第1章“入手” -6 計画
池上かおりがアラタの部屋を出て行ってから、10日が過ぎた。
明日はいよいよクルミンこと藍澤くるみとのイベント。化粧品のPRイベントだ。
毎夜、指を折って数えたが、ようやくその日がやって来ようとしている。
記者発表会は九段下にあるホテルの宴会場で行われるとの事で、アラタの役割は裏方、控室と会場の間に立ってクルミンを含む出演者に合図を出したり何か困ったことがあれば対処する、という役割。
クルミンに会えることは間違いない。
役割としてはベストだと言えるだろう。中村に感謝せねば。
今日、当日のオリエンテーションが行われ、役割が確認された。
中村は、相変わらずアラタに絶対服従だ。
クライアントに対してよりもアラタに対しての方が腰が低く、大丈夫かと心配になったが、やはりアラタが思っていたよりも中村は優秀なのか、アラタ以外のスタッフに対しては的確に指示を送っていたし、イベントの全容をしっかりと把握できている様だった。
その後、かおりからは連絡がない。アラタからも連絡をしていなかった。
あの3日間の事を詳しく聴きたいと思ってはいたが、こちらから呼び出すのも気が引けるし、ひょっとしたらアラタの事を恨んでいるのかも知れない、とも思い、連絡せずにいたのだ。
ただ、マインドコントロールパネルの検証も含めて、あの3日間の事をアラタは何度も思い返していた。
あの時のかおりは間違いなく異常だった。
過去に付き合っていた頃の事を思い返してみても、全く別人の様だ。
思えば中村は、かおりの様に狂信的な執着心を見せてはいない。
いや、呼べば3秒でやってきて戦国武将が大名に仕える様な態度で接しているのだから、見る人が見れば十分に狂っているとも言えるのだろうが、少なくともおしっこをかけてくれとは言わないし、何十回も電話やメールを送ってくるような事もない。
アラタ以外に対しても、以前の様な陰湿な小言を言ったり無駄に自慢話をしたりという事はなくなったそうだ。
表情もなんとなく以前よりも明るいような気もする。
他の人で試していないから分からないが、中村にとって主従の関係はポジティブに働いている様だ。
では、なぜかおりに対してはポジティブに働かなかったのだろう。
“主従”と“恋愛”では心を動かす範囲が違うのだろうか。
確かに、好きな人に振られて自殺する人はいても、上司に怒られて自殺をするという人はいない。
上司を尊敬しすぎて夜も眠れない、という事もないだろう。
それはきっと、主従の関係と言うのはその2人以外に何らかの目的があって、それを共有しているという立場だからではないだろうか。
例えば昔の三国志とかにある主従関係は、天下統一だったり民を安んじる事であったり、敵国だったり、そう言うものに対して共に戦うという意味合いがある。
自分が考えている目的と違えば、裏切って他に着く、と言う事もあるだろう。
その点恋愛は違う。
相手がどうしようもなくダメなヤツでも、好きになってしまえばその人の為に何とかしようとするし、2人で一緒に大きな困難に立ち向かう必要なんてない。
いずれにしても中村は、アラタにとって非常に使いやすい部下、というポジションになっていて、かおりは下手をすれば殺される、とまで思うようになった。
マインドコントロールパネルで選べる思いの属性は、愛情・友情・主従の3つ。
この中だとやはり、愛情が一番危ういというか、精神に異常を来たし易いだろう。
とはいえ、明日クルミンに会って、友情や主従に設定するのはあり得ない。
当然、愛情一択だ。
かおりは元々情緒不安定なところがあったし、誰もがかおりと同じ様になる訳ではないと信じよう。
作戦はこうだ。
彼女が会場入りした後、現場のスタッフとして挨拶をする。統括ディレクターからクルミンへの説明もあり、そこにもアラタは参加出来る事になっている。
顔と名前を一致させるという事はさして難しくないだろう。
その後、トイレででもマインドコントロールパネルを起動させ、コントロールする。
イベントは囲み取材も入れて90分ほどの予定だが、イベント中はアラタがすべきことは殆どないので、時間を見つける事は出来るだろう。
問題は、どう連絡先を交換するかだ。
コントロールしても連絡先が分からないのならどうしようもない。
マネージャーさんにでもクルミンから「こないだのスタッフと連絡を取りたい」と言って貰えればいいかも知れないが、なぜ連絡を取るのかとか聞かれたら答えられないだろうし、マネージャーも素直に連絡をくれるとは思えない。
そもそも、イベントスタッフがタレントの連絡先を聞くなど、ご法度もいいところだ。
だから、なんとかしてアラタの連絡先を直接渡さねばならない。
2人になれる時間があるとは思えないので、赤外線通信とかふるふるとか、そういうので交換するのは難しいだろう。
古典的な方法だが、紙にアドレスを書いてクルミンにだけ分かる様に渡す。
これしかない。
コントロールしてしまえば、アドレスをみて必ず連絡をしてくる筈だ。
「おい中村。」
「はっ!」
「藍澤くるみに俺のアドレスを教えたい。何かいい方法はないか。」
「う~ん…。そうでございますか…。正直、あのクラスの女優になりますと、なかなかガードが堅いという事はございます。深見様が連絡先を交換した事が仮にマネージャーにでも伝われば、間違いなくクライアントに伝わりますし、当社も御社も出入り禁止になるでしょう。」
「やはりそうか…。名刺は渡さないのか?」
「タレントには基本的に渡しません。マネージャーには渡しますが、その名刺をマネージャーがタレントに見せるという事はないでしょう。」
「となると、どんな方法がある?」
「直接となると、控室にあるお菓子だとか、お帰りの際にお渡しするノベルティであるとか、その位しか手段はないかと…。」
「控室だと、本人が見つけるという保証はないよな?」
「そうでございますね。マネージャーか本人か、というところですので可能性としては高いかも知れませんが、そもそもお菓子を食べない可能性もございますので…。」
「ノベルティというのは何を渡すんだ?」
「明日ですと、化粧品とクリアファイルでしょうか。今回の化粧品は藍澤様ご自身がお気に召されたようでして、先月サンプルをお渡しした後お使いになられているとか。」
「俺から直接渡せるのか?」
「いえ、それはクライアントからお渡しする予定になっております。」
「となると、そのクライアントが何らかの理由で渡せないから俺が代わりに、という状況を作る必要があるか…。」
「そういう事になりますね。あとはマネージャーに渡すのが普通ですので、本人に渡す為にはもう一工夫必要かと。」
「クライアントとマネージャーか…。」
アラタは考える。ある程度無理なやり方をしたとしても、アドレスを渡せれば問題ないのだ。
中村の会社が出入り禁止になったとしても、アラタにとってはクルミンの方が大事だ。
「中村。」
「はッ!」
「クライアントの方は任せる。下剤を飲ませるか何かして見送りの際に同席できなくさせろ。」
「畏まりました!」
「その上で、クルミンが帰る前に5分だけでもマネージャーを連れ出せ。何でもいい。進行に粗相がなかったか聴くとか、本人の反応はどうだとか、別室に連れ出して話をしろ。
「分かりましたっ!」
「うむ。任せたぞ。」
「はッ!」
こういう命令を躊躇せずに受けてしまえる中村ってすごいな、とアラタは思う。
すごいのはマインドコントロールパネルの力、という事になるのだが。
しかも、この命令は明らかにアラタの私欲の為だけだ。
渡したところで普通は連絡が来るなど考えられないし、“無理だからやめとけ”となる筈なのに、どう思って中村は従っているのか…。
まぁそれは良い。
いずれにしても明日は、クルミンに会える。
あの、藍澤くるみがアラタの彼女になる記念すべき日だ。