第1章“入手” -5 狂気
「あぁ!アラタ君!良かったぁ。何度電話かけても出ないから心配になっちゃって…。」
かおりと最後に会ったのは昨日の朝の筈だが、ずいぶんやつれている様に見える。
目の下に隈が出来ているし、髪も無造作にまとめられているだけだ。
昨日は恐らく一睡もしていないのだろう。
食事もしていないのかも知れない。
「あぁ、ごめん。今日は仕事の人たちと飲んでて…。」
「うぅん。いいの。こうしてまたアラタ君に会えたんだから。」
かおりの手がアラタの頬に伸びる。
両手で髪や頬を撫で、もうたまらない、という様にキスをしてきた。
一昨日と同じ様な、濃厚なキスだ。
「…えっと、上がっていくよね?」
「…うん。もし迷惑でなければ、だけど。」
「平気だよ。どっちみちもう終電もないしね。何時ごろからここにいたの?」
「9時前かな…。ごめんね、心配になっちゃって。」
という事は、4時間もこのドアの前で待っていたのか。
アラタはかおりの執着が恐ろしくなっているが、気持ちよく飲んで帰ってきているのだ。ただでさえ人肌恋しくなるし、さっきの激しいキスでモノも反応し始めている。
鍵を開けると、一昨日と同じように靴を脱ぐのももどかしく、玄関からベッドまで進む間にお互いの衣服を剥ぎ取る様に脱がせ、求め合った。
やはり、アラタが戸惑う位に激しいが、2回目だという事と酔いも手伝って、勢いがあるまま果てる事が出来た。
恐らく昨日一睡もしていないのであろうかおりは、行為が終わるとアラタの胸ですぐに寝息を立て始めた。
そしてアラタもまた、すぐに目を閉じた。
----
「アラタ君!大変よ!もう7時半になる!ごめんね、私も寝ちゃってて!」
翌朝、慌てた様子のかおりに起こされた。時計をみると7時半。
いつもであれば既に駅についている時間だ。
だが、今日アラタは昨日までのイベントで土日出勤していた為に休みだ。
元々イベント会社であるアラタの会社は、週末に多くのイベントが行われる事もあって、休みは不規則なのだ。
“そういえばかおりには休みだって言ってなかったな…。”
「あぁ、おはよう。今日は俺、休みなんだよ。昨日までイベントだったからね。」
見るからに慌てていたかおりが、事態を把握して深く息を吐く。
「なんだ、そうだったんだ。私ビックリしちゃって。じゃあまだ寝ていられるんだね。」
ベッドの上に半身を起こしたアラタにかおりがまた口づけて来る。
今回は激しく舌を絡める様なキスではなく、チュッと触れるだけのキス。
「そうだね。かおりも昨日あまり寝られなかったんでしょ?もう少し寝よう。…って、かおりの今日の予定は?」
「あぁ、今日は、稽古が10時からあるんだけど…、休む。」
「えっ?どうして?どこか調子悪いの?」
「ううん。だってアラタ君お休みなんでしょ?だったら一日中一緒にいる。どうせ私なんてチョイ役だからいなくったって稽古は進むし。」
「いやいや、ダメだよそんな無責任な事したら。劇団って大勢で一つのものを作り上げるんだから団結力が大切なんだって前に言ってたじゃない。」
「でも今日はいいの。休む。」
「ダメだって!行きなよ。」
「……。」
「…ね?」
「イヤ!絶対行かない!アラタ君とずっと一緒にいる!」
刹那、かおりの顔に狂気が浮かんだ。
「わがまま言わないで。自分がやりたい事なんでしょ?舞台。」
「わ、私を!遠ざけたいの!?」
「いやいや、そんなことはないけどさ…。」
少しずつイライラしてくるのを感じる。
「いいから!行ってきなよ!」
「絶対に行かない!アラタ君のそばを一秒も離れない!」
かおりはそういうと、自分のバッグの中からカッターナイフを取り出した。
運送業者が使う様な、太いカッターナイフ。その刃を目いっぱい出し、自分の喉に当てる。
なんでそんなカッターを持っているんだ。
「アラタ君と一緒にいられないならここで死ぬ!」
見開かれた目は血走り、歯はギリギリと音を立てる様に固く噛み締められ、カッターナイフを握る腕には筋が浮かび上がる。
その全ての様子が本気だと訴えている。
「ま、待って。分かった。分かったからいったんそのカッターナイフを置いて。」
「…。一緒にいてくれる?」
「あ、あぁ。今日は一日一緒にいよう。」
「……。」
「オーケー?さぁ、カッターを置いて。」
10秒ほどだろうか。
少しずつかおりの身体から力が抜けていき、カッターナイフの刃をカチカチと音を立てて引っ込めた。
「それは…、俺に渡して。」
「うん…。」
カッターナイフを受け取る。
さっきまで見開かれていたかおりの目からは涙が零れ落ちている。
「いい?もう絶対にこんなことしちゃダメだよ!?」
「うん…。」
そういうと、かおりはアラタに抱きついてきた。
戸惑いながらも受け入れる。
「もう絶対に、離れない。二度と。」
「あ、あぁ…。」
アラタの鼓動はまだ早いままだ。
正直、目の前のかおりの事が恐ろしい。
きつく抱き締められているかおりの身体を引き離そうとするが、かおりはきつく力を入れて離れるのを拒む。
「あ、ごめん、ちょっとトイレ行ってくる。」
そういうとかおりは少しだけ離れたので、アラタが立ち上がろうとする。
「…私にかけて。」
「……え?」
「トイレ。私も一緒に行く。お風呂の方がいいか。アラタ君のおしっこ、私にかけてよ。」
「い、イヤ、それはちょっと…。」
「アラタ君の身体から出た温かさに包まれるなんて素敵だわ。それか…、口の中にしてくれてもいいよ。全部飲むから。」
“ちょっとそこにあるペンを取ってくれない?”
…とでも言うかのように、さらっとそう言うかおり。
言葉が出て来ない。
10秒か15秒か、その位経ったろうか。
「トイレは、やっぱ大丈夫かな…。収まったよ…。」
「そう?でも、またしたくなったらいつでも言ってね。私はいつでも大丈夫だから。」
「あ、あぁ…。」
そういうと、かおりはまたアラタを抱き締める。
“いつでも大丈夫って言われてもな…。”
その後、1時間ほどの間、かおりはずっとアラタの顔や耳、首、胸、腕、指…色んな部分を舐めていた。
耳や鼻、腕、指はかなりきつく噛まれ、アラタが「痛ッ」と声をあげる事も何度かあったが、「フフフ、ごめんね。」と笑って舐めたり噛んだりを続けている。
何度か引き離そうとしたのだが、かおりは全く離れようとしない。
仕方なくかおりのするがままに任せ、アラタはマインドコントロールパネルの事を考えていた。
今のかおりの状態はどう考えても異常だ。
そしてこれは、マインドコントロールパネルの能力の為だという事は疑いの余地がない。
コントロールを解除する方法はなかっただろうか。
ただ、かおりの前でマインドコントロールパネルの操作をするわけにもいかない。とりあえず離れて貰わなければ。
「そういえば!お腹減らない?」
「え?私はそうでもないけど…。アラタ君お腹減った?」
「うん、もうすぐ10時だもんね。朝も食べなかったし、何かブランチ的に食べようよ。かおりの作ったカレーが食べたいかな。」
そういうと、かおりの顔に笑みが広がる。
「そうね。私の料理、アラタ君に食べてもらいたい!」
「よし。じゃぁ買い物に…、えっと…、一緒に行こうか?」
「うん!」
本当は1人で行かせようと思っていたのだが、そういうとまた死ぬと言い出しかねない怖さを感じた。
2人で駅の近くにあるスーパーマーケットを訪れる。
買い物の間中、かおりはアラタにずっとくっついて離れようとしない。
料金もかおりが払った。
アラタも払うと言ったのだが、かおりが“アラタ君の為に私がしたい事だから”と言い張ったので仕方なく払って貰った。
家に戻ると、キッチンでかおりは作業をはじめ、ようやく少しだけでも離れる事が出来た。
かおりの目を盗むようにマインドコントロールパネルを立ち上げる。
「被操作者を入力して下さい。」
池上かおり、と入力する。すると次は「対象を入力して下さい」だ。
深見新、と入力する。
すると、既に入力された情報が出て来る。
愛情、+100%となっていて、その下に「実行中」の文字。
さらに横には「解除」のボタンがあった。
“ちょっと勿体ない気もするけど…”
数秒考えた後、アラタは「解除」のボタンを押した。
「いったん解除すると元に戻せません。本当に削除しますか?」
“おっと!決意を鈍らせる様な質問!”
ここで改めて考える。
“まぁ仕方ないか。このままだとかおりが死ぬか、俺がかおりに殺されるか、どっちにせよ良い未来が待っているとは思えない。”
「YES」のボタンを押す。
「解除中…」と画面に表示され、数秒後「解除が完了しました。」と出た。
キッチンにいるかおりを見る。
玉ねぎを刻んでいたところの様だった手が、止まった。
何かを思い出したように、かおりがアラタを見る。
とっさにマインドコントロールパネルを後ろに隠したが、かおりはその事に気を留めている様子はない。
2~3秒アラタを見て、その後周囲を見渡し、また玉ねぎを刻み始めた。
“あれ?解除されなかったのかな?”
しばらく料理を続けるかおりの横顔を見つめるアラタだが、かおりは黙々と料理を続けている。
いや、さっきまでは鼻歌交じりで楽しそうに料理していたが、今はどちらかと言うと何かを考えている様な真剣な顔だ。
玉ねぎを鍋に入れ、再びアラタの方に向き直る。
なぜか慌てて目をそらすアラタ。
一歩、二歩とアラタの方にゆっくり近づいてきた。
「アラタ君。」
「ん?どうしたの?もう出来た?」
「ううん。まだなんだけど、もうしばらく煮込めば食べられるよ。それでね、申し訳ないんだけど用事を思い出しちゃって、もう出ないといけないんだ。」
「そうなの?そっか…。じゃあまぁ、仕方ないね。すぐ出る?」
「うん。ごめんね。」
「いや、良いよ。駅まで送ろうか?」
「ううん。大丈夫。カレー、温めて食べてね。今は火を止めてあるから。」
「あ、あぁ。ありがとう。」
そういうと、かおりは自分のバッグを持って出て行ってしまった。
てっきり、コントロールされている間の記憶がないとか、そんなことを予想していただけにちょっと肩すかしを受けた気分だが、どうやらコントロールが解除されているという事で間違いないらしい。
再びマインドコントロールパネルに目を落とす。
かおりの愛情は±ゼロになっている。
そして、その他のボタンは全てグレーになって、コントロールが出来なくなっていた。




