73話 深刻な調査漏れ!?
ボフンッ――――バシャァァァァ――――ン!
ベティさんの空気泡が炸裂し、吹き飛ばされたフロアボスが、激しく水飛沫を舞上げる。
「ありがと、ベティちゃん!」
「構いませんわ!」
黙々と悪路を進み、ようやくたどり着いたボスエリア。
そこでボクらは、二メートルを超えるサンショウウオと交戦していた。
その一帯は葦が姿を隠し、ポッカリと空白地帯を晒している。
視界が良好なのは凄くありがたい。
――――が、他の場所に比べると、ひときわ沼が深かった。
「ユウ、そっちに回ったぞ!」
「うん!」
そんな緩い沼の上を、フロアボスは実に軽快に走り回っている。
こっちは膝下まで泥に埋まり、歩く事さえ困難だっていうのに……。
それこそが、アイツをフロアボスたらしめる唯一にして最大の特徴。
アイツの足は、決して水面下には沈まないのだ。
まるで、アスファルトにできた水たまりを踏みつけるように、バシャバシャと水飛沫を上げてボクらの隙を窺っている。
ぬかるみに足を取られるボクらよりも、相手の方が圧倒的に速い。
タンクが味方を守ろうと思っても、僅か数歩の距離が間に合わないのだ。
そんな圧倒的に不利な環境。
必然的に、ボクらは足を止めての交戦を余儀なくされてしまった。
動けないなら、殻に閉じこもって戦うしかない。
そこで、近接三名で三角形を作り、その頂点の間を埋めるようにキャスター陣を配置する。中心にはレンジャーの二人を据え、極端な密集陣形をとった。
相手は顎と尻尾しか攻撃の手段の無い、完全近接タイプだ。
接敵さえされなければ、完封だって可能だろう。
ボクを含めたキャスター陣は、ジャブ程度の攻撃を当てつつ、間合いの確保に専念する。ベティさんは空気泡で、ボクとワルカスさんは沼の水を使った水弾で、近づいてくるボスを弾き飛ばしていた。
そうやって、徹底的に自分達の間合いを相手に押しつける。
攻めあぐね、苛立ちを見せるフロアボス。
だが、ボクらは遠慮無く、淡々と遠隔攻撃で削っていく。
戦いとは非情な物なのだっ。
だけど、コイツが無駄にタフで……。
いつ果てるともしれない敵を相手に、持久戦を強いられていた。
果ての無いルーチンワークのように、安定した戦術を黙々と繰り返す。
でも、どんな事にだって、いつかは終わりが訪れる物だ。
気がつけば、ボスは腹を上にして沼に浮かんでいた。
「終わった……のか……?」
「うん、もう大丈夫みたい」
「はぁぁぁぁ――――……」
ボクが【診察】の結果を伝え、戦闘の終結を宣言すると、全員の口から溜息が零れた。
こちらの被害はゼロ。
完全勝利と言える仕合内容だった。
だというのに……。
今のボクらは、とても喜べる心境ではなかった。
暴れるフロアボス、対抗する魔法で飛び散る水飛沫。
ボクらは全員、もれなく泥まみれの状態だった。
今回【プロテクション】で防いでいるのは、極小の微生物や雑菌だけ。
おかげで、泥自体は保護膜を素通りしてしまうのだ。
「あぅ~、お風呂に入りたい~~」
こんなの、泣き言の一つも言わずにいられるもんか!
痛み分け? いや、試合に勝って勝負に負けた?
そんな気分だった……。
「ペッペッ、口に入っちまったぜ……」
「あ、念のため【殺菌】するね。みんな集まってー」
ボクも飛沫が少し口に入ってしまった。
そのまま放置して腹痛でも起こしたら嫌だもんね。
「なぁ、提案なんだけどさ。今日の内に、行けるところまで登らねぇ?」
みんなも湿地の環境には辟易としていたらしい。
三一層になれば、また新しいステージに切り替わる。
そこまでとは言わないけど、レイドを組んで人数が多い今、出来る限り階層数を稼いでしまおうという意図は、満場一致で迎え入れられた。
「何度も泥塗れになるのは嫌ですからね、私も賛成です」
「おうっ! ガンガン行こうぜ! アピールタイムが増えるのはありがてぇ!」
違う思惑で賛同した人も、一人居るみたいだけど……。
そうして、ボクらは順調に湿地ステージを踏破していった。
だけど、湿地というのは本当に度し難い。
歩行の困難さ、汚染による不快感……。
まぁ、それは事前に分かっていた事だし、まだ我慢もできた。
「ユウ、大丈夫か? 集中できてねぇぞ?」
「だ、大丈夫っ!」
口ではそう言ったけど、完全にやせ我慢だった。
ムツゴロウタイプのモンスターを相手に、みんなが戦闘を繰り広げる中、ボクは一人、別の脅威と命がけのせめぎ合いを続けていた。
考えちゃ駄目だ、無心だっ。
でも、『考えるな』って考えている時点で、意識してるってことで……。
そうだ、円周率を頭の中で唱えようっ!
それなら気が紛れる!
三.一四一五九二六五三五………………ダメだ、もう限界――――ッ!
それは、事前調査では知り得なかった重大な脅威。
己の無知を呪うのは、コレで何度目だろう……。
湿地っていうのは、泥、沼、池って感じの場所じゃないですか!
つまり、体が常に水に浸かっているわけですよ。
何が言いたいかというと、体が冷えるって事です。
あぁ、もうっ。ズバリ言っちゃいます!
尿意ですっ! 漏れそうなんですっ!
湿気の所為で蒸し暑さを感じるっていうのに、気づかないうちに体が冷えているなんて、わけ分かんない!
しかし、今にして思えば、事前にそんな注意事項が出てこなかったのも、無理のない話なのかもしれない……。
この街の冒険者は、八割近くが男性なのだ。
当然、湿地の情報を聞かせて貰った冒険者も、みんな男性だった。
男なら、そりゃ気にしないだろうさ。
攻略中にもよおしたって、ズボンを少し下ろせば用を足せるんだもん。
男性視点では、それが問題になるって発想自体が無かったんだろう。
だから、女性冒険者がトイレに困るなんて情報、出てくる訳が無い!
先生は冒険者じゃないから、防疫面の話しか聞けなかったし……。
いつものメンバーだけだったら、ボクも平気だったかもしれない。
でも、今回は初対面の男性達が居る。
元男とはいえ、ボクも女の身としては隠したい事もある訳ですよ。
階層移動の際にダンジョンから出て、トイレ休憩を挟めば良かったのだ。
でも、それと気づいたときには、既にダンジョンの奥深く。
一度気になり始めると、尿意が際限なく高まっていってしまった。
アレって一体、なんでなんだろうね……。
もう……、次に戦闘したら決壊する……。
そんな限界点まで我慢した末、ボクはシロさんの袖を引っ張り、そっと耳打ちした。
「あ~……、悪ぃ。ちょっとだけ休憩良いか? ほれっ、ユウ行ってこい」
「――――ッ」
ボクはみんなから離れ、葦原の奥へと分け入った。
こんなの絶対バレバレだ……。
それにほら、辺り一面水場なわけですよ。
だから……、その……音が……ね。
葦原をかき分けて戻った時、アルフォートチームの全員が、ボクから視線を逸らして赤くなっていた。
「お、お待たせしました…………」
「「「い、いえ……」」」
消え入りそうなボクの声に、居心地の悪そうな返事が返ってくる。
今日も順調に増える黒歴史……。
もしも、ボクの所へ湿地の注意点を聞きにくる人がいたら、「階層移動の際には必ずトイレに行け!」ってアドバイスする事を、固く心に誓った。




