第38話 煙草の煙
父が死に、僕は泣き腫らした目で静寂に包まれた機内から外を見る。
下には田畑が広がり、小さくはあるが、至る所に奴等が歩いているのが見て取れる。
暮らしていた町は遠く離れ、今では見えなくなっている。
あと少しだった・・・それなのに、父は僕を守って死んでしまった。
子供故の無力さに腹が立つ・・・。
僕がもう少し早く走れていたら・・・あの時躓いていなければ父も僕も無事に脱出出来たのに。
「貴宏君・・・君は何も悪くないよ。あの時、あの男を見逃さずに殺していれば、あんな事にはならなかったかもしれない。俺が甘かったんだよ・・・改心する事を期待して、見逃した結果がこれだ・・・。隊員達にも犠牲者が出てしまった・・・本当、毎回毎回何してんだろうな俺は!」
僕が自分に苛立ちを覚えていると、誠治が隣に座り、僕を諭して自分を責める。
きつく握られた彼の左の拳からは、血が滴っている・・・。
「誠治さんは悪くありません・・・だって、あの日お父さんが無事に帰ってこれたのは誠治さんが居てくれたからです。それに、僕が躓いてなければお父さんが僕を庇って死ぬ事はなかったんです・・・」
僕が涙を流して言うと、誠治は僕の頭を胸に抱き寄せる。
僕と父を必死に探してくれたのだろう、レザージャケットを脱いだ彼の身体はまだ熱を持ち、ほのかに汗の臭いがする。
「ありがとう・・・貴宏君は優しいな」
「そんなことないですよ・・・誠治さん、お父さんのことありがとうございました。お父さんを奴等みたいにさせなくて済みました・・・」
僕は誠治の胸に顔を埋め、声を殺して泣いた。
父は僕に、強く幸せに生きろと言ってくれた・・・だが、今の僕にはまだそんな余裕は無かった。
ヘリは陸地を抜け、海に入る。
あと少しで洋上で待機している護衛艦に着くだろう・・・。
僕は護衛艦に着くまでの間、誠治の隣で泣き続けた。
街を出て30分ほど経ち、機内に隊員達の安堵の溜息が聞こえる。
僕が涙の浮かぶ目で外を見ると、眼下には、巨大な艦が現れていた。
「貴宏君、護衛艦に着いたよ・・・。お父さんを降ろす準備をするから、少し行ってくるよ」
誠治は僕の頭を撫でて立ち上がり、父の側に行く。
「先輩、今降ろしてあげますよ・・・先輩にも一度艦長達に会って欲しかったです」
誠治は父に話しかけながら、ヘリが着陸するのを待って抱き上げた。
僕は席を立ち上がって誠治の隣に行き、力なく垂れ下がった父の手を握る。
父の手のひらにはまだ温もりが残っていて、死んだ事が嘘のようだ。
だが、父が再び目を開ける事はない・・・それがどうしようもなく辛い。
「貴宏君、無事だったかい!?」
僕と誠治がヘリを降りると、先に着いていた咲の父親が駆け寄ってきた。
「急に離陸するって聞いて心配してたんだ!無事で良かったよ・・・お父さんはまだヘリの中かい?」
咲の父親は僕を抱き締めて周囲を見渡す。
僕は答えられずに俯いた。
「すみません、先輩は・・・杉田 貴之さんは亡くなりました・・・」
僕の代わりに答えた誠治は、目を瞑り、唇を噛み締めている。
「そんな・・・」
咲の父親は、信じられないといった表情をしたが、誠治が抱き上げているものを見て言葉を失った。
「あなた方が離陸してすぐ、奴等を載せたトラックがバリケードを突き破りました・・・それを知らずに先輩はバリケードの確認に行き奴等に見つかり、貴宏君を守って亡くなりました・・・」
誠治が震える声で説明をすると、それを聞いた皆んなはその場に崩れ、涙を流した。
「力及ばず、申し訳ありませんでした・・・」
誠治は父の遺体を甲板に寝かせると、深々と頭を下げた。
皆んなは聞こえていないのか、ただ涙を流し続けている。
「誠治君、おかえり・・・その方が君の先輩の杉田さんかい?」
声が聞こえ誠治が振り返ると、そこには恰幅の良い男性と細身の男性が立っていた。
服装と雰囲気が他の隊員達とは違い、年齢もかなり上のようだ。
恐らく、この人達が無線で誠治と話をしていた酒井と艦長だろう。
「ただいま戻りました・・・この人が俺の先輩です」
「報告は受けているよ・・・櫻木一尉達や亡くなった隊員達の遺体回収の件でお礼を言いたかったんだけどね・・・。その子が杉田さんの息子さんかい?」
「田尻さん、この子が貴宏君です・・・」
誠治が恰幅の良い田尻と呼ばれた男性に僕の事を紹介すると、その男性は僕の前までやってきて深々と頭を下げた。
「今回は、我々が不甲斐ないばかりに君に辛い思いをさせてしまった・・・謝って済む事ではないのは重々承知の上だが、本当に申し訳ない・・・」
それを見ていた他の隊員達も、僕に頭を下げる。
「謝らないでください・・・お父さんは、自衛隊の人達が来てくれて喜んでいました。僕もそうです・・・だって、皆さんが来てくれなければ、僕達はずっとあの場所で怯えて生きていかなきゃいけませんでしたから・・・」
僕は涙を堪え、頭を下げる田尻達に答える。
「ありがとう・・・君は強い子だな・・・。お父さんも優しく、勇敢な方だったようだ・・・」
「はい・・・自慢のお父さんでした」
「君のお父さんは、我々が責任を持って手厚く弔わせていただくよ」
細身の男性が隊員達に指示を出し、父の遺体を担架に載せる。
「酒井さん、遺体を運ぶ前にちょっと良いかな・・・」
誠治は細身の男性を呼び止める。
「他の皆さんも先輩と別れの挨拶をしたいと思いますから、少しだけ待って貰えませんか?」
「わかったよ・・・我々もお礼を言わせて貰いたいからそうしよう・・・」
隊員達が父の遺体を開けた場所に移動すると、皆んなは一人一人父に話しかけ、涙を流しながら別れを告げていく。
誠治と僕は少し離れた場所でそれを見ていた。
「永野さん、ちょっと良いかな・・・」
「どうしました・・・?」
父に手を合わせて戻って来た永野を誠治が呼び止める。
「煙草持ってたよね、1本貰えないかな?あと、火も貸して欲しいんだけど・・・」
誠治は小さな声で永野に話しかける。
「いやいや、何するつもりですか・・・流石に駄目でしょう。艦長達も居るんですよ?」
「今じゃないと駄目なんだ・・・頼むよ」
周りを確認しながら慌てる永野に、誠治は真面目な表情で頼み続ける。
「わかりましたよ・・・絶対に俺から貰ったって言わないでくださいね?」
「ありがとう、恩にきるよ・・・」
皆んなから隠れて煙草を受け取った誠治は、皆んなが終わるのを見計らって父に近付く。
「田尻さん、1本だけ良いかな?」
誠治は永野から貰った煙草を取り出して田尻に確認する。
「別に構わないが・・・誠治君は喫煙者だったかな?」
「ありがとうございます。煙草は大学卒業と同時にやめましたよ・・・ただ、今日だけは特別です・・・」
そう言った誠治は父の隣に胡座をかき、煙草を咥えて火を点ける。
「ごほっ!ごほっ!あぁ・・・やっぱりキツイわこの煙草・・・!でも、懐かしくないですか?先輩、この煙草大好きでしたもんね・・・。それが、久しぶりに会ったら煙草をやめて、痩せてるし・・・最初は気付きませんでしたよ。しかも結婚して子供も居るなんて思いもしませんでしたよ・・・」
誠治は噎せつつも笑いながら父に話しかける。
父が昔煙草を吸っていた事を知らなかった僕は驚いた。
「あんなに吸いまくってた煙草をやめて痩せるなんて、奥さんの影響ですか?俺は一生喫煙者だとか言ってたのに、しばらく会わなければ変わるもんですね・・・。俺、初めて大学で先輩と会った時、正直あまり関わろうとは思ってなかったんですよ・・・俺が独りでいると必ず話しかけて来たし、どこに行っても俺を見つけるし・・・先輩の事は苦手でしたよ。でも、毎日顔を合わせて話をして、先輩の事が徐々に解ってきた時には人として好きになってました・・・。地元の気の知れた友人以外であんなに仲良くなれたのは先輩が初めてですよ・・・。先輩・・・やりたい事があるって言ってたじゃないですか・・・死んだらそれも出来ないじゃないですか・・・ごほっ!ごほっ!あぁ、やっぱりキツイわ・・・煙が目にしみて来た・・・」
誠治は煙草を吸いながら涙を流す・・・。
僕を含めたその場に居た全員が、少し距離を置いて誠治の話をただ黙って聞いていた。
誠治が話を終えて立ち上がると、隊員達が父の遺体を艦内に運び入れる。
僕と誠治は四国に着くまで父と一緒に過ごし、誠治から大学時代の父の話を聞かせて貰った。
大学時代の父は、僕の知っている父とは違い、少しやんちゃな印象を受けた。
出来る事なら、父の口から語って欲しかった・・・だが、それはもう叶わない。




