第1章“入手” -3 池上かおり
東急田園都市線、長津田駅。
駅から2分ほどの距離にある焼き鳥屋のカウンター席に深見アラタとその元彼女、池上かおりの姿があった。
時刻は8時半を少し回ったところだ。
ちょうど仕事が終わったところで、もし会えるのならこれから行きたい、と彼女が言ったのはわずか30分前だ。
横浜駅あたりにいるという事だったので、1時間はかかるかと思っていたら、彼女は20分もせずに現れた。
「アラタ君、全然変わってないね。」
「だってまだ3ヶ月しかたってないじゃん。そんなにすぐには変わらないよ。」
「そっか、まだ3ヶ月か。なんだかもっとすっごく前の事みたいな気がするな、アラタ君と付き合ってたの。」
「そう?俺はついこないだみたいな気がするよ。」
かおりは、いわゆるアキバ系の地下アイドル、という様な感じだ。
今日の服装もちょっとゴスロリ系の恰好で前髪は眉毛の辺りで一直線に揃えられていて、ツインテール。
仕事だからこういう格好をしている訳ではなく、かおり自身がそういうカルチャーが好きらしい。
アニメであったりビジュアル系のロックバンドであったり、ちょっと一般受けとは違うものが好きなようだ。
そこそこ背は高いし、スタイルが良いので似合う事は似合う。
ただ、アラタはこう言った服装が好きなわけではなかった。
アラタはどちらかと言えばJJやcancamの様な服装を好んだ。
せっかくスタイルが良いのになんでそんなおかしな恰好をするんだ、と付き合っていた時にはいつも思っていたし、実際何度かその事で口論にもなった。
服装もそうだし、かおりが好きだと言うバンドやアニメ、小説などはアラタにとって理解できないものばかりだった。
考え方も違っていたが、影響を受けてきたものがまるで違うのだからそれも当然だ。
それで言えば、2人が別れるのは当然だったのかも知れない。
だが不思議と、久しぶりに会うといい女だと感じた。
テーブルにアラタが頼んだビールとかおりが頼んだ梅酒サワーが運ばれてくる。
ついでに幾つか食べ物のオーダーも済ませると、威勢のいい声を出して店員が去っていく。
去っていくと言ってもカウンターの向こうに回っただけだが、自分たちの空間からは離れて行ったという感じがありがたい。
この店は、付き合っている時にも何度か来ているので、出来れば店員に話の内容を聞かれたくないとアラタは思っていたのだ。
「あ、じゃぁ乾杯しよっか?」
「そうだね。乾杯。」
グラスを当てると、アラタが少しビールを口に含んだのに対して、かおりは半分近くも飲んだ。
ふぃ~、と声を漏らし、テーブルにグラスを置く。
「あ、その“ふぃ~”って言うの久しぶりに聞いた!」
「えへへ、そうだよね。1杯目を飲む時、だいたい出ちゃうよね。」
「にしても、今日はけっこう一気にイッタね。」
「…あ、そうね、ちょっと緊張して喉が渇いてたから。」
そういうとかおりは、指で額の汗を拭く様なそぶりをする。
「緊張?なんで?」
「そりゃだって、そうでしょ。自分から別れようって言った元彼に自分から会いたいって電話しといて、何様だって怒られるかなって思ってたんだもん。」
「あぁ…。そりゃまぁ、そうだね。別に何様だとは思わなかったけど、どうしたんだろうなって位は思ったよ。突然の電話でビックリしたしね。」
「うん。ごめんね。さっきね、突然…、本当に突然、ものすごくアラタ君に会いたくなったの。正直、別れてから今までそんなことなかったのに。で、会いたいと思い始めたらもう居ても立ってもいられなくなって。それで、電話しちゃった。」
「そっか。あの、劇団の人とはどうしてるの?」
「…え~っと、その…、まだ、付き合ってる。」
「そうなんだ。じゃぁその彼怒るんじゃないの?元彼に会いに来てたら。」
「…そう、よね。そうだと思う。」
「上手く行ってないの?」
「ううん、そんなことないの。上手くいってるよ。正直、アラタ君の時より…。」
「なのに俺に会いに来たの?」
「…うん。」
「ハイっ!お待たせしました~!まず大根サラダとヤッコ、後ろから失礼します!」
と、良いのか悪いのか、このタイミングで料理が運ばれてきた。
「あ、すみません。梅酒サワーをもう1杯お願いします。アラタ君は…、まだいい?」
「あぁ、まだ大丈夫。梅酒サワーだけでお願いします。」
「畏まりました!ありがとうございます。梅酒サワーイッチョーっ!!」
威勢のいい声に救われたような気がした。
かおりがアラタよりも先におかわりを注文した事なんて一度もなかったような気がする。
「サラダ、取り分けるね。」
というと、かおりがそれぞれの取り皿にサラダを盛り付ける。
“かおり、こんなことしてくれてたっけ?いや、付き合う前とか、付き合って最初の頃はしてた様な気もするな…。”
そんなことを考えながら、礼を言って大根サラダをつまむ。
「うん、おいしいね。ここの大根サラダは久しぶりだ。」
「そうだね、おいしいね。」
「…で、彼氏とは上手くいってるのに、連絡くれたんだ?」
「……うん。だらしない女だとか思われると思うんだけど、どうしようもなく会いたくなっちゃって。」
「突然?」
「うん。1時間位前かな。電話するちょっと前。それまでは正直、アラタ君の事なんてあんまり頭になかったのに。本当に突然。そこからはもう、アラタ君の事しか考えられなくて、居ても立ってもいられなくって。」
既に2杯目を飲んでいるからという事もあるのだろうが、かおりの顔は高揚しているように見える。恐らく、今かおりの心臓はかなり激しく脈打っている事だろう。
“なんだか、やたら色っぽいな。”
「ねぇ…。これから、アラタ君の家に行っちゃダメかな?」
アラタの心臓もまた、激しく脈打つのを感じた。
その後、2人はアラタの部屋へ行く。
歩いている間、かおりはアラタの腕を組み、身体を密着させてもたれかかってくる。
何度か押されてふらつきそうになるぐらい、強く密着させてきた。
アラタの家に着き、階段を上がる。
3階建ての小さなマンションにはエレベーターがない。
アラタの部屋は2階で、階段を上がる途中で他の住人とすれ違った。
“イチャイチャしやがって…”とそう言われたような気がした。
ドアを閉めるや否やかおりがキスをし、舌を深く差し込んできた。
靴を脱ぐのももどかしく、もつれる様にベッドへ倒れ込み、愛し合う。
無理やりに脱がされたアラタのシャツのボタンが飛んだが、かおりはそれに気づいた様子もない。
かおりのそれは、これまででは考えられないくらい情熱的だった。
一度では終わらず、二度目、三度目とかおりは求めて来る。
行為の最中に「アラタ君、愛してる!」と100回近く叫んだのではないだろうか。
そして三度目が終わると、ようやく寝息を立て始めた。
アラタは、首に回されていた腕をほどいて起き上がると、冷蔵庫へ行ってお茶を取り出して口に含んだ。
「ふぅ…。」と深く息を吐く。
時計を見ると、既に3時を回っていた。
これまではどちらかと言えばかおりは性的な事には奥手だった。
付き合っていた時も、行為の最中には必ず電気を消させたし、自分から動く様な事はアラタがお願いしてようやく、という感じだった。
それもかなり恥ずかしげで控えめだったので、不満を持っていたのを覚えている。
“新しい彼ってのがよっぽど調教でもしたのかね…。”
ひょっとするとそうなのかも知れないが、それにしても異常な執着であった様に思う。
そしてその執着は行為に対して、という事ではなく、アラタに向けられていた。
確か韓国の映画で見た、お互いが貪り合う様な濃厚な行為。
ここまで激しくされたら相手が引くんじゃないか、と映画を見ながら思った覚えがある。
アラタ自身も性的な事にはシャイだと自覚していて、こんな激しい行為はこれまでにしたことがない。
そんな激しさを、かおりの方から出してきたのだ。
マインドコントロールパネルが彼女の精神に作用したことは間違いないだろう。
かおりの寝顔を見つめる。不思議と湧いてくる感情は愛おしさとは違うものだ。
かおりとやり直したいか、と聞かれれば、考えてしまうが、どちらかと言えばノーだ。
“けど正直、これはこれで良かったな…。”
ただそれよりも、昼の中村の件と横で寝ているかおり。
マンガの様な話だが、もはや間違いないだろう。
マインドコントロールパネルには、文字通り人の心を操る力がある。
となると問題は、この力を使って何をするか、だ。
例えば、世界一の大金持ちを捕まえて、財産を分けてくれと言えば分けてくれそうだ。
もちろん、何らかの対価は考えないといけないだろうが、相手に払うつもりがあるなら対価なんてなんだっていい。
占い師じゃないが、1時間話をして100万円とか、そういうことだって相手がヨシとすればそれで良いのだ。
大金持ちにだってなれる。
さらには、ハーレムだって作れるだろう。
世界中の美女を集めて酒池肉林の生活を送る。
ただ、みんなが今回のかおりの様に情熱的に求めて来るのであれば、とてもじゃないがアラタの身体がもたない。
自分がそれほどの性豪だとは思えない。
“そういえばハーレムって実はものすごく大変だって何かで読んだな…。”
とりあえずは、お金を得る事だ。
いわゆるお金持ちに近づいてコントロールすれば、今のアラタの給料位は簡単に稼げるだろう。
そして、やっぱりクルミンだ。
クルミンを彼女にする。
“かおりは、たまに会って今日みたいなことが出来れば…。”
我ながら下衆だと思うが、男がこの能力を持ったら誰だって同じことを考えるのではないだろうか。
「よし。決めた。クルミンを彼女にする!」
その為には、何とかしてクルミンに自分の顔と名前を一致させられる様な機会を持たなければ…。