連打を超える勢いで、舌による猛攻が始まってしまった。
「おいっ! ライエル! お前の矢も寄越せっ!」
「お、おぅっ!」
腕を砕かれたライエルは、残った矢の全てを彼女の矢筒へ放り込んだ。
といっても、残りは僅かに五本…………。
大ガマを仕留めるには、余りにも心許ない本数だった。
しかし、それが彼らに残された最後の希望。
――――ならば、賭けに出るしか無い!
「ハル! お願い! 一〇秒だけ全部防いで!」
シロウがたぐり寄せた僅かな勝機。
カナタは、自分ならそれを確かな物へと変えられる。
そう確信していた。
だけど、その為には防御を捨てざるを得ない。
補助程度の役割だったが、それでもカナタのおかげで守られていたのも事実。
それが居なくなれば、例え勝利できたとしても何人かは深手を負うだろう。
下手をすれば……。
やれと言われて出来るのなら苦労は無い。
これまでだって、ハルノは全力を尽くしていたのだ。
どう転んでも分の悪い賭け。
だけど、生き延びる道はもうこれしかなかった。
「分かったっ!」
カナタは命がけの信頼と期待をハルノに寄せ、ハルノはそれに応と答える。
出来る出来ないは関係ない。
そこで交わされたのは約束ではなく、二人の決意だった。
ハルノにとっては、これが初めて経験する死闘。
以前は逃げ出した状況だというのに、今は不思議と喜悦の感情すら湧いてくる。
己の背に託された信頼。
それに応えようと奮い立つ己の肉体。
ハルノは今、自分の中で『男』が滾るのを初めて感じていた。
一段威力も回転も上がった舌のガトリング。
それを前にして、彼は笑っていた。
死ぬかもしれないこの状況が心を焚き付け、体がむせび泣くように歓喜の声を上げている。
或いはこれこそが『神盾』の真価であったのかもしれない。
守るという決意が、力に変わって体を満たしていく。
やがては体に収り切らなくなった想いが、陽炎のように体から立ち上った。
一合、二合と衝突を重ねる度に、力が漲っていく。
先程まで感じていた強烈な衝撃は、嘘のように体が吸収し、付いていくのがやっとだった速度は、先回りすら可能になっていた。
恵まれた体に、恵まれた特能。
直ぐに技能を会得してしまう戦闘のセンス。
戦いの申し子のような才を持ちながらも、精神的な弱さから、ハルノはそれを活かしきれていなかった。そんな男が今、覚悟を持って敵に対峙する。
死闘を経験し、彼もまたその才覚を覚醒させつつあった。
こんな筈ではなかった、そんな焦りが大ガマから伝わってくる。
カナタが求めたのは僅かに一〇秒。
だが、彼が居る限り、その一〇秒は永遠に終わらない!
それ程までに、今のハルノを抜き去る事は至難だった。
「シロウ! アタシも手伝う!」
「手伝うって何を……」
カナタは訝しむシロウに寄り添うと、彼女が番えた矢に手をかざした。
するとどうだ、鏃がまばゆく輝き始めるではないか。
シロウは一瞬だけ呆気にとられたが、即座に彼の思惑を理解すると、ニヤリと笑った。
「シロウ! お願いっ!」
「おうっ!」
放たれた矢は、甲高い音を響かせながら、流星のように尾を引いて、一直線に大ガマへと迫った!
それは大ガマの目玉を貫通し、矢の一撃とは思えぬ大きな風穴を刻み込んだ。
ギョォォォォォォォ――――!?
絶叫を上げ、大ガマが地を悶え転げる。
先の交戦で矢の威力を体験し、命を脅かす程では無いと高をくくっていたのかもしれない。それとも、よほどハルノとの対峙に集中しきっていたのか。
どちらの理由にせよ、大ガマはろくな回避すら取らなかった。
「カナ、お前最高っ! 次は爆発する奴頼むわっ!」
「ニシシ、マカセロっ!」
ソレまで圧倒的な優位を保ち、格下を嬲る悦に浸っていた大ガマだったが、もはやそんな余裕は見る影もない。
必死に動き回り、ハルノの盾を掻い潜って赤毛のアルテミスを打倒しようとするが、そのことごとくを彼の盾が打ち落とした。
飛来する舌を盾で殴りつけ、地を這う物は踏み潰す。
利き手側を抜けようとした物は、手にした剣で切り飛ばした。
もはや両者の格付けは、決してしまったらしい。
ハルノが格上。
それが覆りようのない現実となっていた。
矢の的にならぬよう、必死に回避行動をとり続ける大ガマだったが、シロウの成長は易々とそれに追いつき、大ガマの右前足を吹き飛ばした。
唯ひたすら回避に専念する姿には、哀れみすら覚える。
攻守の形勢は完全に逆転し、狩る者は狩られる者へと落ちぶれていた。
もはや打倒する事も、逃げる事も叶わぬ。
そう悟ったのか、大ガマは作戦を切り替えた。
これまでになく高く跳び上がって矢を躱すと、上空から渾身の一撃を撃ち放つ!
しかも、その一撃はハルノから遠く離れた場所を目指していた。
これだけの高度と射角では、いかなハルノとて盾は届かない。
その一撃が狙ったのは、隊列から一番遠く離れていた銀髪の少女。
大ガマは死出の道連れを求めたのだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
戦闘の激しさはボクの耳にも届いていた。
とんでもなく激しい打撃音。
ガガガガッと、ガトリングでも撃ちまくっているのかと思う程だった。
早くボクも戦線に復帰しなくちゃ……。
治療を終え、ボクが振り返ると、何故か大ガマが宙に浮かんでいた。
あまりにもシュールな光景に驚き、瞬時に状況が飲み込めなかったのが失着だったのだろう……。
次の瞬間、ボクに向かって大ガマの舌が飛んで来た。
角度的にも位置的にも、ハルちゃんの盾は届かない。
戦う姿勢をとっていなかったボクでは、回避も防御も間に合わない。
アルフォートさんを一撃でボロボロにした衝撃がやってくる!
そう覚悟したその瞬間。
ボクを覆い隠すように盾が差し込まれた。
バギィィィィィィン――――!
耳をつんざく程の音響。
「嘗めるなぁっ!」
ボクを守ったのは、アルフォートさんの盾だった。
そんな彼が、普段の気性からは想像も付かない程の怒気を孕ませ、吠えていた!
ダブルミーニングだったのかな?
なんて、場違いな事を考えてしまう程に、ボクは呆然としていた。
道連れを狙った大ガマの一撃。
それは、死力の限りを振り絞った物だったのだろう。
その威力は、アルフォートさんの盾に亀裂を生じさせていた。
おそらく、腕の骨にもヒビが入ったに違いない。
治療を施したとはいえ完治にはほど遠い、そんな体でよく動けたものだ……。
口から血を流しながらも毅然と敵を見据える姿に、ドキリとしてしまう。
突然の出来事に尻餅をついてしまったボクは、背後に寄り添う彼の腕の中にストンと納まってしまった。
「あ……ありがとう……」
「それは私の言葉ですよ」
手札を全て出し尽くし、空中で体勢を崩した大ガマの運命は決まっていた。
一度は躱したシロさんの矢が、急激に軌道を変えて戻ってくる。
そして時間差で放たれる第二の矢。
その二矢が同時に大ガマの体を穿つと、大音響を響かせて爆発した。
それを見届けると、アルフォートさんは力を使い果たしたように、仰向けに倒れ込んでしまった。
「シロウ、凄い、凄いっ!」
「おうっ! 惚れ直したか?」
窮地を切り開いたヒーロー達は、興奮冷めやらぬ様子で、ハイタッチを交わしていた。
でも、それだけでは興奮が収まらなかったみたいで、カナさんはシロさんを抱きしめて振り回してしまう。
「うん! カッコいいし、可愛い!」
「だろっ?」
「シロウ大好き!」
「お、おぅっ! 俺もだっ」
だが、感極まった彼らの興奮は、もう歯止めが利かなくなっていたらしい。
ドンドン肥大化していった興奮は、別の欲求を呼び起こしてしまった。
「ねぇシロウ! 抱きたい! 今すぐ帰ろっ?」
「お……おう。――――はぁっ!? ちょ、おまっ、いきなり何を!?」
「嫌? シロウはしたくない?」
「~~~~~~ッ!」
シロさんは声にならない呻きを上げ、顔を真っ赤にしていた。
戦いの興奮が、そのまま別の興奮にすり替わってしまったらしい。
見ているこっちが恥ずかしくなる程のイチャイチャっぷりだ。
「じゃ……じゃぁ、戻ろうか」
激戦の余韻の為か、呆然としている人が多い。
戦線から離れて冷静でいられたボクが音頭を取り、帰還を決定した。
まぁ、これほど負傷者が出ては、どちらにせよ攻略の続行は不可能だしね。
ボクとベティさんで負傷者に応急処置を施すと、入り口へと取って返した。
みんなボロボロのヘロヘロだ……。
所詮は後の祭りだけど、ボクらは予想外の出来事に見舞われ、誰一人として救難信号を出していなかった。
ボクも、アルフォートさんが負傷した瞬間、頭が真っ白になっていたし。
もし信号を発していたら、あんなにも危ない橋を渡らずに済んだかもしれない。
例え間に合わなかったとしても、怪我人の搬送を手伝ってもらえただろう。
冷静になるって、ホント大事だな……。
ダンジョンを出ると、真っ直ぐに簡易治療所へと駆け込んだ。
怪我の状態やボクの施した治療の内容を伝え、上級治療術士に治療の引き継ぎをお願いする。
戦闘とは違う方面で、ボクも気を張り続けていたからなぁ。
これでやっと肩の荷が下りたと、ホッと一息つけた。
さて、報告など諸々の雑務はボクが引き受けますか……。
今日のMVPであるシロさんには、拳の治療を終えたカナさんを連れて、一足先にサクヤの【転移】で帰ってもらった。
二人とも完全にスイッチが入っちゃってたし……。
きっと今頃……。
まぁ、MVPっていうなら、ハルちゃんもなんだけどね。
彼とベティさんは、ボクに付き合って一緒に残ってくれた。
イレギュラーと魔道具用の物を除いて魔石を売却すると、ボクらは冒険者ギルドへ報告に向かう事にした。




