花嫁と兎
先程の晴天とは一変して、空は雪雲に覆われている。
社へ向かう道中、美鶴と真白は無言だった。
家での事もあって、二人の間には気まずい空気が流れていた。
落ち葉を踏んで、歩いていく。
風が二人の間を吹き抜けていき、更に距離を広げたような気がした。
随分な距離を歩いているような気がするけど、目的の社はまだ見えない。
途中からこの森の奥へと進む道は、道なき道となっている。
どうりで今まで美鶴が社の存在に気が付かなかったわけだ。
「疲れた……」
体力は人並み以下だと自覚している。
日頃運動などと滅多にしない美鶴は、真白のペースについていくのが辛くなってきた。
不意に美鶴の3歩先を歩く真白が振り返る。
息が上がっている美鶴を見て、近づいてきた。
「疲れた?」
美鶴は首を縦に2回振って訴える。
すると真白はうーんと唸って美鶴に背を向け跪く。
「よし、乗って!」
突然の真白の行動に驚き、美鶴は目を丸くする。
そしてその行動の意味を理解するのに少々時間を要した。
「だ、だめだよ!」
「何故?」
真白にそう問われ、言葉につまる。
「何でって……は、恥ずかしい、し……」
美鶴は頬を紅潮させ、次第に声が小さくなった。
元々から小柄な美鶴が真白には更に小さく見えた。
「恥ずかしがる必要などない、美鶴が困っているのなら助けるのは当然だ」
さも当たり前、というような真白の態度に狼狽える。
美鶴は、真白を直視できなくなり目を背けた。
不意にどこからか、微かな足音が聞こえた。
さく、と落ち葉を踏む音が前から段々と近づいてきている。
顔を上げて前を見ると、琥珀色の長髪を一つに束ねている見目麗しい少年がじっとこちらを見ていた。
「真白、ねえ……」
いつのまにかそばにいた真白に声をかけて確認する。
真白が少年を見る目は探るような目だった。
少年は真白の姿を見た途端に跪き、言った。
「我が主、お久しぶりでございます。予定よりあまりにも遅いので、お迎えにあがりました」
その言葉を聞いた真白が一目散に少年の元へと駆け寄る。
その少年、先程は気付かなかったが、目は燃えるような赤だった。
「すまない、少し用事ができて遅れた」
真白がその少年を見る目は優しかった。
そして美鶴は一人、置いていかれているようで寂しく感じる。
「あの……、あなたは?」
おずおずと美鶴は少年に問いかける。
少年ははっとして、今度は美鶴に跪く。
「失礼、花嫁様。紹介が遅れました。私は代々雪神様に仕える白兎の家系の者です。鏡とお呼びください」
鏡と名乗った少年は恭しく頭を垂れる。
美鶴はそのかしこまった態度にまた狼狽えた。
「えっ……と。私は、雪村美鶴」
鏡は顔を上げて、美鶴をじっと見つめる。
その赤い瞳は嬉々としていて、少しばかり表情も柔らかい。
「存じております美鶴様。あなた様に会えるのを、楽しみにしておりました」
そう言う鏡の表情は少年そのもので、本当に嬉しく思ってくれているのだと伝わる。
鏡の話では、自分と美鶴を手伝うよう真白に言われたとのことだった。
「白兎の家についてはまた後程お話し致します。主、私だけでは力不足かと思い社にはもう一人待たせております」
「そうか。本当にありがとう、感謝している。鏡」
真白がそう礼を言うと鏡は少し頬を赤くして俯いた。
「こ、こちらです」
照れているようだ。
それでも美鶴達を案内する鏡は先陣を切って歩き出した。
それから5分程歩いていくと視界が晴れた。
薄暗い森を抜けたそこは、清廉な空気で満ちていた。
社が、その空気を造り出しているかのようだ。
自分などが、易々と近づいていいものなのか。
美鶴はそう躊躇して立ち止まる。
「……どうかされましたか?」
立ち止まる美鶴を不思議に思い、鏡が声をかける。
少し間をおいて、美鶴は鏡に言った。
「ここは、私なんかが立ち入っていい場所じゃない」
小さな声だったけれど、鏡には届いていたようだ。
美鶴の言葉を聞いた鏡は驚いた顔をした後、少し笑った。
「ご自分を卑下なさらないでください。あなた様は神の血をひいているんですよ、雪神様の血を。立ち入れないわけないじゃないですか」
それでも、美鶴が戸惑っていると目の前にすっと手が差し伸べられた。
「行こう」
差し伸べられた手は、真白のもので、美鶴が見上げると笑っていた。
美鶴はゆっくりとその手に自分の手を重ね、歩き出した。
ゆっくりと、美鶴は歩く。
真白は美鶴のペースに合わせて歩いている。
「……あ」
急に真白が前方を見据えて呟く。
その視線の先を辿ってみると、一人の少女が社の階段に座っていた。
鏡と同じ髪の色。
その髪は長さこそ鏡と同じものの、結んではおらず、ふわふわとしたウェーブがかかっていた。
そして鏡と同じ赤い瞳を持っている。
「あっ、主!」
その少女は真白を見ると、すごい速さで駆け寄ってきた。
「お久しぶりですー!覚えてますよね?ね?」
そして少女は凄い勢いで真白に詰め寄る。
真白が気圧されているのを初めて見た。
それほどまでに少女の威力はすごかった。
「つ、椎……」
やっと真白が声を発した。
すぐさま鏡がやってきて、少女と真白を引き離す。
「椎、花嫁様の前だ。少しは控えろ」
椎と呼ばれた少女は、鏡の言葉を聞いて、そばにいた美鶴を好奇の目でじっと見つめる。
その目の輝きはとても眩しかった。
「美鶴様ですよね!わー!あたし、会えるの楽しみにしてたんですよ!」
椎は美鶴の手を取って振り回す。
真白が気圧されるわけが分かった。
「お綺麗ですねぇー。小さい頃から主がご執心になるわけが分かりますー」
「つ、椎!」
真白が声をあげて椎の口をふさぐ。
でもそれは一足遅かった。
「え……と」
褒められただけでも恥ずかしいのに。美鶴は椎の言葉を理解して頬を赤くする。
そばでは鏡がため息をついた。
「申し訳ありません、美鶴様。椎に悪気はないのですが……」
「い、いや別に、いいよそんな謝らなくても」
謝られるともっと恥ずかしくなる。
無邪気に笑う椎を真白も責められないようだ。
「あ、申し遅れました。あたしは白兎の家のもので鏡とは双子になります。椎とお呼びください」
そう言って鏡と同じように頭を垂れる。
顔を上げると、椎は小さな微笑みを浮かべていた。
さながらその姿は美少女そのもので、女の美鶴も目を奪われる程だった。
「先程申しておりました、白兎の家についてお話致します」
鏡がそう言うと椎は美鶴のそばで話し始めた。
「白兎、雪兎とも言われてるんですが、あたし達の家は、代々雪神様とその花嫁様の、側近となる家なんです」
「私らは人間ではありません、今は人の姿をとっておりますが、本来はその名の通り兎なのです」
そう言って急に当たりが煙に包まれた。
その煙が晴れた向こうには2羽の兎がいた。
長い耳、赤い瞳を持つその2羽は言わずと知れた鏡と椎。
「お分かりになりましたでしょうか」
兎の姿のまま話す鏡。
真白と違って話すことができるらしい。
そうして2羽は元の人型に戻る。
「では、行きましょう」
鏡のその言葉に皆、社の中へと入っていく。
扉を引くと、木特有の音をたてて開いた。
薄暗いそこは随分と埃っぽく長年使われていないことが分かる。
美鶴が少し咳き込むと、真白が心配そうな目を向けてきた。
美鶴は大丈夫、と一言だけ言う。
「ここは、表向きは社となっておりますが、その奥にはこの地の歴史や、雪神様についての極秘の書物が置いてあります」
椎が1つの書物を手にとって言う。
それも埃かぶっていて払いながら説明する。
「もちろん、雪村家についての書物もあります」
そう言われ、まわりを見渡してみる。
例えるなら、学校の教室くらいの広さだろうか。
そこには膨大な量の書物があった。
「すごい量……」
美鶴は呟く。
この量を目の前にしてそう言わずにいれなかった。
「だから、私達もお手伝い致します」
そう言って鏡は笑う。
その笑顔はとても活き活きとしていた。
「では、始めよう」
真白のその一言で皆それぞれ別に動きだした。
「暗いなぁ……」
奥に行こうとするけど中々進むことができない。
足元に散らばる書物が美鶴の進路を邪魔する。
そして、美鶴の体には先程から異変があり、それも邪魔していた。
「頭、いたい……」
頭痛が治まらない。
鼓動とともに痛みが美鶴を襲う。
美鶴に流れる血が、昔に触れる事を拒んでいるのかもしれない。
「う、あ」
痛みは増していく。
強烈な目眩がして、体を支えようと近くの棚に手を伸ばす。
その棚にあった、1つの書物に指が触れた途端、どくん、と心臓が大きく波打った。
「これ……」
書物を手に取ると不思議と徐々に痛みがひいていく。
表紙をじっと見ると雪神と娘、という字が刻まれていた。
1ページずつ捲っていく美鶴は、まるで誰かに操られているようだった。
『交わした契約により雪村の家はは娘を捧げることとなった』
「違う」
この部分ではない。
誰かが告げる。
そして、美鶴のページを捲っていく手が止まった。
『古来より、雪神はこの地を守ってきた神である。四季神の一柱であり、雪を降らせることを仕事とする』
見覚えのある文に見入る。そしてまだ文には続きがある。
『雪神は、他の四季神とは違い男しかおらず、血を繋ぐために人間の娘を花嫁とする事を決めた。後に他の四季神も、花嫁を迎えることとなる。雪神の花嫁に選ばれた娘。その娘の姓は、雪村』
「いた……」
頭痛がぶりかえしてきた。
そこから先を知る事を拒むように。
再び目眩がする。
先程とは比べものにならないくらい強烈だった。
美鶴はその場に倒れこみ、意識を手放していった。