切り札
バカと煙は高いところが好き、という例えがある。
エレベーターの最上階にクラーケン組の事務所を、ビルの中に組の事務所をそのまま落とし込むクレイジーさを確認し、改めてそんなことを思った次第だ。
エレベーターから外に出ると、お出迎えはなかった。
てっきり、組の幹部以下の者どもからの鉛玉のサプライズパーティーでも想像していたのだが、アッサリと裏切られた。
まぁ、面倒なドンパチを避けられたから、ラッキー! とでも思うことにする。
自動ドアをくぐる前まではそう考えていた。しかし、実際にクラーケンに出会って考えが甘かったと知った。
蛸入道は、自分のテーブルでお食事中だった。
ハゲ頭の横に生えたタコ足(というより吸盤)が逃げようとする組の幹部たちをキッチリとロックしていて、器用に口もとに並べられていた。
それを蛸入道が大口を開いて、バクッと頭からかじり、ゴリゴリッと乱暴に咀嚼している。
人体のあらゆる部位から様々な液体が流れて、人間だったモノの衣服が汚れていく。
蛸入道は脳ミソと心臓の二つだけを味わうと、無造作に床に投げ捨てた。体液もそこそこ吸っているようで、よだれの塊で包まれた死体から血が漏れ出すことはなかった。お行儀がいいのか、浅ましいのかは判断がつかない。
「た、たひゅ、たひゅけて!」
投げ捨てられた餌の次のお食事の人柱が、何も知らずに現れた俺に対して、勇気を絞り出して救いを求めた。
俺は50口径の再装填された銃を取り出すと、蛸入道に向けるフリをして人柱を撃った。
理由。
俺の銃を見ても特に動じず、むしろ『やってみろ』と云わんばかりの視線を寄越してきたから。
人柱の後頭部が派手に爆発して、人柱は即死した。
お食事の邪魔をされた蛸入道は、これに激怒して、俺に向けて、空いたタコ足を横薙ぎにかつ乱暴に振り回してきた。
上下に揺れながらのタコ足の横薙ぎに対して、実のところ、回避手段が思いつかなかった。
ジャンプをするにも、地を這うようなしゃがみで避けようにも下手な丸太よりも太いタコ足が上下にブレながら迫ってきている。
「タヂカラオ!」
「筋肉!」
俺とタコ足の間に入っていったマッチョメン、サワヤカ笑顔でポージングを華麗にキメた。
いやいやいや、俺はマッチョメンに防御して貰おうと呼びつけたのに、違う反応。
人間の世界の量販店で購入した汎用スーツに異世界勇者のような謎防御力が備わっているはずもなく、タコ足の勢いは止まることなく、間近に迫る。
身体に甚大な外傷が残ることを覚悟して、事の顛末を見守ろうとタコ足の動向を見届けようと凝視していると、タコ足の動きが止まった。それどころか、フリーでうねっていた数本のタコ足が蛸入道の下に集い、人肉食が消化に良くなかったのかおもむろに吐き続ける蛸入道の背中を軽くタッチしていたり、震える蛸入道をタコ足で優しく擦り付けることで介護している風に見えた。
「気持ち悪いモン、見せんなや、ゴラァ」
一通り吐いて顔色が良くなったクラーケンが、汚物まみれの唇ですごむ。
そう大して広くない室内が、死臭と汚物臭で溢れかえっているのは、おもに蛸入道に原因がある。
「そこの筋肉、おめーだよ、お前」
「これは存外な。筋肉は己を映す鏡。美しい筋肉には美しい心が宿るのです」
とまぁ、こんな感じでタヂカラオ、人の話を聞かずに別のマッスルポーズ。
その度に蛸入道にメンタル面でのダメージが入るのか、またもゲロゲロゲロ。
数少ない残った組員どもも、貰いゲロ。知り合いのハエ男なら大歓喜する場面か。
「あまちゃん、浄化して」
「心得た」
腐臭が向こう側にも届いていたのか、あまちゃんの行動は早かった。
高熱の光にコンクリの壁が崩れ落ちたのを機に、浄化というよりも浄火といった光がパッと輝くと、瞬く間に蛸入道は黒焦げになり、生存していた組員は生きながら焼かれ、灰となった。
実のところ、俺もあまちゃんのフラッシュ攻撃との相性が良くないので、そこはタヂカラオを肉の盾にしてダメージを防ぐ。幸いなことに、タヂカラオは不意にライトアップされて注目を浴びたと思ったのか、ここぞとばかり筋肉を増量して踏ん張ったので、盾の裏に光が差し込むということはなく、無事にやり過ごせた。
「ふむ。ベルフェゴールどのは線が細すぎますな。適度な運動とタンパク質で体幹を鍛えることをオススメしますぞ。それはもう、見違えりまずぞ!」
ダメージを防ぐ……つまり、タヂカラオと同じマッスルポーズをとることで危機を回避したものの、タヂカラオには筋肉の品評に受け捉えられたらしく、そんなことを言われる。
まぁ、今回はタヂカラオのおかげで命拾いをしたので、大人しく頷いておいた。
◇◆◇◆
黒焦げになった蛸入道こと昏呀剣の死亡を確認するべく、俺とタヂカラオは丸まった態勢のまま黒焦げになった蛸入道の焦げた部分を剥ぎ取った。といっても、まずタヂカラオが拳で黒焦げの部分にヒビを入れて、タヂカラオの筋肉で黒焦げを剥いでいるので、俺は死亡確認のために蛸入道の顔を覗き込むだけだったりもする。
そこで俺は見てしまった。
咄嗟に触手でガードしたことにより、食べ頃の色合いになったタコ足をハフハフと貪るように食べる蛸入道の姿を。
「このタコ、無駄にしつこいな!」
俺は手持ちの50口径を顔めがけて発砲するが、タコの顔は衝撃をうまく逃がす機構でも備わっているのか、銃による貫通ダメージは思ったほど少なかった。
蛸入道は俺じゃあまともにダメージを与えられないことを知って、底意地の悪いイヤラシい笑顔になった。
「ベルフェゴール、伏せるのじゃ!」
異変を感じとったあまちゃんがフラッシュ攻撃を仕掛けるも、新しく生えたタコ足が犠牲になり、そのタコ足を蛸入道が瞬く間に食べることにより、失ったダメージを回復させるという腹芸ならぬタコ芸を見せつける。そのうち、何度もフラッシュ攻撃をしていたあまちゃんがスタミナ切れを起こしてバテた。
申し分ない最高戦力を有するも、戦闘経験の少なさが裏目に出た。
「フハハハ、話に聞く神とやらも案外、大したことないのぉ。あの若造の言うとおりやった」
「あの若造?」
「おおよ。半信半疑で改造手術を受けて、この成果じゃろ。お前らを食べて新しい力を付けたら、新しい組織を作り直して天下統一を夢見るのも悪くないのぉ」
「おい、その若造のことをもっと教えろ」
「そいつは無理な話だ。口を滑らせたわしの過失は認めるが、それ以上はしゃべらんよ」
蛸入道は夢を語るオヤジの面から、真顔に戻った。ヤル気満々だ。
口を割らせることを思いついたが、コイツは恐怖を与える側にいた元人間で、クレイジーな改造手術にも応じている。俺の技量ではコイツに恐怖を与える実力が不足している。ったく、相手の考えを読み取る魔法が欲しいぜ。
仕方ない。蛸入道にはそろそろ退場して貰おう。
「お前、俺が銃だけしか取り柄のない男だと思っていたら、大間違いだと付け加えておこう」
「ハッ、ミサイルランチャーでも撃つのか? 無駄なことだぞ」
相手は、あまちゃんのフラッシュ攻撃にさえ耐えるタコである。そんなことは百も承知。
「いいか、タコ野郎。攻撃というのは、何も自分の力で与えるだけではない、ということをその少ない脳ミソに教えてやろう」
俺は懐から試験管を取り出すと、いつの間にか描かれていた五芒星の中央に試験管を落とし、中身の気体に対して、言い放った。
「召喚・スサノオ!」
俺の呼びかけに応じるかのように、五芒星は明滅と竜巻を発生させ、竜巻の収束と同時に七支刀を肩に掛けた上半身裸の気の強そうな少年が姿を現した。
少年が俺の目を見て、ニッと笑いかけた。俺は親指を立てて応じ、蛸入道に対してその指を下げた。
少年の口角がそれを見てニタァと持ち上がり、少年は七支刀を振り上げて構える。
何の情報もない蛸入道は、どうせハッタリだろうと俺に対して行ったタコ足の薙ぎ払いをスサノオに喰らわせた。
スサノオは剣で受け止めるということをせず、むしろ、タコ足にうまく剣を当てるという技量で攻撃を封じた。
攻撃を封じた、というのは、スサノオの七支刀が一振りにつき七振りの切断攻撃になるからだ。
それをスサノオが乱暴に振るうだけで、タコ足はミキサーにかけられたかのように細かく縦横にスライスされて、元の形を留めていなかった。
登場から僅か秒単位で、蛸入道のタコ足をすべてスライスしてしまった。そして、その勢いは胴体を撫で斬りにする寸前のところで……
「クソが!」
蛸入道は思わず悪態をついた。デタラメな暴力を目の当たりにしたら、誰だってそう言いたくもなる。こちら側としては、出来れば恐怖に怯えて欲しかったが、やっぱ無理か。
「クソだと?」
クソ呼ばわりされたスサノオが、攻撃を中断するや身体をブルルッと震わせた。それは、蛸入道の新しいタコ足が今までのものよりも一回り大きいことからくる恐怖ではないことを付け加えておこう。しかし、いちいち反応しなくてはならない局面なのか? という疑問がないわけではない。
「俺のことをバカにしていいのは、ねーちゃん二人とにーちゃんだけなんだ!」
どうでもいいことだが、スサノオは行儀が悪い。
初対面の相手に対して、わざとズボンをまくり、脱糞して相手の反応を見る悪癖が一番有名だ。
大体の客人がスサノオの行為を見なかったことにして大人の対応をとるなか、ブリブリ中で身動き取れない状態のスサノオの頭を殴りつけ、生き残れたのは、あまちゃん&つくちゃん以外では俺ぐらいらしい。
「ハンッ、そうかよ、クソガキ!」
これが、蛸入道の最期の言葉になった。
またもクソ呼ばわりされて上半身が赤銅色にまで染まったスサノオは、スジが浮かぶほどに荒ぶる筋肉と化した両腕で七支刀をさらにブンブンと振り回した。
蛸入道は瞬間、細切れ、ミンチ、ペースト状化し、血だまりになった。だが、この状態になってもなお、再び形作ろうとしてウネウネと動き始めたので、あまちゃんのフラッシュで浄化させることにした。
あまちゃんが魂の安息を願い、弔いの言葉をかけた。
事務所の中で犠牲になった靄状の魂が姿を現し、あまちゃんに対し、皆、頭を下げた。
元組長だけが、なんとか生き返らないかと云わんばかりにまだウネウネしていたが、元組員たちによって、乱暴に取り押さえられ、どうにか旅立っていった。
どこまでもしぶとい蛸だった。