お見合い小夜曲
つるっと書いてみました。
男性×男性のお見合い、あってもよいかな? と思って……!!
「……好みだな……」
それは、何気なくつぶやいた、一言だった。
帰宅してキッチンのカウンターに無造作に投げられていた、美形の男性の写真を見た瞬間、反射的に呟いた言葉は、もちろん誰かに聞かせるためではない。
むしろ誰にも聞かせる気持ちはなかったのだが。
「……あんた、ゲイだった?」
今でもあれほど恐ろしく冷静な母の声を聞いたことはない。
気が付かぬうちに背後に立っていた母の声に、俺の心臓は弾けんばかりに激しく動き、背中には嫌な汗が伝わった。
「……あれ?
言ってなかった?
俺、男も女もイケるんだよね?」
平静を取り繕いながら、俺は振り向いた。
半分は嘘だ。
バイはバイでも、男九割、女一割な、ゲイよりのバイ。
いや、むしろゲイだ。
だが高校時代に彼女がいたりした俺が、ゲイですけど何か? って言うもんなら、うちの親、錯乱しちゃうかもしれない。
そんなビビりから、俺はそのような言い訳じみた返答をした。
だがもちろん、俺のチキンハートは遺伝だ。
後で聞いたところによると、母親も心臓が爆発しそうなほどバクバクいってたらしいが、この時はそんなことをおくびにも出さず、ただ「そうなんだ」と応えて終わった。
それはちょうど俺が大学を卒業し、実家を出て東京で一人暮らしを始める、その直前の出来事だった。
時間というものは、かくもあわただしく過ぎるものか……。
上京して十年。
幸い就職先はいい人ばかりで、俺は充実した毎日を送っていた。
だがそれは、あくまで仕事関係の話で、プライベート、要は恋愛関係はさっぱりとしたものだった。
東京に行けば、俺のようなマイノリティでも恋人ができるのではないか……そんな風に思っていたけれど、生来のチキンハートはなかなか捨てられず。
ゲイバーに行くのもなかなかハードルが高く、そこで何らかの出会いをするなんて、俺にしては完全にキャパを越えていた。
それに、田舎ではそこそこだった容姿も、都会では埋もれてしまい、可もなく不可もなくといった状態で、たまに気まぐれに誘われることはあっても、明らかに遊びの関係を結ぶには俺は純情すぎた。
大学時代に積極的な女性に誘われ辛うじて童貞は捨てていたけれど、俺はその相手のように遊びと本気を使い分けられるほど器用な性格じゃないことを同時に思い知った。
セックスは気持ちがいい……それはよく分かってる。
でも安易な気持ちで行為に及ぶことができず……結局俺は、住んでる場所以前の問題で、誰とも……そういう関係を築けなかった。
ここ数年は忙しさにかまけて清い日々を送っている。
きっと、このまま一人で生きていくに違いない……。
そう思っていたのだが。
数年ぶりに帰省した我が家で待っていたのは、お見合い用の写真と釣り書き。
「あんた、お見合いしなさい」
そう言って差し出された写真には、スーツを着て華やかな笑顔を浮かべる男性、だった。
「……っ、母さん、この人!!!」
そう、その男性は、俺が図らずもカミングアウトをしてしまう原因となった、あの、彼だった。
「あ、やっぱり覚えてた?
あんた、好みだって言ってたもんね?」
この十年ですっかり俺の性嗜好にもなれた母親が、揶揄う様に笑った。
「この子ねぇ、松崎さんの息子さん」
え?
松崎さん?
と言われ、俺は子供の頃の記憶を思い起こす。
確か母さんの中学の時の同級生で、親友、だったよな??
子供の頃、家に遊びに来た記憶がある。
小柄で、笑顔が印象的な人、だったと思う。
「それがねえ、この前会ったとき、松崎さんから息子さんのこと相談されてねぇ……」
「相談って、なんの??」
「カミングアウト、されたんだって。
去年の冬」
「カミングアウトって、彼、ゲイだった、ってこと??」
「そうそう。
まぁ、あんたがそうだってことは、昔ね、松崎さんに喋ったことあったのよ。
何かの時に。
それ、きっと覚えてたのね?
息子とどう接していいのか分からないって、泣きついてきて」
「……それで、どう答えたの?」
「……どうもこうも、ないって。
どんな人を好きになろうが、息子は息子で、何も変わらないわよって、答えたわよ。
まぁ、残念ながら、孫は諦めなきゃならないけどって、ね」
あっけらかん、と、母親は答えた。
まぁ、変なトコで肝が太いっていうか、一度覚悟決めたら強いっていうか、そう言うとこ、あるよな?
俺はほんの少し抱いていた母親への「罪悪感」から、ほんの少し、解放された気がした。
ほんと、母親の方はもう吹っ切れてるのに、俺の方が嫌われるんじゃないかといつまでもビクビクしてたなって、思い当たった。
おかげで恋人の話なんて聞かれてもろくに答えられなかったのが、いらぬ心配だったのかもしれない。
もっともきちんと答えらるような恋人なんて、いやしないんだけど。
「むしろ、今は、あまりに純情すぎて、なかなか恋人が出来なくて、そっちの方が心配な位よって言ったら」
「おいおい、何言ってるんだよ??
俺だって恋人くらい……」
「あんたね、恋人がいたら帰省中、携帯電話リビング置き忘れて放置するとか、無いから。
電話来るんじゃないか、メールくるんじゃないかって、ドキドキ待つもんなのよ??
それに、いつ電話したって、すぐ出るでしょ。
いつも自宅にいるみたいだし、誰かと一緒にいる様子はないし……。
あんた、はっきりいってここ数年、恋人らしい恋人なんて、居ないでしょうが!!」
はっきり、きっぱり言われて、俺はぐうの音も出なかった。
「松崎武流といいます」
そう言って、彼は笑顔で会釈をした。
写真より、二割増しの美形を目の前にして、俺は……緊張していた。
いや、そもそも、どうしてこういうことになってるんだか……。
俺は、明らかに服に着せられてる感満載のブランドのスーツを身にまとっていて、正直尻の座りが悪い。
「……鈴木圭太郎です」
そう言って挨拶している間も、俺の横で座る母親の甲高い声が続いてる。
「圭太郎ったら、ねえ。
武流君の写真見るなり好みだなんて言って、ほんと身の程知らずに面食いで……」
「まぁ、ホントだったら、嬉しいわぁ。
武流は父親にに似て顔はいいけど、わがままで甘えん坊だから、なかなか恋人と長続きせんみたいで、圭太郎君みたいに真面目な子だったら私も安心できるんだけど……」
いやもう、母親同伴ってだけで、なんだろう。
この居たたまれなさ!
無理やり押し切られたことを、今更ながらに後悔する。
しかしもうすでに日取りは決まり、ブランドスーツも準備したと追い込まれては、とてもじゃないけど断ることができなかった。
何より母が、向こうも「悪からず思っているらしい」なんて話をしてくるもんだから、ついつい、期待してしまったのも事実である。
でも、はっきり言って恋愛方面の自分のスペックの無さを考えてなかった。
すっごく好みの男性が目の前にいたとしても、何を話しかけていいのか分からない。
第一、恥ずかしくてまともに顔が上げられない。
意を決して話しかけようと顔を上げても、彼の顔を見ると何も言えずにうつむいてしまう。
三十もとうに過ぎていて、全く経験なしという訳でもないのに、なんという体たらく!!
恋愛から遠ざかると、恋愛経験値は初心者に逆戻りするようだ。
もちろん彼ほど美形の男性に相対したことがない、ということもある。
もしゲイ限定のお見合いパーティーで見かけたとしても、絶対に話しかけることはないだろう。
それだけの美形が、俺とテーブルを挟んだ向かいに座っていて笑っている状況なんて、はっきりいってアリエナイ状況なのだから。
相変わらず母親同士で姦しく話が続いていたところに、「参りますよね?」と、彼は困ったように話しかけてきた。
ああ、そうか、いやそうだろう。
彼も母親に押し切られた口か。
そうでなければこんな冴えない男と見合いするはずがない。
「え、ええ。
まぁ」
俺はほんのちょっぴり落胆しながら、苦笑した。
それにしても、本当に好みだよ。
彫りが深く、男らしい鼻梁。
薄い唇も、優しそうな目元も、どれもこれも見惚れてしまう。
どうせ二度と会うことはないだろう。
せっかくだから、しっかりその美しさを堪能したいものだ。
そう思って俺は、注がれたままで机に放置されていたグラスに手を伸ばし中を煽った。
酔っていれば、緊張せずに顔を見れるに違いない。
そんな邪な、気持ちを抱いて。
「それじゃあ、後は若い人たちで……」
なんてお見合いの決まり文句を吐いて、母親たちは個室を出て行った。
うう……むしろ気まずい。
彼も同じ気持ちだったのだろう。
無言のまま時間が過ぎた。
そもそも彼は、今どんな気持ちでいるんだろうか。
相手なんてより取り見取りの美形。
高給取りで堅い職に就いている年上の男性だ。
俺なんかじゃなくて、すぐに相手は見つかるだろう。
茶番のようなお見合いに、退屈してるんじゃないだろうか。
ああ、もう早く時間が過ぎてくれ……そんな風に思いながら、俺は何度目かのビールを喉に流し込んだ。
無言なのに、彼は俺のグラスが空くと、間髪入れずにビールを注ぎ入れる。
そのせいでやや飲みすぎてしまった気もするが……。
「……そんなに、俺の顔が、好み?」
しばらくのち、沈黙を破った彼の言葉に、俺はピキーンっと、体を固まらせた。
「えっ、いやっ、あのっ」
お、俺、そんなに見つめてたか??
パニックになって自分の行動を思い返す。
た、確かに、酔いに任せて、ニコニコ笑顔を向ける彼の顔を見つめていた……気がする。
彼のまつ毛がやたら長いとか。
黒目が大きいとか。
そんなところまで、つぶさに。
「そんなに情熱的に見つめらられるとね、さすがにクルものがあるよ?」
情熱的って……!!!
もしかして、俺、ただ見てただけじゃなくて、もの欲しそうに見つめてたのか?
それにしても、やけに顔や耳が熱い。
酔いだけじゃない気もするけど……。
「ちなみにね、圭太郎君。
俺の好みは、一重のエキゾチックな顔立ちで、中肉中背、うなじの綺麗な短髪の男性、なんだけど」
そう言って、彼は罪作りに微笑んだ。
俺は一重だし……中肉中背、髪も短い、だけど……。
まさか、そんなはずはない。
俺が彼の好みなんてことは……。
「そんな風に真っ赤になってると、思った以上にそそられるな……」
そ……そそられる……???
冗談だろ??
俺に欲情……してるって、そういうこと???
その時になって、俺は、酒を飲んだのは大間違いだったと気付いた。
すっかり頭に血が上ってしまって、くらくらしてる。
くらくらしすぎて、うっかり判断を間違ってしまったんだと思う。
「君と真面目に交際したい。
君の気持ちを聞かせてほしい」
そんな風に切り出されて、俺は身の程知らずにも舞い上がってしまった。
どう考えても、血迷ったんだと思う。
「よ……よろしくお願いします」
アルコールの影響そのままにそんな返事をした俺は、それからしばらく仕事のことや、趣味の話などをした後、連絡先を交換して、お見合いを終了した。
我に返って青ざめたのは、その日の夜、すっかり酔いがさめた後のことだった。
あんなハイスペックの男性と交際しても、うまくいくはずがない!!!!
だけど今更無しにしてくださいとは、とても言えなかった。
いや、そんな心配しなくても。
……交際してたら、きっとそのうち、飽きられるに違いない。
なら、少しの間だけ、夢を見てもいいだろうか?
「圭太郎、話があるんだけど」
それは、突然だった。
キッチンで朝食の片づけをしていた俺。
武流はソファに座っていた。
交際を始めてはや二年。
思った以上に順調に交際は続いていて、自分でも最近はもしかしてこのまま交際し続けられるかも……なんて甘いことを考え始めた矢先のことだった。
とうとう、別れを切り出される時が来たのか。
だったら、昨夜は抱かないで欲しかったな。
週末、いつものように俺の部屋にやってきて、いつものように過ごしていた。
そんなことしないで、昨日のうちに切り出してくれればよかったのに。
俺はそう思いながら、手を拭いて武流の横に少しスペースを置いて腰かけた。
こんな時、他の人はどうするんだろう。
……泣くのかな。
捨てないでって言うんだろうか。
でも俺、二年の間だけでも、夢みたいに幸せだったし。
恋愛経験値の差だろうか。
俺は武流に振り回されながらもいつも楽しく過ごせていたし、武流に甘えられるのも嫌いじゃなかった。
だから、ありがとうって言おう。
俺と付き合ってくれてありがとう。
俺は幸せだったって。
そう伝えよう。
俺はそう思って、武流の言葉を待った。
「あのさ……。
俺たち、交際初めて、そろそろ、二年だよな?」
「そうだね……」
「その……もうな、いいんじゃないだろうか?」
「………うん」
「そろそろ一緒に、暮らさないか?」
「………うん……え?
一緒に??」
「職場もそれほど離れてないだろ?
週末通うのも悪くないけど、そろそろ一緒に暮らしても、いい頃だと思うんだけど」
ってことは、武流とは、別れない……ってこと??
要は、同棲するって事で………。
うわわ……!!
武流と、同棲??
これは夢じゃないだろうか??
毎日一緒にいて、朝起こしたり、ご飯を一緒に食べたり、そんな生活が始まるってことで……。
早くも同棲生活に思いをはせる俺に、武流の手が伸びてきた。
抱き寄せられ、彼が好きだという、うなじに唇が触れたのが分かる。
「圭太郎、返事は???」
返事も何も、俺が君に適うはずはない。
「よ、よろしくお願いします……」
気が付いたら俺は、そんな風に返事を返してしまっていた。
その日の夜、母に武流と一緒に暮らすことになった、とメールしたら、「結婚おめでとう」と返事が来た。
いやだから、なんで指輪もらったこと、母親にばれてるんだか。