第2部“人脈” -8 桐山 朔弥 2
桐山 朔弥は、24歳になっていた。
大学を卒業してから2年、在学中から勉強を始めていた司法試験に合格し、五反田にある弁護士事務所に就職した。
この事務所は表向きこそ真っ当な事務所だが、その実、日本を代表する暴力団、朝熊組のお抱え弁護士事務所なのだ。
朝熊組以外の仕事など、離婚の調停であるとか、借金の過払い金についてであるとか、朔弥にしてみれば何の興味も湧かない小さな仕事しかない。
当然、朔弥はその事を知って就職した。
父を殺害したあの時以来、サディストとしての血に目覚めた朔弥は、暴力団こそが自分の生きる道だと考える様になっていた。
だが当然、暴力団の組員を一般公募する様な事はないし、基本的にはなりたくてなる様なものではない。
どこかのチンピラが町の親分にスカウトされて構成員になる、と言う様なケース以外は殆どない様だった。
つまり、朔弥はどうすれば暴力団に入れるのか分からなかったのだ。
大学教授などの紹介を含め、抜群の成績を誇っていた朔弥には、もっと条件の良い誘いも沢山あったが、自分なりに調べた結果、最も自分の希望が叶う可能性が高そうなその法律事務所に就職する事にしたのだ。
だが、最初の1年は雑務ばかりで、朝熊組の仕事に携わる事はなかった。
2年目になると、上司の付き添いと言う形ではあるが、朝熊組に出入りする機会が増え始める。
そして更に1年が過ぎる頃、朔弥は朝熊善治郎に面会を求めた。
手には50枚を超えるプレゼン資料。
法的な穴やそれをついた新しいビジネスの仕方などが書かれていた。
4度、朝熊善治郎に断られた。
理由としては、司法試験に合格までした優秀な男が足を踏み入れるべき世界ではない、というもの。
だが、5度目の訪問の際、遂に朝熊善治郎が首を縦に振った。
「サク、お前の目の奥にある狂気は、初めて会った時から気づいていたよ。恐らくお前は、既に誰かを殺してる。違うか?」
「……。」
「まぁ良い。恐らくお前は、もう真っ当には生きていけないんだろう。何か問題を起こして破滅する未来が待ってる。それでも儂は、極道の道にお前の様な優秀な若者を引っ張り込みたくはないと思っておった。断って諦めるならお互いその方が幸せだ。だが、どうやらお前の決心も固い様だしの…なら、うちで預かるのも手だ。」
「はい!ありがとうございます!」
そう言うと、目の前に置かれた純白の盃を傾けた。
それからと言うもの、朔弥は瞬く間に朝熊組の中で頭角を現していった。
緻密な計画と交渉力、そして敵と見るや法的にも経済的にも精神的にも、そして最後には物理的にも追い詰める残虐性。
蟻地獄の様にじわじわと相手を追い詰め、決してミスをしない朔弥の能力と、限界まで追い込まれて最後に逃げようとした相手への、いたぶり尽くしてから殺す様子は、組の内外に恐れを抱かせた。
だが、「お前は狂ってる」と言った兄貴分達は、所謂シノギの額で朔弥には遠く及ばず、歯噛みしつつも認めざるを得なかった。
そんな中、朝熊善治郎はまるで実の息子の様に、厳しく、暖かく朔弥に接した。
法律的な知識はないだろうに、天性の頭脳とセンス、そして経験値で朔弥の計画の意図を知る。
そして、計画の過不足を的確にアドバイスしてくる。
「こう言うアイデアがあるんだが…。」と朔弥が法的な見地からのアドバイスを求められた事もある。
だが殆ど修正の必要はなく、既に誰か、かなりの敏腕弁護士に相談した後なのでは?と疑ったほどだ。
“さすがは大親分と言われるだけの事はある。”
朔弥は既に朝熊善治郎に対して絶対的な忠誠を誓っていた。
そんな中で齎された1つの報告。
既に使えるだけ使って、取れるだけの金を毟り取った沼津耕一郎が、ここに来て再び急激に金を集め始めているという。
1週間で4,000万と聞いた時には、まぐれ当たりでも掴んだかと思ったが、その翌週は更に6,000万円を引き出したと言う。
しかも、調べてみると沼津の詐欺ファンドに出資したのは、島田丸商事の島田裕三や、重松興産の重松豊など“本物”達だ。
既に沼津は死に体だと確信していた朔弥にとってこのことは少なくない驚きだった。
これまで朔弥が見限った人物が復活したことなどただの一度もない。
それは人を見る目というよりも、ロジカルにその人物の評価をし、可能性のありそうなところは全て朔弥が事前に摘み取って自分の金に変えてしまうからだ。
だが、沼津にはそんな気配はなかった筈だ。
“何か隠し持っていやがったのか…?”
だとすれば、その隠し持っていたものも含めて、搾り取るだけの事だ。
調べてみると、もう1人、若い男と一緒に行動しているらしく、金を引き出した打ち合わせには全て同席しているとの事だ。
沼津が1人で動いている案件は、ほぼ全て空振り。
たまに成功しても、いわゆる年金生活者から30万円を騙し取ったという様な目を覆いたくなるものばかりなのだから、その男に興味を持つのは当然だ。
すると、沼津から連絡が来て、深見アラタと言うものが朝熊との面会を求めているとのこと。
確認してみたところ、その異常な営業マンである事に間違いはないらしい。
朝熊に話すと、朝熊も興味を持ったのか、2つ返事で会うと言った。
こんな事は珍しい。
そして当日、やって来た男の姿にまず失望した。
なんの覇気も感じない、何処にでもいそうな若者だ。
朝熊と話す内容もしどろもどろで、僅か数分で朝熊は失望した様に席を立った。
「ガキの使いにもならん。」
と呟く朝熊に、朔弥も同意し、この件は終わる、…筈だった。
“なんでこんな事になってるんだ…?”
今、朔弥の目の前では、朔弥が最も敬愛し、日本有数の大親分である朝熊善治郎が、深見アラタと言う男の前で両手をつき、額を畳に擦り付けんばかりになっている。
オヤジの事だから何か考えがあるのだろう、とは思うが、どんな考えがあるにしても、この状況は異常だ。
「サク!」
「は、はい!」
朝熊から声がかかり、慌てて反応する。
「深見様は、沼津の借金を宇宙科学関連ファンドの収益と相殺出来ないかと仰せだ。異論はあるか?」
「はい…。沼津耕一郎に対しては、額面でまだ2億円程の融資残高がございまして…。」
「それは良い!それで、宇宙科学関連ファンドではどの程度の収益があったのだ?」
「はい、凡そ9億円ほどです…。」
「ふむ。ではそれで相殺しても良いではないか。」
「い、いえ!沼津には手数料として4億円近い金額を渡しております。その金を賭場で使い果し、その上で更に融資を要求された次第でして、ファンドとは別な融資として扱っております。」
「それもお前が沼津をハメたのだろう?いずれにしても、充分な収益は得られたのだ。相殺すれば良いではないか。」
「は、はい。オヤジがそうおっしゃるのなら…。」
朔弥にとって、沼津はもはやどうでも良い存在だ。既に搾れるだけ搾り取ったし、確かに儲けさせて貰った。
そろそろ逃げようとする頃合いだから、そこで捕らえて、いつもの様にいたぶり殺すだけのことだ。
そう思っていた。
だがそれでも、納得がいかない。
そう思っていると、朝熊は更に驚くべき言葉を口にした。
「うむ。それとな、サク。追加で1億1,000万円を深見様にお渡ししろ。」
「えッ!そ!そんな!」
声を出したのは朔弥ではなく深見だった。
朔弥は朝熊の言葉に目を見開いただけだ。
「そこまでしていただくわけには…。」
深見というこのどこにでもいそうな若者は、心底驚いた様に朝熊に対して言う。
それはそうだろう。朔弥自身も驚きで声が出ないのだ。
朝熊が情けをかけるなんてことはこれまで一切なかった。
やり過ぎた朔弥に対して制止する事はあったが、それもかなりの段階になってから、本当に最後の情けをかけるかどうか、というだけの話だ。
その朝熊が、借金をチャラにした上にさらに金を渡せと言う。
「いえいえ!聴けば深見様は、今回のファンドが実態のないものとは知らず、7人から合計1億1,000万円の出資を引き出されたとのこと。このままでは深見様のお名前に傷がつきましょう。深見様のお名前に傷をつけたとあってはこの朝熊善治郎、枕を高くして眠れません。この儂を助けると思って、どうかお納め下さい。良いな、サク!」
「は、はい…。」
そう言うとまた、朝熊は畳に擦り付けんばかりに頭を下げる。
その勢いに釣られ、朔弥も頭を下げた。
“こいつ、オヤジに何をしやがった…?”
その問いに答えはない。
「ささ、それではご自宅までお送りしましょう。おい!車の用意を!」
と、最大の敬意を向け絶対的な忠誠を誓っている存在、朝熊善治郎が言うのを、床を見つめながら朔弥は聴いた。
今回と前回、アラタ視点ではなく、朔弥視点でお届けしました。
朔弥は後半でのキーマンと言うべき人物です。
今後の展開にご期待ください!