白猫の存在
「ただいま戻りました」
美鶴の声が廊下に響く。
声に返答はなく、美鶴の足音だけが聞こえる。
呼び出したはずの母はどこにいるのやら。
とりあえず母の自室に向かって歩く。もちろん、子猫を抱えたまま。
「お母さん?美鶴です」
襖の前で中にいるであろう母に声をかける。
今度はちゃんと返事がかえってきた。
「失礼します」
静かに襖を開けて中に入る。
母は静かな目で美鶴を見ていた。
「お帰りなさい、美鶴」
そう挨拶をして微笑む美鶴の母、雪村千鶴
落ち着いた立ち居振る舞いに美しいその姿。
名家雪村の名に恥じない素晴らしい女性。
「あら、その猫…」
母は美鶴が抱えている猫に目をやる。その目には優しさが滲んでいた。
「この子、家族がいないみたいなんです」
「懐かれてしまったのね」
母は少し笑い子猫に手を伸ばす。
美鶴は子猫を離し母に預ける。
子猫は母にも擦り寄り、喉を撫でられ気持ちよさそうにしている。
「飼うの?」
「え…いいんですか?」
思わぬ母の一言。
美鶴には飼うという発想はなかったから。
「構わないわよ」
そう言って母は柔らかく笑った。
「あの、話したい事と言うのは」
美鶴がそう切り出した瞬間、空気が緊張に包まれた。
母は子猫を抱きながら美鶴を一瞥した。
「美鶴には、雪村の家の事話していないでしょう?あなたの誕生日、明日だったわよね」
明日、12月21日
そういえば誕生日だ。
自分の誕生日を忘れているなんて、母が覚えているのに。
「雪村の、家?」
美鶴にはその言葉がやけに気になった。
何も知らない、と母は言うけれど地元の土地を管理する何十代と続いている名家だということくらいは知っている。
それ以上に何を説明するのだろうか、よりによって誕生日に。
母は静かに頷き再び口を開いた。
「そう。雪村の家についてあなたも知っておく必要がある」
「…分かりました」
美鶴はそう言い、母に静かに頭を垂れて部屋を出た。
「お久しぶりですわ、雪神様」
美鶴の足音が遠退いて行くのを確認した千鶴は白猫に頭を下げた。
白猫はそれに応えるような目で千鶴を見つめている。
「美鶴はまだ花嫁になるには未熟です。どうか末永きお付き合いを」
白猫は返事をするように小さく鳴いた。
また、いつのまにか子猫は美鶴のあとを着いてきていた。
「君はホントにいつのまにか私のそばにいるね…」
にゃあ、と白猫は声を上げる。その声はどこか嬉しそうだった。
自室の襖を開けようとして手が止まる。ふと考えが頭をよぎった。
「名前、決めようか」
美鶴は子猫を抱き上げて、部屋に入った。
「うーん…白、シロ、は単純すぎるかな…」
子猫を降ろして床に座り、覗き込みながら唸る。
当の子猫は可愛いらしく美鶴の手を舐めている。
懐かれるのは嬉しい。だがこんなにも懐かれるのはおかしく思う。
子猫と知り合って、まだ1時間もたっていない。
第一、猫とはきまぐれな生き物だったはずだ。
生まれつき動物に懐かれやすい体質ではない。
だとしたら、何故だろう。
「真っ白…まっしろ………
ましろでいっか」
思いつきで決まった名前、子猫は真白という名が与えられた。