第39話 井沢 美希
僕は今、櫻木の運転する車の後部座席に座り、九州にある長閑な農道を走っている。
隣には誠治が座り、父の死から立ち直れていない僕達は、沈黙したまま1時間が経過した。
僕達を乗せた護衛艦は、一昨日四国に寄港し、酒井達自衛隊の人達が急いで父の葬儀の手配をしてくれた。
泣き疲れていた僕は、四国に着いてすぐに寝てしまい、その間ずっと誠治が側に居てくれたらしい。
父の葬儀は昨日行われ、集落の人達や護衛艦の隊員達、四国の自衛隊を総括している玄蕃陸将も訪れた。
誠治が九州で局長を務めている組織の四国方面の局長も来てくれたが、誠治と少し揉めていた。
櫻木曰く、誠治と四国の局長は犬猿の仲らしい。
四国の局長が一方的に誠治にライバル意識を持っているらしいが、父が誠治の先輩だと知るとすぐに謝っていた。
四国の局長と短時間だけ話をしたが、言葉遣いは荒いが、誠治同様正義感の強い人である事が解った。
父の葬儀の後、誰が僕を引き取るかの話し合いがされたが、集落の人達は皆手を挙げ、僕を引き取りたいと言ってくれた。
誠治は皆んなに遠慮をしつつ手を挙げたが、父から僕のことを託された事を伝え、改めて自分の意思で引き取りたいと頭を下げた。
皆んなは誠治ならばと承諾し、僕に励ましの言葉を掛け、また会おうと言って去っていった。
咲には泣き付かれたが、必ずまた遊びに行くと約束して別れた。
たった1年と言う短い期間の付き合いだったのに、皆んなは僕のことを心配し、父の死を悲しみ、優しく接してくれた。
これも父が努力した結果だと思うと、父が僕の為にどれほどの苦労をしていたのかが解る。
「井沢さん・・・今日はどうされます?」
僕が物思いに耽っていると、沈黙を破って櫻木が誠治に話し掛ける。
外を見ると、車は路肩に停まっていた。
「そうだね・・・今日は貴宏君も居るし、このまま家に向かって貰って良いかな?」
櫻木に話し掛けられた誠治は、一度僕を見てから答えた。
「わかりました」
櫻木は短く返事をし、車を走らせる。
「いつもはどうしてるんですか?」
「いつもって訳じゃないけど、任務中に何かあった時とかには、ここから歩いて帰ってるよ・・・。家まではここから歩いて30分くらいだしね」
僕が問い掛けると、誠治は苦笑して答えた。
「何かってどんな時ですか?」
「仲間や知り合いが亡くなった時だよ・・・。考える時間が欲しくてね・・・歩いてれば気持ちの整理もつくし、そういった時には歩いて帰るようにしてるんだ・・・」
誠治は複雑な表情をしている。
彼は優しい人だ・・・それは、たった数日の付き合いでしかない僕にも解る。
「誠治さん、良かったら歩きませんか?」
僕が提案すると、誠治は驚いた表情をして僕を見る。
その視線は、僕の腕に抱えられた物を見ている・・・父の納めらた骨壷だ。
誠治ほどでは無かったが、僕にとって大きかった父は、今は骨壷に納まり、木の箱に覆われ、僕の腕に抱えられてしまう程になっている。
物理的な重さは然程感じないが、命の重みを感じられる。
「僕は大丈夫です・・・それに、これから暮らす場所を少しでも見ておきたいんです。お父さんにも見てもらいたいですし・・・」
僕が父を見て言うと、誠治は少し迷ってから頷いた。
「櫻木さん、悪いけどここで降りるよ。仕事も溜まってるのにありがとうね・・・玉置さんや永野さんにも改めてお礼を言いに行くって伝えててくれないかな?」
「わかりました。こちらこそ今回はお世話になりました・・・いや、今回もかな?2人には伝えておきますよ。貴宏君・・・お父さんの事は本当にすまなかった・・・」
櫻木は車を停め、僕達に向き直って頭を下げる。
「気にしないでください・・・櫻木さん達は何も悪くありませんから。むしろ、感謝してるんです・・・誠治さんや櫻木さん達が来てくれて、お父さんも喜んでましたし、何よりあんなに楽しそうなお父さんを見たのは久しぶりでした・・・僕の為に沢山苦労してくれたお父さんの楽しそうな顔が見れて嬉しかったです・・・」
「貴宏君・・・ありがとう・・・」
櫻木は涙を拭うと、車を降りて後部座席のドアを開けた。
誠治が先に降りて僕から父を受け取る。
降りる時に邪魔にならないように気を遣ってくれたのだ。
僕が車を降りると誠治は僕に父を返し、櫻木と握手をした。
「ひと段落したら、玉置さん達と一緒に遊びにおいでよ。美希や千枝も喜ぶし、今回のお礼もしたいからさ・・・」
「わかりました。貴宏君の件については、また連絡しますよ・・・まぁ、落ち着いてからで良いとの事でしたから、大丈夫そうなら井沢さんから連絡貰えるとありがたいです・・・」
「了解・・・帰りは気を付けてね」
「では井沢さん、貴宏君、また会いましょう」
櫻木は僕達に手を振り、車をUターンさせて帰って行く。
僕と誠治は櫻木が見えなくなるまで見送った。
「さて、じゃあ行こうか?」
「はい・・・誠治さん、我儘言ってすみませんでした」
「いや、俺の方こそ助かったよ・・・あのまま車で帰ってたら、気持ちの整理どころじゃなかったしね。先輩が重かったら言ってくれよ?変わるからさ」
「大丈夫です・・・僕が連れて行ってあげたいですから」
僕と誠治はゆっくりと歩き出し、一昨日までとは違う長閑な風景を見ながら誠治の家に向かった。
「あら井沢さん!無事に帰ってこられたんですね!?美希さんや千枝ちゃんが喜びますよ!!」
誠治と共に歩いていると、道行く人達から何かと話し掛けられた。
皆んなは誠治の無事を確認して安堵し、喜んでいる。
「誠治さんは人気者なんですね」
僕が世間話を済ませた誠治に話し掛けると、彼は苦笑しながら首を横に振る。
「そんな事は無いよ・・・美希や千枝が人気者なだけだよ。美希達は慕われてるからね・・・皆んな悲しむ顔が見たくないのさ。俺は基本留守にしてるから、近所の人達との付き合いは浅いしね・・・」
「そんな事は無いと思いますけど・・・集落の皆んなも、誠治さんの事を慕ってましたし、大丈夫だと思いますよ?」
「だったら嬉しいけどね」
僕達が何気ない会話をしながら歩いていると、公園で遊んでいる子供達の姿が見えた。
バリケードの無い場所で子供が遊んでいられる・・・そんな場所があるとは、数日前まで想像すらしていなかった。
僕は父を少しだけ持ち上げ、その光景を見せる。
父にはもう見えてはいないけど、どうしてもそうしたかった。
「貴宏君、あそこが俺の家だよ」
誠治が指差す方向を見ると、平屋の家屋が目に入る。
大きくはないが、庭のある立派な家だ。
「誠治さん、気持ちの整理は着きましたか?正直、僕はまだ出来てません・・・」
「ははは・・・ごめん、俺もだよ・・・」
僕達は、2人揃って肩を落とした。
「どうしよう・・・」
誠治は自宅の玄関の前で右往左往している。
僕はただ何も言わず待っているが、すでに10分近く迷っている。
「奥さんが待ってるんじゃないんですか?」
正直呆れてしまった僕が話し掛けると、誠治は身体を強張らせる。
「わかってはいるんだけど、まだ気持ちの整理がね・・・」
誠治が泣きそうな表情で頭を抱えていると、玄関が突然開き、1人の女の子が現れた。
誠治に見せて貰った写真に写っていた子だ。
「お父さんお帰りなさい・・・中から丸見えだよ?」
「ごめんなさい!千枝・・・ただいま・・・」
誠治は背筋をピンと伸ばして謝り、遠慮がちに千枝に挨拶をした。
「お帰りなさい・・・お母さん達も待ってるよ?」
千枝は呆れた顔で笑い、さらに玄関を開けて中に入るように促す。
「わかったよ・・・千枝、この子は杉田 貴宏君だ。これから一緒に暮らす事になった・・・千枝より1歳年上だが、仲良くしてあげてくれ」
誠治が僕を紹介すると、千枝は溢れんばかりの笑顔になり僕に近付く。
「こんにちは、井沢 千枝です!よろしくねお兄ちゃん!!」
そう言った千枝は、僕の背後に回って背中をおす。
「おう誠治、お勤めご苦労さん!やっと入って来たか!!」
「相変わらず誠治さんは自宅の前で迷うんだな・・・家長なんだからもっと堂々としたらどうだ?」
僕が千枝に押されて玄関をくぐると、厳つい男性と背の高い女性が出迎える。
「元兄、渚さん、誠治さん入って来た・・・?あはは!見ろよ由紀子!誠治さんまた怒られてるぞ!!」
「隆二も人の事言えないでしょ?さっき渚さんをからかってビンタ喰らったの忘れたの?」
その後ろには、部屋の入り口から若い男女が顔を覗かせている。
男性の左頰は手の平の型に赤くなっている。
「皆んな・・・ただいま・・・」
誠治が肩を竦めて挨拶をすると、出迎えた皆んなは笑顔になった。
「誠治さん、お帰りなさい」
誠治が皆んなから手荒い歓迎を受けていると、優しさを含んだスッと通った声が聞こえ、1人の女性が歩いてくる。
その腕には2人の赤ん坊が抱かれている。
「ただいま、美希・・・何とか今回も帰ってこれたよ・・・」
誠治を囲んでいた人達は、その女性を見て彼を解放し、2人を優しく見守る。
「話は聞いてるわ・・・大変だったわね」
「あぁ・・・色々とね・・・」
誠治は俯き、震える声で答える。
「美希・・・俺、また守れなかったよ・・・。その人は大学の時の先輩でさ・・・久しぶりに会って、色々助けてくれたのに・・・」
「うん・・・」
「何でいつもこうなんだろうな・・・夏帆の時も、慶次や悠介の時も・・・あと少しってところで死なせてしまう・・・」
美希は赤ん坊を厳つい男性と背の高い女性に預けると、誠治を抱きしめた。
「誠治さん、貴方は自分を責め過ぎよ・・・独りで抱え込まなくて良いの・・・私も一緒に背負うって約束したでしょう?確かに貴方は大切な人達を亡くしたかもしれない・・・でも、それ以上に多くの人達を救ってるでしょう?それは誇って良い事よ。それに、兄さんや夏帆さん、慶次さんは貴方のことを恨んでなんていないわよ・・・だって、貴方に託したじゃない!恨んでる人に大切なものを託すなんて事、普通はしないと思うわよ!だから、貴方は前を見て自分の信じる道を歩いてくれれば良いの・・・私達は、何があっても貴方を支えるわ。私達は貴方の家族なんだもの」
美希に励まされた誠治は、涙を流しながら頷く。
彼の家族達は、落ち着くまでの間優しく見守っていた。
「ほら誠治さん、新しい家族を私達に紹介して!折角来てくれたのに待たせちゃ悪いでしょう?」
美希に促された誠治は、まだ落ち着かないのか、言葉が出てこない。
「もう、しょうがないなぁ・・・。こんにちは、私は井沢 誠治の妻の美希です。お名前を教えてくれないかな?」
美希は誠治を見て笑って溜息をつくと、裸足のまま玄関に降りて僕の前にしゃがむ。
「杉田 貴宏です・・・誠治さんにはお世話になりました。色々と助けて貰って、お父さんも感謝してました・・・」
「貴宏君か、良い名前だね・・・誠治さんが泣き虫で驚いたでしょう?この人、帰って来たらいつもこうなのよ・・・でも、頼りになる人なのは間違いないから、安心してね!」
美希は笑顔で僕を見る。
僕を真っ直ぐ見据え、吸い込まれそうな瞳だ。
「貴宏君・・・辛かったね・・・悲しいよね。でも、今日からはここに居る皆んなが君の家族よ!寂しい想いはさせないって約束するわ!君のお父さんが安心出来るように、私達は君が幸せだって思えるように協力するわ!」
美希の言葉を聞いて、僕は涙を流した。
あれだけ泣いた後だというのに、僕の身体にはまだ涙を流す程の水分が残っていたらしい。
「これからよろしくね、貴宏君・・・」
「はい・・・ありがとうございます・・・」
僕が泣きながらお礼を言うと、美希は優しく抱き締めた。
僕を抱き締める彼女からは、懐かしい香りがした・・・母と同じ洗剤の香りだ。
「貴宏君、お腹空いてない?誠治さんと途中から歩いて帰って来たんでしょう?あの距離を歩かせるなんて何考えてるの誠治さん!」
「えっ!何で知ってんの!?」
既に落ち着きを取り戻した誠治が美希に怒られて身体を強張らせる。
「櫻木さんから連絡があったの!まったく・・・ただでさえ貴宏君は疲れてるんだから、車で送って貰えば良いじゃない!」
「美希さん、僕が誠治さんに頼んだんです・・・だから、怒らないであげてください・・・」
「良いのよ貴宏君、誠治さんは断る事も出来たのに、それをしなかったんだから!誠治さん、聞いてますか!?」
逃げだそうてした誠治は、美希に捕まり怒られている。
皆んなはまったく気にもとめず部屋の中に戻って行く。
「お兄ちゃん行こう!いつもの事だし、お母さんは一度怒ったらしばらく終わらないよ・・・」
千枝は僕の手を引いて家に上がる。
肩越しに見える誠治は、大きな身体を小さく縮め、ひたすら美希に謝り続けていた。




