立ち止まって深呼吸してください
ミコトとスラギにはたいへん強烈な師匠がいた。
それはあたかも『見本にしてはいけない人間』の代表かというような強烈ぶりであった。
そしてそんな強烈な話を聞いてしまったからだろうか。
その日その晩、一行は旅程を変更せざるを得なくなる。
――王女が熱を出したのである。
色々とオカシイ語り手によるダメな方向に超越した人間の物語は純粋かつ箱入りの王女の許容量をオーバーしたらしい。
日々着実にたくましくなっていた彼女の成長は変人のおかしさの前に少々及ばなかったようである。
非常識人の話を理解しようと努めるには不屈の精神力と強靭な忍耐力が不可欠なのだ。
そしてそれらを持ち合わせていない人間には少々被害が及ぶことは必至なのであった。
なんという弊害!
ともかくである。
ただでさえなれない旅の道中、可笑しい人間のおかしい常識につき合わされた挙句王女が倒れた。
これが動かぬ事実であった。
もちろんこのことが発覚した時には騎士団長以下、侍女・サロメも騎士・イリュートも顔色を変えた。
そして始まる、上を下への大騒ぎ。
体への負担を考えて馬車は早くは動かせない。その間に騎士団長が早駆けして宿泊予定の町で医術師をさがした。
そしてもちろん部屋に運び込まれるやいなや寝る準備が整えられ宿に頼んで病人食が用意される。
出来得る限りの手は打った。
だがしかし、この町に医術師はいなかった。さほど大きな町ではなく、住民は民間療法か、たまに大きな町から巡察にやってくるものだけでどうにかなっていたのだ。
もちろんサロメは付きっきり。うなされる王女の傍らでてきぱきと看病中。騎士団長は宿の主人と交渉中。王女の病状が長引いた場合に宿泊期間を伸ばすためだ。イリュートはおろおろしながらも護衛中。時折サロメの指示で水を汲みに行ったり騎士団長へ言付けを伝えたりと忙しい。
そんなこんなで三人はピリピリとしながらも、己にこなせることを精一杯にこなして奮闘していた。
が。
そんな彼らを横目にゆったりしている者二人。
言わずと知れた王女が倒れた元凶二人組である。
元凶が何をのんびりしている。
交渉から戻ってきた騎士団長はさすがにイラッと青筋を立てた。
見ればミコトは亜空間からいろんなものを出しては戻し出しては戻し。その中のいくつかは出してスラギに渡している。スラギは素直に受け取って、ひょいひょいと机に並べていくという一連の作業。
え、何それ倉庫整理?
それって今やる事ですか?
騎士団長は低く言う。
「おい、暇ならサロメを手伝え。そんなことをしてる場合じゃないだろうが。朝一で医術師を迎えにも行かなきゃならないんだぞ」
それは至極急を要するこれからの予定である。王女をこのまま自然に治るまでほうっておくなんてことができるわけがない。旅程的にも王女の体調を考えても医術師を呼び病をいやすことが必要なのだ。
町に医術師がいなかったこと、護衛対象の不調に気付かなかったこと、予定がここにきてまたしてもくるってしまったこと。
苛立ちは降り積もっている。
だのに黒と金の自由人どもは能天気。これが怒らずにいられようか。
これでもなんとか感情を抑えた方であった。
が。
「え?」
心底不思議そうにスラギに言われた。
「え?」
思わず素っ頓狂に返した。しかしそれでもスラギは『医術師などいらないでしょう』といつもの調子であはっと笑う。
「何言ってんだ、状況がわかっていないのか!?」
とうとう騎士団長は叫び出す。
が、そこで。
「阿呆か。だからこうしているんだろう」
ミコトの声が呆れたように飛んできて。
それに怒りの声を上げようと騎士団長が視線を移し、
「不味くて即効性の薬と、無味で効き目の緩やかな薬、どっちがいい?」
叫ぶ前に聞かれてぱかりと口を開け、騎士団長はようやく思い出した。
そういや神が何かを間違えたこの自由人、医術師の上を行く薬師だったと。