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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

男の娘と

男の娘と男装

作者: 梢田 了

 サンドバッグを打つ度に響く音。乾いた音とはよく聞くけれど、俺はこの音が大好きだ。

 小さい頃から一心不乱になって打っていたもんだから、オヤジにはボクサーになるんだと夢を押し付けられもしたっけ。

 フットワークなんて覚えるのも二の次だったから、いざボクシングをきちんと習うとなると、相手を打つにも精度が悪いし避けられるし、逆に打たれるばかりだった。

 ただ、パンチだけは綺麗だって褒めてくれる人もいた。

 荒れた息を整え、頭からホースの冷や水を浴びて真っ白なタオルで体を拭く。すっぱだかで朝日を浴びて、運動後のこれが本当に気持ちいい。

 さっさと学校指定の服に着替えると、通学にはあまり使ったことのないお気に入りの帽子を被る。

 ……今日は、ずえったいに誰とも遊ばねえ……!

 そう心に決めて、学校を目指すのだった。



 そわそわ、そわそわ。

 ええい、狼狽えるな俺の体! 落ち着きを取り戻せ!

 クラス中が浮き足立つ中、俺こと柾谷(まさや)博一(ひろかず)は平静を保とうと必死だった。

 いつもの時間になっても現れない女装野郎に、ある者は塞ぎこみ、ある者は嘆く。そして俺はどんな盛大な悪戯をやるつもりかと身構える。

 だってそうだよ! あいつどんなに体調悪くても必ず学校には来てたもん! 遅刻になりそうなほどなにか悪いことやってるとしか思えねえ!

 にしてもクラスの奴らも落ち込みすぎだろう、どんだけ期待してるんだよ。

 そんな事を考えていると、前の席の奴が酷い慌てようでクラスに飛び込んできた。……鼻水出てるぞ。

「たっ、たっ、大変だ……! 大変なんだ……!」

「どうした、何かあったのか?」

「まさかマァサちゃんが事故に!?」

 男にちゃんづけすんなよ。マァサこと安藤(あんどう)昌也(まさや)。名前の通り男にも関わらず女装している変人だ。

 マァサなんて周りに呼ばせているがそれが受け入れられるほどには可愛いという人気者。名前が近いからか奥手でウブな俺の反応が好きなのか、ひとつ上の俺にもやたらと馴れ馴れしく絡んでくる問題児。

 しかし、それにしてもなんだと? 事故?

 不穏な言葉に思わず俺も立ち上がると、前の席の奴は顔を横に振った。じゃあなんだよこの野郎。勿体ぶってんじゃねえぞ。

 席に着いた俺とは裏腹に、酸素を求めて喘ぐ奴を殴らんばかりの勢いでクラスメイトが囲い始めた。これイジメにしか見えないんだけど。

「……き、きてたんだ、マァサちゃん……!」

「なんだ、学校に来てるのか。具合悪いのかな?」

「そうじゃない! 俺らと同じ男子用の制服を着てたんだよう!」

 な、なんだってぇええ!

 …………。

 普通じゃねーのそれ?

 思わずクラス一同と同じ言葉を叫んだ俺は、アホらしい騒ぎもなんのその、一時限目の準備を始めるのだった。



 えっと、つまり、どういうわけなんだ。

 戸惑う俺の前で神妙な顔をしたのっぽな先輩は、足の間に頭をはめんばかりの勢いでお辞儀した。

 何コレやめてくれよう、気持ち悪いからそれ!

「頼む柾谷! 君の力でマァサ君に男装を止めさせてくれ!」

 先輩てめえもかこの野郎!

 頼む! とばかりに土下座までしようとした先輩を慌てて押さえ込む。お前らホントにえー加減にせいよ。

 事の始まりは朝のホームルームも終わってからだ。例の安藤の男装、というか正装に対してショックを受けた我らが学校の生徒諸君はあろうことか俺にそれを止めさせるようにと頼みだしたのだ。

 話によると、今まで見たことが無いぐらいに不機嫌な安藤は先輩だろうが同級生だろうが金玉蹴り上げる勢いで、話すことすらままならないらしい。そこでいつも絡まれてる俺に白羽の矢がたったと。

 職員室に連れてけそんな奴。指導だ指導。

 この先輩、先野(さきの)(やから)さんも同じくだ。この人とは同じゲーム趣味で仲良くなれたんだが、安藤にお熱を上げているせいで俺並みではないにしろ、あいつの毒牙にやられているそうだ。

 いっつも嬉しそうに報告するから心配なんてしてやらんけどな!

 文武両道、学生代表素行優良にも関わらず完璧超人になれない唯一の欠点がそれだ。

 そんな先野先輩も金玉を蹴り上げられ、打つ手なしと俺に頼ったそうなのだ。いやさ、男が男の服着ているのにそれを止めろって酷な話じゃね?

「何を言うんだ柾谷! 確かにマァサ君は男だし、男子学生の制服を着ていることに問題は無い、僕らに問題があるんだ!

 この暑く乾いて汚れた荒野のような男子校に、今年、ようやく一粒の水滴が落ちてきたのだ、僕たちの心のオアシスこそマァサ君なんだ! それなのに、ああ、それなのに……!

 柾谷、君は僕たちのオアシスが失われても良いと言うのか!?」

 やかましいわボケ。男が男にオアシスを求めんなボケ。しかもそれに同意させようとすんなボケー。

 ボケで三縦ビンゴだこの野郎!

 あとその台詞、職員には絶対に聞こえないところで言ってね。勤続五年の我が校唯一の女教師になにされるかわかったもんじゃないぞ。

 オイオイと男泣きを始める先輩にいたたまれなくなった俺はその場を離れて時間を確認する。長い昼休み、まだ終わりはしないだろう。

 男装、もとい正装を止めさせる気なんて全くないが、安藤が不機嫌なのが気になった。クラスの奴らも鬱陶しいし、何か手を打たないと俺に被害が及ぶかも知れないのだ。とりあえずこの騒動を抑える為に、安藤の機嫌くらいは直るようにせねば!



 ……どきどきどきどきどき……。ちらっ。

 安藤の教室を覗いて見る。うーむ、分からん。いつもはあのツインテールのカツラのお陰でどこにいようとわかるのだが、今回はカツラもしてないんだろうし。それに奴のクラス自体初めて来たから、どこに座ってるのかもわからんしなぁ。

 とりあえず四つんばいになって席についている奴らの足元を確認するが、みんなズボンだ。そりゃそうだわな。

 ……通行人の視線が痛くなってきたぞ! もう帰るか。

「何してんだよ、まさやん先輩」

 え? うわあほうっ!

 ケツの穴へ正確にねじ込まれるようなこの一撃!

 思わず飛び跳ねた俺は、それをやったであろう、あの安藤に怒りを覚えながら立ち上がった。

 安藤この野郎!

 突きつけた指、だったが、力を無くして下を向く。いつものツインテールでもなければ、セーラー服でもない。そんなのは分かっていたつもりだったけど。

 男子用の学生服に、キャップを目深に被って顔を隠す安藤は、体格もやはりそのままで線の細さから、声でだってあいつだと分かるのに。

 どこかしおらしく立つそいつの姿は、男の格好なのにいつもよりもオンナに見えた。

「……ンだよ。じろじろ見んな」

 うへえ、すげー機嫌悪そう。

 金玉蹴りの話を思い出して思わず股間ガードする俺。「は?」とか言いながら安藤は教室に入って行った。

 ……何だろう、今の。割と傷つく……俺もう先輩とかいう扱いになってなくね?

 教室に戻った安藤にはクラスメイトからも声をかけられている様子だったが、どれもこれも不機嫌そうで、そいつらも気を遣うようにしつこく声をかけることはなかった。

 ううむ、これは思ったより由々しき事態じゃないか? このままだとあいつ、孤立しかねんぞ。

 俺も自分のクラスに戻りながらどうしたもんかと思い悩む。そりゃ、いくら悪戯されまくってるとは言え、あいつが悩んでたりするのなら解決ぐらいはしてやりたい。そうやって悩んで落ち込んでる奴を指差して笑えるほど俺は性格が悪くないのだ。

 とりあえずは放課後だな!

 よっしと小さく頑張るポーズを取る俺に、あいつの姿が思い浮かぶ。髪、短かったけど、伸ばしてないのかな? ボブカットみたいな感じで男臭くはないが、それでもやはり男だとわかる姿に少し、違和感は覚えてしまったのだ。



 なんで校舎裏から帰ろうとするんだよ?

 俺の言葉にびっくりした顔を向ける安藤。ふっふっふっ、お前の行動などお見通しだ! 悪戯は読めんが!

 結局、俺のクラスに来る事のなかった安藤にクラスメイトへの態度も考慮して、人通りの少ない校舎裏から帰るのではないかと考えたのだ。

 いや、ここヤンキー出るからね。そりゃお下品とはいえ坊っちゃん男子高校生は通らんがな! お前根性ありすぎ!

 しかし安藤、驚いただけでそっぽ向いて歩きだした。なにスネてんの?

 通りたくないけどショーガナイので追っかける。何でそんな不機嫌なんだよう。何の気なしにそのままで聞いてみるが、別にとばかりでツン、とすましてやがる。

 あのなぁ、心配してるんだぞ。何かあったんなら話ぐらい聞くぞ、これでも俺は先輩なんだし。

「おまっ、えっ……じろじろ見んなって言っただろ!」

 ぎゃん!

 顔面パンチに悲鳴をあげる。バイオレンスにも程があるだろう!

 大体なんで顔見たぐらいで怒られなきゃならないんだ! そんなに顔見られたくなきゃマスクしろ! つーか学校来んな!

「………!」

 お、や、やるか? じじじじょ上等だこの野郎!

 真っ赤な顔で睨み付ける安藤に思わずしゃがみこむ俺。いやだってさ、めっちゃ痛いんだよこいつのパンチ?

 安藤は言動と行動の一致しない俺に、思わず笑ったようだ。見上げた先でけたけた笑う奴の顔は、化粧はなくとも可愛いものだった。

 なんでお前そんな顔でバイオレンスなの? 思わず浮かんだ疑問を飲み込んで、なにか悩み事でもあるのかと聞いてみた。もしかしたら女装だって、本当は好きでもなかったんじゃないかってさ。

 すると安藤はそのへんの塀に背を預けたので、俺も同じようにして安藤の隣に立つ。

「……実は……オヤジにさ、成績上がるまで女装止めろって言われたんだよ」

 …………。

 あっ、そうなん?

 …………やべえ、なんか凄いどうでもいいこと言おうとしてないかこいつ!? つーか言ったろ今!

「どう思うよまさやん先輩! 服装なんて俺の勝手だろ、なんでオヤジに指図されなきゃいけないわけ!?」

 えっ、あっ、いやあ、うん。……成績上がったら許してくれるんなら、いいんじゃない?

「はあ? おかしいだろ、別に服で頭の良し悪しが決まるわけじゃねえんだぞ!」

 いやいやいやいや、そういう話じゃないと思うぞー、うん。

 だってそういう事を言うってことは、父ちゃんは安藤に男らしい格好して欲しいって思ってるんだろ? だけど成績上がるまで女物きちゃいけないってのは、父ちゃんなりにお前のことを気遣ってるんだよ。

 男が女の格好して周りからなにか言われたって、優れてるところがあれば立派なもんだぞ? だから父ちゃんは、周りになに言われようと、きちんとしていられるように、反論できるようにってそう言ってくれたんじゃねえかな?

「……そ、そう……なのかな……?」

 頬をぽりぽりかく安藤。

 よう安藤父ちゃん、俺、がんばったよ!

 まだ見ぬ男の背中に拍手しつつ、安藤を真人間にさせようとする素晴らしきオヤジには頑張ってもらいたいもんだと切に願う。

 しかし安藤、さっきから帽子をひっぱったり顔そらしたりで落ち着きがない。どうかしたのかね?

「や、今すっぴんだし」

 ……は……、はあああ?

 男がそんなの気にしてんのかよ~! そんなんで顔面パンチされたのかよ俺はよー!

 そっぽを向いてる安藤の後ろから、帽子を奪い取る。目を見開いて振り返った安藤の顔は、まあ確かに化粧はないが、恥ずかしいと呼べるものではなかった。

 元々が濃く化粧してないのか、ナチュラルメイクとかいう奴か、普段から見慣れた安藤と雰囲気は違って感じない。

「返せ!」

 お、おう。

 あっさりと帽子を取り返されたが、うん、何だ。そんな照れるような顔じゃないというか、あんまり変わった感じじゃねーぞ。

「な、なんだよ、俺の化粧が下手ってことか?」

 ちげーから拳を作るな怖いからほんと!

 上手い下手ではなく、学校の人気者の安藤そのまんまってことだ。別に着飾らなくても、やっぱ綺麗なもんはきれ……い……。

 ……なにを言っとんのだ俺は!

 言葉を切って今度は俺がそっぽを向く番に回った。だがこのままでは確実にいじられる!

 話をそらすんだ!

 と、ととっと、ところで安藤! なんでお前って女装してんの!?

 ……よし、見事な話題の転換よ!

「…………」

 なんで黙るんだよ! さっきのは追求しないで! 別の話しよう、ねっ!

「……まさやん先輩はさ……こういうの、嫌いか?」

 俺の願いを知ってか知らずか安藤は、弱々しい声で聞いてきた。

 好きか嫌いかはお前の話であって俺は関係なくね、とか。

 質問の答えに全然なってねーぞ、とか。

 お前はそんな自分が好きなのか、とか。

 色んな疑問がわいたけど、何一つ言葉にならなかった。

 俺の機嫌をうかがうようなその声音は、普段の安藤からはとても考えられないものだったからだ。

 そんな安藤の顔を見るのがなんだか怖くて、固まってしまった俺。その袖が引かれた。

 間違いなく安藤だろう。だけど、それがまた弱々しいものだったから、いつもの安藤とリンクしなくて俺はなかなか振り返れなかった。

 やたらと喉を通るのに苦労する生唾ごっくんの後、俺はようやく振り向いたのだ。安藤は、帽子のつばに隠れるように、不安げな表情でこちらを見上げていた。

 拒絶を受ければ、すぐにでも泣いてしまいそうなその顔は、男であると認めたにも関わらず。

「…………」

 ……認めたにも関わらず……。

 無言で見つめられて、どれだけ時が経ったろうか。いや一瞬だったかもだけど。もう一度、生唾ごっくんをした俺は安藤から顔を背けて、ごまかし気味に笑う。

 そんな真面目な顔されたって、安藤が女装しようがしまいが俺には関係ないんだもの。だってそうだろ、結局こいつの性格が変わる訳じゃないんだもんさ。

 率直な気持ちだ。まるっきり同じことを安藤に言うと、なんだよそれはとばかりに殴ってきた。

 よーしわかった、お前の拳は凶器だ。次からは警察に相談するからなマジで!

 あまりの痛みに頭をさすさすしていたが、安藤はただ笑うだけだ。元気が出たのか、スキップするように歩く安藤の後ろ姿が可愛らしい。

 いや、変な意味じゃないよ?

 何はともあれ機嫌も直ったようだし、めでたしめでたしだ。ヤンキーに会うこともなく途中で安藤と別れた俺は、ようやく肩の荷が降りた気がした。



 翌日、安藤はいつもの格好に戻っていた。ほっぺの絆創膏と包帯の巻かれた両手にみんな奴の心配をしていたが、昨日とはうって変わっての底抜けな明るさに午後まで気にされることはなかった。

 しかし、俺だけは別の人を心配していた。

 安藤父ちゃん、息子の顔に一発入れたんだな! そっから安藤の手が傷だらけになるまでボコられたんだな!

 ……かわいそ過ぎて……っ。

 父親を超え、成績など関係なく正に自分を勝ち取ったであろう安藤に、俺はあいつに女装を止めるように言うのだけはすまいと心に誓ったのだった。

「なーに、たそがれてんだ、よっと!」

 んひあああっ!

 ベランダでたそがれていた俺。その後ろから股間を優しく揉み撫であげたセーラー服は、情けない声を上げて尻餅をついた俺の姿にけたけたと笑う。

 ツインテールを棚引かせて歩き去る安藤はすっかりいつもの調子だった。

 ち、畜生ぅーっ!

 ナチュラルメイクは自然さを前面に出すメイクなので、簡単なものだと思っていましたが技術が要る上等テクニックのようですね。知りませんでした。

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― 新着の感想 ―
[一言] 拝読しました。 安藤君はほんと可愛い……。 そうですね、ナチュラルメイクは相当な技術を要するワザでございますね(笑)。 それができる安藤君は、相当な上級者です。 やっぱりそんな子に女装やめ…
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