俺の名字は鐘笛(ベルフェ)や!
一人で眠るのはトラウマだ。
思い出したくもない古い記憶が昨日のように蘇る。
昨日までの俺は幸せ者だった。
互いの息がかかる距離に彼女がいて、手を伸ばすとぬくもりを感じられた。
優しく揺さぶられて、寝ぼけ眼の顔を上げると彼女の顔に迎えられた。
優しく受け入れていく唇が、脳をほどよく刺激して、うまいこと覚醒させてくれる。
それは、今、自分で淹れたコーヒーの刺激よりも……クセになる。
◇◆◇◆
昨日の晩、彼女はいなくなった。
台所のテーブルに「探さないで下さい」とだけ書かれたメモがあった。
すぐさま、伝手を頼って、調査してもらった。
人間の、探偵という職業人は、お手上げだった。痕跡がなくては推理が立てられないようだ。
動物……というか、犬の鼻でも無理だった。何の臭いもなかったそうだ。
となると、残る線は、魔力関連となる。
いわゆるの、魔法の力でどこかに跳ばされるーーという類いだ。
日頃お世話になっている依頼人の視線が俺に刺さる。
「俺の知り合いに頼んでみます」
「お前の力では出来ないことなのか?」
「俺の力は強力すぎましてね。姐さん方に、迷惑はかけられないんで」
控えめに表現してみたが、依頼人のボディーガードのプライドを刺激した。
すぐさま依頼人が、ボディーガードを目で殺す。
苦手意識があるのか、彼の感情は大人しくなった。
「話は変わるが、お前は明日、来るのか」
「最終日ですからね。姐さんからの報酬で、彼女捜しの準備を整えなくちゃあ」
「そうか。それならば、今回は無事成功した暁にはイロを付けておこう」
「あざっす!」
俺はつい、相撲取りが報奨金を目の前にして手を左右に動かす仕草をとった。
探偵が、そんな俺を見て、首をかしげている。
言わずとも、何を思っているかはよく分かる。
悪魔のクセに、やたらと人間くさいのは、魔界を捨てて人間界での生活が長いからだ。
◇◆◇◆
翌朝、久しぶりに自分で淹れたコーヒーを飲んでみたが、マズかった。
口直しにありあわせの砂糖菓子を食べたが、いつもの朝食はまとまった量を採ることもあってか、物足りなかった。
かといって外食は、チェーン店のようなところは騒々しい。
コンビニでーーと思ったが、朝から、いや朝だからか思った以上に人が多かった。
並んで待つ、ということが出来ない性格なので、ダメ元で昨晩、メールのやりとりをした探偵に電話をかけることにした。
(えっ!? あまり人の入っていないようなお店でご飯が食べられるところですか……)
依頼の電話でなくて済まないと自覚はしている。しかし、可及的速やかにこの空腹を俺はどうにかしたいのだ。頼む、探偵! 俺の願いよ、通じろ!
(あります。鐘笛さんの場所からだと少し遠いですが、カレーとコーヒーをオススメしますよ)
マジかーっ! 願いが通じた。カレーもコーヒーもどちらも好物なので、俺の心の中はその店で即決だった。そして、探偵はわざわざメールで場所まで教えてくれた。
何だか、モンブランみたいな名前の喫茶店だったが、空きっ腹の俺は、その店名が甘ったるそうであっても、気にしないことにした。
刮目集中。我、カレーの為に突撃せり! である。
店のドアベルが鳴るのと、俺の腹の音が鳴る音がシンクロした。
俺の腹の音の方が大きかった。勝った。どうでもいいが。
探偵から聞いていた話と少し違ったのは、店主が青年だったことだ。
ノスタルジーを感じずにはいられない硬貨を入れるタイプの公衆電話に目を奪われて、そのままカウンター席についた。
注文を頼まずとも、店主の方から動きがあった。
コーヒーとカレーが添えるように運ばれてきた。
まず、手を合わせ、巡り合わせに感謝の言葉を捧げる。
初めてこの国に来たときに、寛容の精神で受け入れてくれた神様から教わった習慣である。
「あ!」
閃きをつい口にして、店主の視線を浴びてしまったので、すかさず「美味い美味い」とフォローしながらカレーを飲み物のようにかきこんだ。
「か!」
店主のカレーは例えるならば、辛ウマ系だ。辛いが美味いのでスプーンの動きが止まらない。
「ん?」
対して、食後のコーヒーの一口めは辛みで荒ぶる気持ちを鎮めさせた。
二口めは、コーヒーの味わいが舌と鼻を駆けめぐるように広がっていく。
飲み終えると、心の中が燃え盛り、寝ぼけ眼が吹き飛んでいく感触を得た。
普通は、カレーの辛みでコーヒーも辛く感じる妙味があるはずなのだが、まぁ、いいだろう。
「ごちそうさん。釣りは要らない」
この気持ちに、釣り銭受け渡しのこまごまとしたことで水を差されたくなかったので、五千円札をカレーの皿に挟み、店を後にした。
流石は探偵が足で稼いで知り得た情報だな、と感心しながら。
◇◆◇◆
次に向かったのは神社だった。
やることは、神頼みだ。
お賽銭を入れる方のではなく、知り合いの神様に実際に頼んでみるのだ。
俺が頭を下げたぐらいで、相手が気安く頼みに応じてくれるかは不明だが、他に頼める相手もいない。
「アンタが、鐘笛さんか?」
途中、サングラスにリーゼントに特攻服という成人式に出没するようなニーチャンに声をかけられた。その背後にもオラオラ系やギャングスターなど、不良の見本市のようなメンツがズラリと揃っていた。
「時は金なり」
「はぁっ!?」
真面目に路地裏に連れられる趣味はないので、懐からハンドガンを取り出して、発砲。
口径はそこそこにあるので、リーゼントの後頭部がグチャッと道路に飛び散った。
突然のことに、映画のアトラクションか何かと勘違いしているのか、背後の連中が動かないことを幸いに、今度はパイナップルを投擲しておく。
まさか、コロンコロンと連中に対して転がってくるのを律儀に見届けてくれるとは思わなかった。
爆発と同時に群れの中央に血なまぐさい大穴が出来て、幾人かが、重力に逆らうようにして吹っ飛んでいく。流石、ヤンキー、反骨心はバツグンだ!
かろうじて生き残りがいたが、刃向かう様子はなかった。
赦しを請われたが、射殺。無防備な背中も射殺対象。
下手な情けは余計なトラブルの元にしかならない。
頭数がそこそこあったので、十数分は足止めを喰らった。
いつものことだが、中途半端に生き残るヤツほど、味わわなくても良い苦痛を浴びて、苦悶の表情のまま息絶えている。最後の一人なんか、血の涙に失禁に脱糞である。ハエのアイツなら上機嫌だろうな。
サッサと死ねるヤツは、実は運が良いのだ。
どうでもいい知識だがね。
そのままにしておくといろいろとマズいので、こんなこともあろうかと特製の犬笛を吹く。
犬笛なので、人間の耳には音として認識されないが、俺が呼んだのは地獄の猟犬ガルム。
目の前に転がるフレッシュなミートに対して、嬉々とした表情で喰らい付くし、流血・肉片すらも残さない。
この時ばかりは、自分が人間ではないことに感謝するね。じゃないと、こんな便利な証拠隠滅、出来ないからね。
思わぬ餌にありつけた喜びに震えるガルムたちが、しっかりと役割を終えて地面に吸い込まれるようにして消失するのを見届けてから、俺は目的地へと急いだ。