しかし興味があるわけではないんです
「……神聖魔法、使えるって、」
呟くような声。ジーノは頭を抱える。それは、ミコトの最も重要な特異性であり、人間社会で言えば奇跡のような確率で顕現した、スラギ以上に各国が喉から手が出るほどに欲した能力。
自由人にかかれば完全なる便利機能に成り下がるけれどそれはそれ。
重力魔法、闇魔法、光魔法、そして、
「大方、治癒魔法に食いついたんだろう」
のたまったのは張本人の黒髪麗人でした。
そして彼は長い脚を組んでカップに口づける。半分伏せられた睫毛が驚くほど長く、艶やかな長髪は右肩に流されて膝の上には本が開かれている。
やだ、優雅。
恰も一枚の絵のような優美さに一瞬ジーノたちは息をのみ。
次の瞬間。
「何という他人事! やめればいいのか? 今後慎めばこれまでの情報漏洩は気にならない方向なのか? 治癒魔法ってあんた、一番知られたら不味いだろうが!」
懐が深いのかただただ気にもならない些末事なのか。
些末事なんだな? ただいい加減観察されるのが面倒くさくなったから提言しただけなんだな? だから御国事情も考えずこんな魔族の中心でカミングアウトしたんだな? なぜ無駄に性能の研ぎ澄まされているかの麗人の脳細胞は気遣いという方向に働かないのだろうか。そんな機能は初めから搭載されていませんかそうですか。
頭痛案件である。
まだジーノは三十代、しかしストレスでそろそろ毛髪が心配だ。
本当に、本当にやめていただきたい。
いや、落ち着こう。
最後に報告を出したのは、騎士・イリュート曰く魔都・カンナギに入る前が最後であったようだ。報告手段を考えても、川に近づける機会はそれが最後だろう。
だが治癒魔法のことは海上を高速移動中にすでに露見している。
治癒魔法が使用できれば戦争でどれほど有利になるか、分らない為政者はいない。
まあミコトの場合、狂気の薬品精製能力が備わっているので治癒魔法があんまり活躍してないけど。
ともかく。
「セルジアの皇帝は、既に老齢だからな……」
余計にそこに、奇跡を夢見るのだろう。
昨夜軽快に死後の予定を決定されたジーノにはわりと乾いた笑いだが、死ぬのは怖い。死にたくは、無い。それが目の前に迫っているのなら、余計に恐れは大きいだろう。
未知のものを恐れる心理だ。
だから夢をいだく。
一つの『完全』なるものとしての象徴。遥か昔から多く人が求めてきた。
『不老不死』『死者の蘇生』。
……例えば長く長く、生きたという前神・グレン翁そのそれや、ミコトらと出会うまでの七百年近く、誰とも打ち解けなかったという魔王・ヤシロのかつてを聞きかじれば、その考えは夢でしかないと、ジーノは思うが。
不可能という意味ではない。現に話題の黒髪麗人はまさにほぼほぼ不老不死同然の神様だし、スラギたちはその眷属だ。うっかりそこにジーノも組み込まれてるけど。
なお、ミコトにかかれば死人も生き返るそうです。
まだグレン翁が生きてた時分からそれは出来たそうです。植物相手に実験した結果だそうです。
こっそり聞いたら、「できるが、如何した」と当然のような答えが返ってきてジーノは戦慄したよ。
いや、ミコトは神、命を司るものと考えればまあできるんだろうけどね。それは絶対言っちゃだめだからね。駄目だからね。
本気で念を押したジーノである。こそこそとしたそれに訝った視線を投げられるがそれどころではない。この自重しない自由人(の己を煩わせるものを即排除する性質のとばっちりから自分と周囲)を守る為に。
が。
「そんなことは言われなくても分かっている。面倒くせえ。……言ったろうが、『人間は莫迦だ』と」
そんな声が心底面倒臭そうに返って来たんですが、人類丸ごとバカにしたその台詞は確か治癒魔法カミングアウトの海の上で吐き捨てられたそれでしたね。
ああなるほど、つまりはそういう事なのだ。
自分の能力を殊更に隠しはしない。煩わしいものは凡そ自分の手でつぶすことができる。
けれど、スラギやアマネやヤシロの破壊行為を嗜めるのも結局はミコトだ。
ミコトはミコトなりに、恐らくはこの世界を生かそうとしている。
人というのは時に本当に愚かで、
救いようがないから。
余計な情報は最初から与えない。
治癒魔法は使わないのだとミコトは言った。人間は莫迦だから。
……莫迦になって、しまうから。
いつかスラギが言った。
ミコトがいなくなればスラギはこの世界を壊してしまう。けれどミコトは、壊さない。例えばスラギの死を知っても、そうかとため息を吐く。
―――指先ひとつで破壊と創造をできる力を持っている、この黒髪の自由人は、どうしてもこの世界の神なのだ。