74話 ボクの戦場
二三層をクリアした時、一度外へ出て昼食を摂った。
沼に浸かりながらの弁当なんて、流石にぞっとしないもん。
そんな昼食の最中にも、ヒーラーには大事な仕事があったりします。
手洗いの後に【殺菌】の魔法を掛けたりね。
地味な仕事だけど、食中りなんて起こしたら目も当てられない。
午後に入る頃には、沼地の移動にも少しばかり慣れてきた。
半日も同じ環境に晒されれば、体は自然とそれに合わせてしまう物らしい。
このペースなら、二七層までは固いだろう。
頑張れば今日中の湿地踏破すら可能かもしれない。
いや、それは少し甘過ぎるか……。
油断は大敵と、自分を諫める。
そうして、順当に駆け上がった第二六層。
中州のような開けた固い地面を見つけて歓喜している時、ソイツが現れた。
その異様さに気づいたシロさんが、慌てたようにみんなを制止する。
「待てっ! 止まれっ!」
敵は前方の葦原の中。
索敵スキルを持たないボクらでは、彼女が何に脅威を感じたのか、うかがい知ることはできない。
敵の存在自体は、彼女自身ずっと前から気づいていたことだ。
それを今更なに? と訝しむ気持ちもあった。
「妙にでかいぞ……。この層に一八〇センチぐらいの敵って何か居たか?」
相手との距離はおよそ二〇メートル。
それは彼女の索敵スキルの射程限界でもあった。
この距離になるまで、彼女にも敵の正確なサイズは分からなかったらしい。
「スワンプリザード?」
「いや、体長じゃなくて体高な。横幅もかなりあるぞ」
「ボクが調べた限りじゃ、そんな大きなのが居るって話は聞かなかったよ」
「だよな……」
シロさんが言うには、向こうもこちらに気づいて警戒しているのだとか。
ボクらは今、戦闘になるかどうかの瀬戸際に居るらしい。
『未知』とは即ち脅威だ。
蓋を開けてみれば何てことはなかった、なんて事もままあるだろう。
だけど、好奇心猫を殺すということわざもある。
全く自慢にもならないけど、ボクらは今まで沢山の失敗を重ねてきた。
自分達の至らなさを辛辣に指摘され、涙したこともある。
だからシロさんは「念のため、交戦は避けようぜ」って提案したんだ。
だけど、見通しの良い固い地面というのは、思いのほか甘美だったらしい。
ぬかるみを歩き続けてきた身には、それは砂漠に現れたオアシスも同然。
一服するには実におあつらえ向きの場所だった。
「んなもん、サクッと片付けて休憩にしようぜっ」
なんて、ライエルさんは実に軽々しく言い放ってくる。
あるいは、純粋に自信からくる余裕だったのかもしれない。
ボクらは、ここまで快進撃を続けてきた。
ボス戦で時間が掛かることはあっても、まともな被弾はまだ一度もない。
それは、自信をつけるには十分な戦果と言えるだろう。
それ自体は決して悪い事じゃないけど、時と場合って物がある。
ボクらとしては、不用意な行動は避けて欲しかった。
勇み足なライエルさんの手を取り、引き留めようとしたのだけど、それがいけなかったらしい……。
不安げなボクを見た彼は、一層男心に火が付いてしまったのだ。
自分の勇姿を見せようと、俄然張り切り出し、鼻息が荒くなっている。
完全に逆効果だった。
「待ってなって。直ぐに終わらせてやるからさっ!」
アルフォートチームが交戦を決意して踏み出すと、それが決め手になってしまった……。
葦原に潜むソイツが臨戦態勢に入ったことを、シロさんが察知したのだ。
今更引き返しても、背後を突かれかねない。
「仕方ねぇ、やるぞ! ハルもアルフォートも十分に気をつけろよ!」
「はいっ!」
「ええ、任せて下さい」
タンク二人を先頭に、相手との距離を詰めていく。
視界確保の為、ベティさんに葦原の伐採を頼もうとした時だった。
ガサリ……、と葦原が揺れ、顔を覗かせてきたのは一匹の蛙。
ただし、シロさんが言ったとおり、体高が一八〇センチもある大ガマだ。
姿は二一層で戦ったジャイアントトードによく似ている。
だけど、アレの何倍も大きい。
「やっぱりおかしいよ! この層に蛙タイプなんて居ないはずだもん!」
「そんなイレギュラーが起こる事もあるんですね」
「デカくたって、所詮は蛙っしょ!」
アルフォートチームはあくまで楽観的だ。
でも、ボク達は――――。いや、正確にはベティさんを除く初期メンバーの四人は、背筋にピリピリとしたものを感じていた。
ボクは念のため、強めの【プロテクション】を全員に施しておく。
そして、油断気味のベティさんを、抱き寄せるようにハルちゃんの陰へと引き込んだ。彼女は少し驚いていたけど、ボクは嫌な予感が止まらなかったんだ。
ボクらはかつて一度、イレギュラーを体験している。
だから、少しだけ異常さに敏感だったのかもしれない。
結果として、その意識の差が、二つのパーティの明暗を分けてしまった。
直線距離にして約一二メートル。
コレまでの蛙を基準に考えるなら、まだまだ安全な距離だ。
だが、こちらにとっては既に射程圏内。
相手の姿が確認できたところで、後衛達が一斉に攻撃態勢へと移行する。
それに呼応するように、大ガマも僅かに遅れて口を開いた……。
ジャイアントトードと同じ、舌による刺突攻撃がくるっ!
バイィィィィ――――ン!
「ぐっ!?」
盾で攻撃を受けたタンク二人が、くぐもるような呻きを上げていた。
ど、どこが……同じだって!?
自分の予測がどれ程甘かったのか、思い知らされてしまった。
攻撃態勢に入ったのは、確かにこちらの方が早かった。
なのに、先に攻撃を命中させたのは大ガマの方。
それは警戒していたボクらの予想さえ、遙かに超える速度で飛来したのだ。
まるで過程の時間を消し飛ばしたかのように、舌を射出したと思った瞬間には着弾していた。
それに……、こんなのいったい誰が予想できるっていうんだ。
一つの口から二本の舌が伸びてくるだなんて!
腰だめに盾を構えていたハルちゃんは、辛うじてその一撃を耐えきってみせた。
しかし、いささか油断の有ったアルフォートさんは、咄嗟に盾を構えようとしたものの、体勢を崩されて大きくのけぞってしまった。
そこへ三本目の舌が、彼の腹を打ち抜いたのだ!
「ゴボッ……!?」
言葉でも息でも無く、別の何かが無理矢理喉を通り抜けた音。
彼はそのまま後方へと吹き飛ばされ、味方を巻き込んで地面に転がってしまった。
「なっ!?」
男性三人を、ボーリングのピンのように薙ぎ倒す光景。
それを目の当たりにしながらも、ボクは自分の目が信じられなかった。
こんなの、後衛が喰らったらひとたまりも無い!
「みんなっ! 私の後ろにっ!」
ハルちゃんもソレを瞬時に察知したのだろう。
自分がパーティの生命線であると認識し、迷わず一歩前に踏み出した。
正確な射程は分からない。
だけど、速度の方はコレまでの蛙を倍速再生した感じだった。
そんなスピードで、三本の舌を絶え間なく繰り出してくる。
カナさんやレンジャーの二人なら、そんな速度にも対応出来るのかもしれない。
だけど魔法職の三人では、ハルちゃんの影から出た瞬間、死が見えるだろう。
そう認識していた筈なのに、仲間が重症を負ったのを見た瞬間、頭が真っ白になってしまった。無我夢中でアルフォートさんの下へ駆け寄ると、彼の体をハルちゃんの庇護下へと引っ張り込む。
ボクに攻撃が飛んでこなかったのは、単に運が良かっただけ……。
もしくは、一歩踏み出したハルちゃんに、大ガマが意識を割いたからだろう。
アルフォートさんは、咳き込む度にゴプッと血を吐き出し、体が痙攣していた。
そんな状態でも意識を手放さずにいるなんて……、とんでもない精神力だ。
ボクは彼の手を握り、苦痛に歪む目を真っ直ぐに見つめる。
「安心して! ボクが必ず治すからっ!」
彼に掛けた言葉は、同時に自分自身を叱咤する言葉でもあった。
打たれたお腹に手をかざし、【沈静化】で苦痛を和らげていく。
彼も安心したのか、ボクの言葉に小さく頷くと、体から力が抜けていった。
何はなくとも先ずは血流。いつか先生に言われた言葉だ。
正常な血液の流れこそ生命の根幹、そこさえ確保できれば猶予が生まれる。
【同調】で怪我の状態を確認しながら、出血箇所を【止血】していった。
外傷はほとんど無いが、内臓の損傷が激しい。
肝臓、胃、腸の破裂……。
そこから腹腔内に内容物が漏れてしまっている。
それにこの息苦しさ。
血が気道に溢れている……、折れた肋骨が肺を貫いているんだ。
目を覆いたくなるような重傷に怯みそうになる。
落ち着け! 手順をイメージしろ!
生きる為に必要な要素は何だ? その優先順位に従えっ!
最優先事項の出血は、【止血】の保護膜で抑え込んだ。
なら、次は呼吸だっ!
損傷は左肺の方が軽微か……、先ずはそちらから処置をしていこう。
片方だけでも肺が治れば、生命維持には十分なだけの酸素が取り込める。
肺に残った骨の破片を魔力で取り除くと、【癒合】で穴を塞いでいく。
同じ魔法でも、コレだけ綺麗に治せるヤツは少ない。
そう褒めて貰った魔法だ。
一刻を争う状況だが、粗い仕事で穴が残ってしまったら意味が無い。
逃げ出しそうなほど恐ろしい症例だけど、踏みとどまっていられたのは、先生達が太鼓判を押してくれた事が、心の支えになってくれたからだろう。
あらかた穴は塞がっただろうか。
後は、溜まった血液を魔力で押し出してやればいい!
これで肺は元通りに…………。
――――おかしい……、肺が膨らんでこない!?
肺は風船みたいな物だ。
穴さえ塞げば良いんじゃないのか!?
考えろ、考えろ、考えろっ!
でも、手は止めるなっ!
右肺に刺さった骨を取り除きつつ、必死に考える。
何故だ!? 弱々しいけど胸は確かに上下している。
ちゃんと呼吸して、空気が肺に送り込まれているはずなのに。
いったい何が肺の拡張を妨げてるんだ!?
胸腔内には何もない……。血で溢れかえっているわけでもない。
ただポッカリと隙間が空いているだけじゃないか。
それなのに、どうして……。
隙間が……、ポッカリ……、何も……? 無い?
ひょっとして……、空気……?
肺から漏れた空気かっ!
胸腔内に空気が溜まって、肺の内と外で気圧が釣り合ってしまったんだ。
だから肺が膨らまないんだ!
邪魔な物が有るなら、それを取り除くしかないけど……。
そんな回復魔法なんて、ボク知らない……。
一体どうすれば――ッ!
「あ……」
必死に考え続けたボクの脳に、天啓とも思える閃きが舞い降りた。
穴を空けて抜き取ればいいじゃないか!
ボクは、滅多に使う事のない短剣を腰から抜き放ち、その刀身を眺めた。
思いついてしまった答えに、自分自身が戦いている。
治療行為とはいえ、刃物で人を……刺す……?
今まで培ってきた倫理観が酷く軋み、胃や胸が締め付けられるようだった。
だけど、放っておいたら確実に窒息死が待っている!
躊躇している暇なんてない!
ボクがやらないで、いったい誰がやるっていうんだっ!
自分を叱咤して覚悟を決めると、アルフォートさんに声を掛けた。
「今から脇腹に穴を空けて、胸に溜まった空気を取り除きますっ」
彼は気絶したように脱力している。
ボクの声が聞こえたのかは分からないけど、介錯と勘違いされて暴れられても困ってしまう。
短剣を【殺菌】して清めると、彼の脇腹に宛がった。
「ハァ――……、ハァ――……」
短剣を握る手が震え、呼吸が荒くなっていく……。
【沈静化】で脇腹の痛覚を完全に遮断すると、覚悟を決めて肋骨の間に短剣を押し込んだ!
手に伝わる肉の感触……。
鳥肌が立ち、吐き気がこみ上げてきた。
でも、吐こうがなんだろうが、止める訳にはいかない。
彼の命は今、ボクの手に委ねられているんだ!
止血や抗菌など、魔力による保護膜は様々な条件付けで対象を遮断出来る。
なら、空気だけを一方通行で透過させる事も可能なはず。
脇腹に空けた傷口に魔力で保護膜を形成し、傷口を押し開く。
意を決して傷口に口を付けると、思いっきり息を吸い込んだ。
シューッと彼の胸腔から空気が吸い出されていく。
空気と一緒に血も吸い込んでしまい、思わず咽せてしまった。
だけど……。
「や、やった……できたっ!」
保護膜が逆止弁としての機能を発揮し、空気の逆流は起きていなかった。
彼の肺は、ボクが空気を吸い出した分だけ、ちゃんと膨らんでいたのだ!
安堵の余り、思わず腰が砕けそうになってしまった……。
だけど、直ぐに頭を振って気持ちを引き締めなおす。
たった一つ上手く行っただけで安心するなっ。
肺が正常なサイズにまで膨らんだことを確認すると、脇腹に空けた穴を【癒合】で塞いだ。同様にして、もう片方の肺も処置を完了する。
ヒューヒューと少し弱々しいけど、呼吸は安定していた。
しかし……。
対処した事のない症例っていうのは、本当に恐ろしい。
間違った判断をして、患者を死なせてしまうんじゃないかって震えてくる。
先生が言っていた様に、もっと実習で経験を積んでおくべきだった。
まだまだ重傷には違いないけど、なんとか重篤な状態は乗り切れたらしい。
次いでボクは腹部の処置に取りかかった。
開腹する事なく【同調】の感覚を頼りに治療を進めていく。
傷口を【殺菌】しつつ破断した組織を【癒合】でつなぎ合わせていった。
程度の軽い損傷なら【復元】で細胞組織を治せるけど、酷く圧壊した組織は今のボクでは手が出せない……。
いや、焦るな! 自分が出来る事をしっかりやり切るんだ!
腹腔内に溢れてしまった汚物や血液は、放置すると炎症を起こしかねない。
開腹するか……、いや、いっそ裂けた腸内に詰め戻して塞いでしまおう。
最後は、折れた骨の修復だ。
放置していたら再び内臓を傷つけかねない。
【整形】で骨の破片を正しい位置に並べると、【癒合】で接合していった。
「良し…………」
ボクにできる事は全部やれたと思う……。
【沈静化】の持続時間を調整し、そこで処置を完了した。




