72話 ケロケロタイム
水音を響かせ、八人が行く。
砂漠ステージの時は、肌を焼く太陽や、乾ききった空気が体を容赦なく苛み、生命の危機を感じる環境だった。
対してこの湿地ステージでは、湿りきった空気や泥水が、肌を容赦なく濡らし、汚してゆく。気温は高くないはずなのに、ジワリと汗が滲み、そのくせ気化できない汗は肌を伝うばかりで、蒸し暑さを一向に和らげてくれない。
背丈を超える葦で視界が塞がれているのも、圧迫感を感じてしまう。
――――そう、これはストレスだ。
このステージは不快さこそが最大の敵だった。
アルフォートさんが先頭に立ち、葦原を掻き分けて進んで行く。
その後に続いて、シロさんが周囲を警戒していた。
森林ステージなんかよりもずっと視界が悪い……。
この環境はレンジャークラスのライエルさんでさえ手を焼くらしく、索敵をシロさんに丸投げしていた。だからって、「君もレンジャーなら働きなよっ」なんて、安易に責めるのも酷な話なんだよね。
特能が発現して以来、シロさんは同レベル帯のレンジャーより、頭一つ抜けてしまった。索敵技能だけなら、熟練冒険者と勝負できる程の腕前なのだ。
今では半径二〇メートル程なら、視力に頼らずとも敵の位置を正確に把握してしまう。もっと大まかな数や方角で良いなら、聴覚や嗅覚でずっと遠くの方まで状況を探ることができる。
そんなシロさんの知覚領域の中で、より狭い範囲を、より精度の低い索敵スキルで警戒したって意味は薄い。それなら、ヘタに出しゃばって神経をすり減らすよりも、その分戦闘で頑張ってもらった方が良いもんね。
それに彼は、シロさんの習得していないスキルで、ボクらを支援してくれているし。それは、悪路を歩き易くする移動補助のスキルなんだけど……。
今、ボクの脚は踝まで泥に埋まっていた。
「うぅ~……、靴の中に泥が入ってきて気持ち悪い……」
足を引き抜く度に、靴が泥に持っていかれそうになる。
これ……。バフの効果って、ちゃんと出てるんだよね?
「思い出したくもねぇけどよ……。俺達が二一層を攻略した時は、膝まで泥に埋まったぜ。場所によっちゃ腰までズブリってな……」
うへぇ…………。
ライエルさんの身長で腰までなら、ボクは胸元まで埋まってしまう。
全身を泥に包まれる感触を想像して、背筋がブルッと震えてしまった。
「二一層だけは無理矢理クリアしたけどよ、流石に対策を考えねぇと洒落にならねぇって思ってな。最優先で【フェザーストライド】を覚えてきたって訳だ」
「マジ助かる……。俺も次までに覚えておくわ」
疑ってゴメンナサイ、超~神スキルでした。
しかし……、環境の悪さが想像以上に辛い。
今までのステージに比べて、移動速度がガタ落ちだもん。
敵の数が少ない事だけが、唯一の救いなんだけど……。
それでも、戦闘回数をゼロに抑えられるわけでもないからね。
ほら、早速シロさんが敵の存在を感知してる。
「進行方向に二匹居るな……。このまま交戦するか?」
「ええ、モンスターはそれ程強くありませんし、最短距離で向かいましょう」
ここは経験者の意見に従っておくべきだろう。
「私も前に出ますね」
殿を務めていたハルちゃんが前衛に加わり、二列縦隊で進んでいく。
この層にいるのは九割方ジャイアントトードだ。
勢いよく伸ばされる舌が、棒術のように鋭いのが特徴で、射程はおよそ七メートル。身体能力が低く、湿地という環境補正がなければ、一層よりも弱いと酷評されているモンスターだ。
逆に言えば、足場の悪さとミドルレンジの射程が相まって、近接職だと一方的に攻撃され続ける事もあるらしい。
機動力を売りにするカナさんにとって、最悪の相性だった。
回避行動が大幅に制限される現状では、防御をタンク任せにするしかない。
タンクの影に隠れながら、遠距離攻撃で討ち取るのが湿地のセオリーだろう。
「あと九メートル。そろそろ敵の射程に入るぞ」
「うんっ!」
「はいっ!」
弓を持つ二人は矢を番え、ワルカスさんは周囲の水で水弾を作りだし、宙に浮かべている。敵を視認でき次第、遠距離火力により一気に殲滅を狙う作戦だ。
「敵は正面方向ですの?」
「あぁ、このまま真っ直ぐだ」
ベティさんが確認を取ると、ボクらの先頭に黄緑色に輝く精霊が舞い降りる。
「では、一番手は戴きますわね」
彼女が前方に手をかざすと、鋭い風切り音が鳴り響いた。
地を這うような鎌鼬の一閃。
葦は根元から刈り飛ばされて宙を舞っていた。
次いで巻き起こった突風が、それらを一斉に吹き散らしていく。
「居たっ!」
風が吹き抜けたその先に、青緑色の大きな蛙が一匹。
体高は七〇センチ程、伸び上がれば体長一五〇センチはあるだろう。
そうして、視界がクリアになった事で、戦端は開かれた。
最初に動いたのはワルカスさんだ。
放たれた水弾は、前衛を避けるように弧を描いて飛翔し、蛙の柔らかい皮膚に穴を穿つ!
だけど、そいつは身じろぎひとつしない。
まるで痛みを感じていないとでも言わんばかりだった。
あれ――――、違う!?
「アイツ、もう死んでる!」
【診察】で敵のステータスを確認すると、既に生命の光が失われていた。
視界確保の為に放ったベティさんの魔法。
どうやら、アレに巻き込まれ、二枚に下ろされていたらしい。
姿が確認できた時には、既に方が付いていたってわけね……。
しかし、シロさんが感知した敵は二匹だったはず!
「おいっ! もう一匹居るぞっ! 上だ!」
敏感に危機を察知したのか、もう一匹は、宙を舞う葦に紛れて跳び上がっていた。人間は上下の動きに弱いって聞いた事がある。
その所為なのか、跳び上がった蛙の挙動に戸惑い、弓を持つ二人は狙いがもたついてしまった。
焦って放ったライエルさんの矢は、狙いを外して遙か彼方へ……。
その点、シロさんは確実さを優先し、着地の瞬間を冷静に待ち構えていた。
選択としては、それで正解だったのだと思う。
だけど、待ちの姿勢は蛙に先制を許してしまった。
跳躍により、蛙との間合いは五メートル程に縮まっていたのだ。
それは完全に敵の射程圏内。
落下中に射出された舌先が、投槍のようにボクらへと迫ってきた!
「うわっ!?」
ボクは咄嗟に身構えようとしたのだけど、足が泥から抜けず、逆に体勢を崩してしまった。
泥のような流体は、急激な変化を阻害する力が働くんだっけ。
確かダイラタンシーとか何とか……。
って、今そんな科学の蘊蓄なんて思い出してる場合じゃないっ!
幸い、蛙の攻撃はハルちゃんの守備範囲に収まっていたらしい。
唾液でぬめった舌先は、盾に弾かれて軌道を逸らされていた。
しかし、今回の戦闘において、機先を制していたのは一貫して蛙の方。
意外と頭が回るらしく、舌先で狙ったのはシロさんだったのだ。
タイミングを計っていた彼女は、虚を突かれて姿勢を崩し、更に一手遅れる羽目に。
これで次もまた蛙の手番――――、ボクはそう思っていた。
だけど、貪欲にチャンスを窺っていた男が一人居た。
舌が引き戻されるよりも早く、カナさんがその舌を絡め取ってしまったのだ。
彼が掴んだ舌に、白く霜が降りている。
氷結魔法を手に纏わせて、唾液で滑らないようにしたらしい。
「捕まえ……たっ!」
かけ声と共に、彼が渾身の力で舌を引っ張ると、蛙は踏ん張る事も叶わず、水風船のようにすっ飛んできた。
牙も無い、爪も無い、身を守る鱗も無い。
唯一の攻撃手段を封じられて、哀れに釣り上げられた蛙は、ハルちゃんが擦れ違い様に剣を振り抜くと、為す術も無く真っ二つに両断されてしまった。
遠距離火力で仕留めるしかないと思っていたのに、蓋を開けてみれば近接の二人であっさりと駆除が完了……。
近接ジョブでは辛いだろう、なんて思ってゴメンナサイ。
ボクらは湿地での初戦を乗り切り、勝利に沸いていた。
結果的に、ボクらのパーティだけで殲滅してしまった形だけど、アルフォートさん達も我が事のように喜んでくれている。
「精霊……、凄い……、初めて見ました…………」
ワルカスさんが精霊を見て驚いている。
彼らは精霊を見るのが初めてだったらしく、ベティさんを持て囃していた。
未だに人付き合いの苦手な彼女は、彼らの賞賛がこそばゆいらしく、最後にはボクの背に隠れて照れていた。
こういう可愛い子なんですよ。
それを見て、ライエルさんが頬を染めていたけど……、あげませんからねっ!
「しかし、新しい環境や敵というのは、やはり戸惑うものですね」
全くもってその通りだと思う。
十一層に上がった時もそうだったけど、環境が変わるとソレまでに培ってきたセオリーが、一度リセットされてしまうのだ。
まぁ、今回は数の暴力で攻めているから、気分的には余裕があるけど。
移動制限のある環境での立ち回りか……。
しっかり練っておかないと、強い敵が出てきたら大変そうだ。




