3-9 中村 善行
中村 善行は、渋谷にある居酒屋の前で、15人ほどの仲間たちに1人ずつ握手をして回っていた。
新卒から13年もの期間勤めた愛着のあるセールスプロモーション会社、その最後の出勤日。
長年ともに勤めた同僚や部下達が、細やかながら送別会を開いてくれたのだ。
赤い顔の面々がそれぞれ励ましや惜別の声をかけ、中村の手を握る。
“本当は大した感傷なんてないだろうに。”
自身が同僚や部下から慕われていたなどと自惚れるつもりはない。
むしろ、嫌っているものが大半だろう。
中村自身が、同僚や部下たちをかなり長い期間見下していたのだ。当然、態度にも現れていただろう。
そもそも中村は、人付き合いが苦手だった。
学生時代も、決して友達が多いほうではなかった。
むしろ少ないほうだ。いや、少ない、と言う言葉でも見栄になるかも知れない。
顔見知りや雑談程度の話をする相手はいるが、友達と呼べる存在などいないのだ。
教室の廊下側の席。窓際で楽しそうに話をしている友人たちが恨めしく思ったが、その輪に加わろうとはせず、一人で本を読んで過ごした。
その方が中村にとっては有益な時間だと思っていた。
け小さい頃から背が高かったこともあってか、いじめられるという事はなかった。喧嘩も殆どした事がない。
何かの折にクラスメイトたちが声をかけてくれば普通に接したし、求められたことには応えた。
単に、求めることがあればやって来て、そうでなければ来ない。それだけのことだ。
そのことに何も感じなかったわけでは勿論ない。
自分のところにもっと来てほしいとは常に思っていた。
だが、自分から歩み寄ることはせずに、来ない相手が無能なのだと思った。くだらない芸能ニュースの話をするよりも、自分の方がよっぽど実のある話が出来るのに、それに興味を持たないのはそいつらが無能だからだ、と。
地元である徳島県から京都のそこそこ名のある大学に進学した後も、それは変わらなかった。
名のある大学であれば周囲のレベルが高く、自分の求めるものを理解してくれようと、自分に近寄ってきてくれる優秀な人間もいると思っていたのだが、そうではなかった。
一応はサークルなどにも入り、グループの中にはいたがその中で誰かと仲良くするという事もなく、求められたことには対応して再び自分の時間に戻る。
サークル全体の催しであれば声がかかるが、その中で仲の良い仲間で何処かへ行くとか、そう言った場合に声がかかる事はなかった。
自分のところに来てくれさえすれば、レベルの高い話が出来るのに、と周囲を蔑んだ。
第三者的に見れば、中村のもとに話をしに来た友人もいたし、その相手が話を聞いてくれなかったわけではないのだが、中村の話が上手く伝わらないとそれだけで相手を見下すのだ。自分の言葉足らずを反省するようなことはない。全て相手の無能が原因だと切り捨てた。
結果、中村の周りからは人がいなくなっていく。
典型的な独りよがりで、原因は自分にあるのだが、その事を省みる事はなかった。
そうして同じように周囲が無能なのだと思い続けたまま大学を卒業し、なんとなく興味を持ったセールスプロモーションの会社に入社した。
第一志望が広告代理店だったが「面接官のレベルが低く、中村の話をきちんと聞かなかったため」に不採用になった。
就職後も中村のスタンスは大きくは変わらなかったが、周りの状況が変わった。
仕事となると、毎日の様に中村には何かを求められるのだ。
求められたことには応える。その為に何が必要なのかを考えることもするし、調べもする。
利益に繋がるのであれば幾らでも頭を下げる。とてもシンプルで中村には心地良かった。
だが、そうでなければ仲良くする意味を見出せなかった。
飲みに言って上司の悪口を言い合う、というようなことには意味を見出せなかったし、そんな事をしている時間があるのなら求められることをこなす為に何か調べ事でもしている方がいい。
自然、クライアントや上司には卑屈なくらい謙るが、同僚や部下、下請けにはきつく当たった。
陰口を叩くものがいることは知っていたが、気にはならなかった。
中村は、仕事が出来た。
10人ほどいる同期の中ではダントツで、営業をしても現場を仕切っても、常に高い評価を得た。
ただし、クリエイティブなことは全く出来ないと感じている。何かを産み出すこと、ゼロから作り上げる発想力と言う部分は皆無だと言って良い。
何かを生み出すというのは当然、人が何を求めるのかを知り、それを提供する、という事が前提にある。
求めていた事も知らなかったけれど、知れば誰もが欲しいと思う様な革新的なアイディアというものもあるにはあるのだろうが、そんな事を考え出せる筈がない。
中村はそんな革新的なアイディアの事を考えようともしなかった。
だが、ビジネスにはある程度の法則がある。この商品はこれだけ売れているという証明があるなら、それを1円でも安くしたり、ほんの僅かの機能を新たに付与したりする。欲しがる筈の人に届いていないのなら届ける方法を何処かから持ってくる。
それだけだ。
言わば極度のマニュアル人間、それが中村の、自身に対しての評価だった。
プレゼンテーションをするにしても、既にあるものを見繕ってアピールするだけ。
だがその分、情報収集は怠らなかった。
テレビや新聞をチェックすることはもちろん、流行りの音楽や映画は欠かさずチェックしたし、インスタレーションやプロジェクションマッピングなどのイベントにも時間が許す限り足を運んだ。
それらを知っていれば、そして導入出来る伝手を持っていれば、それだけでまるで中村自身がクリエイティブな人間なのだと勝手に思ってくれるクライアントがいた。
単に、知っていると言うだけのことなのに。
同僚や部下たちもそうだ。
どこでそんな情報を集めてくるのかと聞かれる事もよくあった。
中村からすれば知らないのは怠慢なだけだと思ったし、自分で調べようとしない同僚や部下のことはそれだけで見下した。
キツい言葉をかけた事も、両手では数え切れないほど。
“嫌なヤツ”だったろうな、と思う。
嫌なヤツだった。
そう、今は違う。
中村は、変わったのだ。
深見アラタと言う、中村から見れば取るに足らない出入り業者の、その平社員であった男によって、中村は変わった。
それも劇的に。
今では、他人を見下す様な事はない。
その必要がなくなった。
深見アラタへの忠誠、それこそが今の中村の存在意義だ。
深見アラタに忠誠を誓ったあの渋谷の百貨店イベント以来、中村は悩みや後悔やプライド、自分を大きく見せたいと言う様な思いだったり他人の不出来を論う様なことから自由になった。
僅か3ヶ月だが、これほど心が穏やかな期間を過ごした事は記憶にない。
3ヶ月前なら、こんな送別会を開いてなど貰えなかったかもしれない。
嫌なヤツがいなくなって清々する、と思われて終わりだっただろう。
深見に忠誠を誓い、深見以外の事に一切執着しなくなった結果、仕事の効率も上がったし、以前の様に同僚や部下に対して“分かっていない!”と腹を立てることもなくなった。
同僚や部下に対して抱く思いは特別変わってはいない。
「この命を懸けて、深見様にお仕えする。」
その思いこそが、中村の矜持だ。
アラタ以外の人間に対して自分を大きく見せようとしたり、失敗を叱責しようと言う気持ちが全くなくなった。
どんな著名なアイドルやアスリートと仕事をしようが、深見アラタの威光に勝るものなどある筈がない。
自慢したい、と言う気持ちが一切湧かなくなった。
ニュートラル、と言う言葉がしっくり来る様な気がする。
なんの偏見も持たずに接する様になったのだ。
長年勤めた会社を退職する事に対しての感慨はゼロではない。
だが、なんの不安も恐れもない。
2日間の週末を挟み、来週からは新会社に勤務する。
だが、その2日も出社してデスク周りの整理や情報収拾に充てるつもりだ。
休日など、身体を壊しでもしない限りは必要ない。
“深見様が、いよいよそのお力を世界に示すのだ。それを傍らで支える。なんと幸せなことだろう。”
当初、アラタは中村が新会社に入る事に難色を示した。
能力的に不足だと思われたのかもしれない。
だが中村は、アラタから了承を得られていない段階で退職届けを出した。
無給でも良いので側にいさせて欲しいと頼み込んだ。
なんの迷いもなかった。
アラタの側にいること、それこそが自分の人生だ。
アラタが首を縦に振った時、涙が溢れるのを堪えられなかった。
“深見様をお守りする。この命に替えても。”
中村の心は昂ぶっていた。




