持たざる者は羨むものです
騎士団長はドキドキしていた。
なぜなら以前まったく同じ質問をスラギにしたところ、あはっと笑って『忘れちゃった~』とのたまわれたからだ。
そのうえとどめを刺すかの如く『名前を覚える気はない』と暗に言ってきた、彼は一応部下である。五年来の付き合いがあるはずの、部下である。
あの時泣いても彼は許されたと思う。
そしてそんな金髪の自由人の相方、黒髪の自由人も、出会って数か月、美味しいご飯のご相伴にあずかったり理不尽な暴力に慄いたり容赦を忘れた暴言に心を抉られたりしたけれど、名前は一度も呼ばれなかった。
ていうかスラギは『団長』とか『王女サマ』とか呼ぶことあるのにミコトは総じて『あんた』や『お前』だったりする。
ミコトさんは自分からスラギとアマネ以外にほぼほぼ話しかけたりしないのでそれで事足りちゃうんだけど。
ともかく。
自由人は人の名前を覚える気がない。
これが騎士団長たち常識人四人の間では確固たる事実だった。
そして魔大陸に来て引き合うかのように合流し、瞬く間に馴染んでしまった新・自由人・アマネ。
彼は自由人の仲間である。
しかし、おそらくミコトやスラギと出会う前は自由人ではなかったのであろう片鱗が所々に見受けられる。
確かにアマネによる騎士団長たちの呼称は、スラギを踏襲したかの如く『団長さん』『姫さん』『侍女さん』『騎士君』である。
だが、だからといって一番最初に名乗った名前をきれいになかったことにしているとは限らないでほしいではないか。
願望だけど。
ともかく、そんなこんなで、丁度二人しかいないことだしこの機会に尋ねてみることにしたのである。
で。
「は? なんでそんなこと聞くんだ?」
不思議そうにアマネは首を傾げたが、騎士団長はじっと見返す。すると不思議そうにしながらも、アマネは、赤茶髪の自由人は答えたのである。
「覚えてるけどよ。ジーノさんだろ? ジーノ・アレドアさんだっけ?」
それはそれは、あっさりと。
しかし、正確に。
あまりに当たり前のように呼ばれたそれに、思わず騎士団長は目の前がかすんだ。
久しぶりの、傷心ではなく悦びの涙だった。
「おいおい、何泣いてんだよ、名前呼んだだけじゃねえか。つうか覚えてねえほうが俺には無理だぜ、一応もう一月近く一緒に旅してんだし」
騎士団長の落涙に瞠目したアマネはさらに言う。
そして騎士団長の涙腺はさらに緩む。
神が自由人から常識を駆逐しきれないこともあったのだ。それを痛感して感動していた次第である。
ともあれ。
「いったい何なんだよ、気色悪いな」
とかいうアマネの、心底異常なものを見る瞳と声で我に返ったのではあるが。
でだ。
「済まない、取り乱した」
とりあえず謝る。
「いや謝罪はいいからなんで泣いてたのか言ってくれよ、意味わかんねえ」
真顔で言われた。
よほどのこと先ほどの涙にドンびいたらしい。
情緒不安定で申し訳ございません。
「ああ、そりゃあ……あれだ」
「どれだ」
「うん、スラギとミコトさんだよ、分るだろう。……あの二人は、……あの二人は……」
躊躇しながらも、騎士団長は正直だった。
そしてそんな彼は今度は瞳が虚ろになった。
しかし一方のアマネはそれで理解したらしい。彼は瞬いて。
「……ああ。そういやあ、あいつらはあんま名前呼ばねえもんな」
気づいてはいたらしく、思い出すように眼を細めた。
が、次に飛び出した言葉は。
「それって泣くほどの事か?」
こてんと首を傾げて無邪気だった。
なんの悪気もなくそう言ってしまえるのは、貴方が彼らに名前をごく自然に呼ばれるという立場にいらっしゃるからだと思います。