神話のその後の話
封印を解いたので、大勢の蛇たちが宿屋の方へと向かっていった。
正直なところ、俺の呼び出した影達だけでは労働力が不足していたので、蛇たちを上手くこき使ってやって欲しい。
さて、あまちゃんから貰った衣服を着たことで俺の力は弱まったものの、まだスサノオの疲弊は抜けきっていなかった。そこで、俺はオモイカネさんから貰った回復薬の入った竹筒をスサノオに渡す。
彼はそれが何であるかを知り、大人しく飲み干した。
一方で、タヂカラオは立ち上がるだけの力を使い果たし、力なく横たわっている。
俺は彼に、つい先程(彼から)貰ったばかりの力の湧く丸薬を口に含ませた。
「相変わらず、にーちゃんの本気はシャレにならないよな!」
疲れが癒されたスサノオが笑顔で接してくる。
タヂカラオも「うぬ」と頷いてくる。
「でも前回よりは耐えていたよな。にーちゃんも見てくれてたよな!」
ちなみに、スサノオは前回の腕試しでは耐えられなかった。今回のタヂカラオのように地面に顔をペロッとつけて、起き上がることすらままならなかった。暴力の権化としては、これほどの屈辱もなかろう。だが、この愛すべき脳筋は、俺の、押しつけられた呪いでさえも修行か何かのように受け止め、些末なことを気にしないどころか、自分の進歩を前向きに捉えている。
蛇足だが、俺の呪いのようなこの力に耐えられる他のメンツは、あまちゃんとつくちゃんだ。
果てなく燃え盛る太陽とあまねく拡がる闇そのものが相手だと、カタチとなったモノ……というか、武器や鎧と云ったモノの物質のみならず、能力のステータス化と云った表現の付いたモノの劣化を著しく早めるだけのこの力では抑えつけようがないようだ。
俺に何かが起こると、あの二人が駆けつけてくるのはそういう理由からだろう。
スサノオとタヂカラオが付いてくるのは、力試しの延長だろう。
オモイカネさんは、あまちゃんとつくちゃんのお目付役というポジションに誇りを持っているので、そこがどんなに難所であっても付いてくる。
俺から見たら、それが結果的に非常にバランスの取れた冒険者パーティーに映る。
話が脱線したな。
◆◇◆◇
「ところで、アナンタさん。何か用ですか?」
恭順の意を示したあとからずっと、他の蛇よりも巨大で存在感のあるこの蛇は何を語るわけでもなく、そばにいた。
「不思議と、貴方から我が主神のニオイがするのです。貴方は何かをお知りのようだ」
「ヴィシュヌ神のことだろうか?」
「わ、我が主神の名を! 主神は今何処へ?」
狼狽える蛇をよそに、俺はまず、気絶しているつくちゃんを抱きかかえた。
その場で頬を軽く叩いて意識を取り戻すのも悪くはないが、どうせなら、乙女が憧れるというお姫様抱っこで移動しておこう。これなら、素直にその場で起こしたときよりも、つくちゃんに説教されるリスクがあわよくば回避されるだろう。何てったってつくちゃんは、手繋ぎで移動するだけでもドキマギしている少女なのだから。
再び(宿屋の)建設予定地に戻る。
急に増えた労働力は上手く活用され、すでに土台を作り終え、木枠を用いて宿屋の外観を作成中だった。
「ん? 俺が想像していた宿屋よりも規模が大きいな。まるで旅館だな」
「急に増えた労働力を賄うのじゃ。天然の温泉があって、材料の木材もかなり余っているとなると、本格旅館にした方が無駄がないであろう」
現場監督とわかる黄色のヘルメットを被ったあまちゃんが、計画書で肩をポンポンと叩きながら現れた。
なんだろう。この子のボス感馴れ。可愛いのに非常に信頼できる。
「ツクヨミ! 起きているのなら、そろそろコイツから離れるのじゃ!」
ん? ファルネーゼの真似がブームなのか、あまちゃんが俺の名を言わなくなった。
それはさておき、あまちゃんの眼圧でこの場の空気が暖かくなった。このまま俺がつくちゃんを抱っこし続けると、暑いと云うよりは融解レベルまでに酷くなりそうな予感がしたので、俺はつくちゃんを解放する。
つくちゃんもあまちゃんをよく知っているせいか、大人しく従う。
「ところでお前様はこの場に何の用なのか?」
「ああ、ダハーカ姉さんに用があったんだ。神話の”その後”の話について」
現在進行形で未だに多数の信者を擁するあまちゃんには分からないだろうけれど、俺や姉さんのように信者を失った神達の末期は明るくない。そこにアナンタのような仕えていた主神を見失った者達が現れた。
どうやら、俺の想像通りの良くない予感がしてならない。
やや遅れて、ゲッソリと疲れ果てた表情の姉さんが現れた。
オモイカネさんの教育は順調のようだ。
「その後の話だったな。妾が封印されてからしばらくは、妾の復活を願う陣営と阻止する陣営の長きにわたる闘争があった。だがそれもほんの数百年前に世界の至る所での布教に成功した陣営によって、どちらも倒された」
「その陣営は当初、妾を討伐するつもりだった。しかし、アイツの施した封印が想像以上に強固でな。妾は生き長らえることが出来た。じゃが、あの陣営は今度は妾が存在していた事実を消去することにした。妾の焦りを生み出し、封印を解いた妾を討伐する心積もりだったようじゃの。じゃが、妾と関わりの無いあやつ等でさえ解けなかった封印じゃ。妾にはどうもこうも出来ぬ。図らずとも妾は生き長らえた」
「結局のところ、あの陣営は妾の眠る洞窟を大量の土砂で埋め立ててどこぞへと飛び立っていった」
蛇足だが、ここで云う『陣営』とは、背中に羽を生やしニンゲンの姿を模したある種族をさす。大多数のニンゲンからしたらアレ等の存在はその爽やかな風貌から頼もしい味方と映るようだが、俺や姉さんからしたら、成り上がりのクソを崇め、クソ以外の存在を微塵も許さない心の狭い集団である。だから、アレとかソレといった表現になるのをご了承願いたい。
「そういえば、姉さんのところへアナンタさんに連れて行って貰う途中、物凄い濃厚な瘴気が周囲を包んでいたけど、アレは何だったんだ?」
「あやつ等が飛び去って以降、人々は世界のあちこちで多数の死者を生み出した。負の感情を纏う夥しい量の血を大地は吸い、それは妾の下へと集まった。その時の負の感情が瘴気へと変貌しても妾は驚かぬ」
うーん。多数の死者か。
世界大戦の犠牲者のことなのか、ペストなどの感染病のことだろうか。わからん。
「で、姉さんはその血、どうしたの?」
「絶望や憎悪をたっぷり含んでおったでな。なかなか美味じゃった」
飲んだンかーい!
まぁ、とりあえず姉さんは封印によって世間から忘れられてしまうものの、封印のおかげで生き長らえたのか。しかし、絶望や憎悪等を糧にする蛇はなかなかにしぶとい。そして、これらの負の感情はニンゲンが存在する限りなくなることはない。
仮に姉さんを討伐するつもりなら、姉さんという圧倒的な存在感から湧き上がる負の感情をどうにか処理しないことには、数多の脳味噌と心臓を潰しても、周囲の絶望等を吸収して再生するためきりが無いだろう。
今回は姉さんの未経験ゾーンを攻略してやり込めたが、何時また敵対関係に発展しないとも限らない。正直なところ、面倒くさい。が、考えるのをやめてもいい案件ではない。
まぁ、それはさておき、瘴気をどうにかするか。
一応、ダメ元で姉さんに聞いてみる。
「姉さん、血を飲み干したついでにあの瘴気も吸い取って貰えるかな?」
「瘴気はアレ等にとって毒ガスのような近寄りがたい代物だった。また、何時戻ってくるかもわからぬ。そのままでも妾は別に困らぬ」
ハルマゲドンを起こした終末の蛇とは思えない気弱な発言に、ちょっと引いた。
む、と俺の表情を読み取った姉さんがむくれた。
「お前はアイツらの執拗さを知らぬからそんな顔をするのだ」
「いやいや、姉さん、アイツらは俺の妹を手にかけ、あまちゃんの住むこの国に俺が逃げのびるまでほぼ年中、俺を追いかけ回していた。アレの執拗さは理解できる」
「ならば、分かるだろう?」
「分からなくはないが、せっかく姉さんと繋がることが出来たんだ。姉さんは俺の力を我が物にしてみる努力を磨いた方が良い。その方が、瘴気の中で生活するよりも己を鍛えてくれる」
「鍛える?」
「姉さんは初めから最強最悪の邪龍じゃなかった。奪われた者からの復讐に身を投じる際に持ち前の機転を活かして、相手からさまざまな能力を奪い、自分の力にと貪欲に取り込んだ。結果、復讐を果たした頃には姉さんの神話の中では討伐のもっとも難しい邪龍として君臨していた。だろう?」
姉さんは元々はただの蛇だった。ちょっとばかり図体が大きく、長生きだった。
ある日、つがいの夫が殺された。
ある神が、姉さんの旦那の皮をなめして防具にしたらさぞかし見た目が立派に映るだろう、というそれだけの理由だった。
その理由を知った姉さんは旦那の無念を晴らすため、復讐に走った。
食物連鎖もしくは弱肉強食の理をひっくり返す勢いで自分より手強い魔物に挑み、力を蓄え、ひょんな事で手負いの神を捕食することに成功し、その神の姿をとれるようになった。そこから先は復讐する神に親しい神々を、魔物を倒す際に培った相手を騙す幾多の方法を用いて捕食していき、その神々の力を吸収していった。
復讐する神の妻である美の神を捕食して、美の神ではない新参者の美しい神として君臨し、復讐者の目に留まることに成功した。その日の夜に早速寝室へと招かれて、姉さんは本懐を果たした。
唯一、誤算があったとすれば復讐者が武の神で、速やかに始末することが出来ず、争ってしまった。
これにより、力を蓄えて超巨大化した蛇の存在が明らかになり、また、幾多の神々を吸収して己の糧としたことにより邪神の資格を得、蛇であることを忘れていなかった姉さんは邪龍アジ・ダハーカを名乗り、最高神にとって無視できない存在へと認識された。
「お主、まるで一部始終を見てきたかのような言い振りじゃのぅ」
姉さんが疑問を口にする。俺は答えた。
「たまたま、姉さんの泣き声が耳に入ったんだ。肉塊を前に泣き出す蛇に興味が出てきて、調べて、姉さんにその理由を教える方法を考えていたら、姉さんの部下に食べられそうになったんで『とっておきの情報』と引き換えに命乞いをしたら、あれよあれよと姉さんの復讐劇が始まっていったのさ」
俺の発言のあと、姉さんの眼が勢いよく見開かれる。
「我が副官のキングーは、お前の情報をそのまま妾に伝えたのか」
「如何にも自分が調べてきましたよ、いやぁ、大変でした調のしゃべりで取り入るのに必死だったねぇ」
過去の記憶を遡る姉さん。
姉さんの記憶の中のキングー像が、確かにそんな風に視えた。
「キングーはその後、どうなった?」
「姉さんが封印され、最高神も相討ちでこの世から去った。大勢の神々が死んだ。武の神もいないーーと云う事態だっただろう。当然、下剋上が起きた。いきなり最高総司令官を名乗って、残った神々に喧嘩を売って、智略の神の策謀にまんまとハマって呆気なく死んだよ」
姉さんの嘲りを伴う笑いが少し漏れた。
「お前というヒマな弟の存在に感謝しよう。今回に限り、お前の望みを叶えてやろう」
姉さんはそう言うと深呼吸をした。
あまちゃんの周囲以外の全域を漂っていた瘴気が全て吸い尽くされた。
何となく、空気が美味く感じられた。
「おおおっ!」
作業現場から驚きの声が上がった。
作りかけの旅館が、早くも神格化のオーラを漂わせていた。
心なしか、蛇もドワーフもオーラを受けて、作業効率が上がったように思えた。




