第2章“人脈″ -2 島田 裕三
港区西麻布にある会員制ラウンジ「PROM」。
仕事を終えたアラタの姿は、それらしき店の前にあった。
店の様なのだが、看板もなければ入口はただの施錠されたドアがあり、インターフォンがあるだけだ。
沼津耕一郎から呼び出しを受けたのは今日の昼ごろ。
その後、店の住所とURLをメールで送ってもらい、仕事が終わり次第 駆けつけた。
“ここで良い筈なんだけど…。”
インターフォンを押してみる。
程なくして「はい。」とだけ返事があったので、沼津に呼ばれてきた事を告げると、声のトーンが変わり、「お待ちしていました!どうぞ。」という声とともにオートロックらしい錠が開く“ウィン”と言う音が聞こえた。
ドアを開く。
「お待ちしておりました。深見様。」
ドアを開けたところに待っていたのは、30代前半くらいであろう。
洗練という言葉を体現した様な、シックな黒いドレスとその所作。
贔屓目に言わずとも、誰もが目を奪われる程の美女だ。
アラタは年上好きではないが、それでも心臓が跳ね上がる様な感覚を覚えた。
「沼津様がお待ちです。こちらへどうぞ。」
8つほどのテーブル席があり、奥まった二つのテーブルには女性が10人ほどだろうか、座っている。
その女性たちも、例外なく美しい。アラタがまず会う事の無い様な女性たち。
イベント会社に所属しているだけあって、コンパニオンと接する機会も多いが、アラタの下につくコンパニオンがここにいたら、垢抜けない、美しさも足りないという意味で逆に目立ってしまうではないだろうか。
キャバクラには何度か仕事の付き合いで行った事があるが、ここの女性達はキャバクラの様な派手なドレスや髪型はしていない。
年齢的には大学生くらいだろうが、なぜそれほど洗練されているのだろう。
“うちの大学にはあんな女の子は一人もいなかったけどな…。”
ママらしき女性の後をついていくと、奥にあるvipルームらしき場所に案内された。
奥で沼津耕一郎がなにやらタブレットを睨むように見ており、ママらしき女性の声掛けで顔を上げた。
「やぁ、深見君。呼び出して悪かったね。」
そう言って右手を差し出し、アラタがその手を掴む。
「いえいえ、御呼びいただき光栄です。」
「まぁそう固くならないでくれ。」
「はい。ただ、どうして僕なんかを?」
「そうだね、昨日、セミナーの後に最初に挨拶してくれたろ?その時はあまり話せなかったけど、なんだか君に何とも言えない強烈な親近感を持ったんだ。頭の中で“あの若者を逃がすな!″って声が聞こえた様な気がしたよ。で、昨日お越し頂いていた方の中でめぼしい方を紹介させてもらったんだ。」
確実にマインドコントロールパネルの力なのだが、沼津はそれを天啓か何かのようにとらえているらしい。
「ただ、そういう強力な親近感を持ったとはいえ、僕は君のことを何も知らないだろ?僕からすると紹介リスクはあるし、君にとっても誰彼構わず紹介しても迷惑かもしれないからね。それで、来てもらったわけだよ。」
「はぁ、ありがとうございます。」
「それで、深見君は投資に興味があるといっていたけど、今はどんな仕事をしていて、これからどうしていきたいかとか、その辺の事を聞かせてもらってもいいかな?」
アラタは質問に答えようとするが、うまく言葉が出てこない。
考えてみれば当たり前の話で、今何をしているかはともかく、先のことなどほとんどノープランなのだ。
何とかそれっぽい話を繋げてみるが、沼津の顔が少しずつ曇っていく。
「よし、分かったよ。深見君はこれから探すってことだね。自分の生き方を。」
「はい…。お恥ずかしながらそうなります…。」
「それは全然いいさ。若い頃はみんなそういう悩みを持つものだからね。こうして知り合ったのも何かの縁だ。僕が手伝おう。」
「手伝うというと、どのような…?」
「僕は、おそらく君よりも広い世界に生きている。経済的にも困ることはない。だから時間がある時に僕について回るといい。色々な業界のトップを紹介するから、きっと勉強になると思うよ。」
「はい!ありがとうございます。」
「それから、昨日のセミナーでも話したように、僕は今、宇宙科学関連のファンドを設立しようとしていてね。僕についているときに投資を引き出す事ができれば、君に5%のマージンを渡そう。投資金額は最低でも1,000万からだから、5%でも50万になる。悪い話じゃないだろう?」
なるほど、良くある話だ。フルインセンティブで営業をさせて、取ってくれば金をやるけどそうでなければタダ働き、という事だろう。沼津には何のリスクもない。
「それは…、ただ、僕の周囲にはそんな大金を投資できる人なんていないんじゃないかと…。」
「ん?何か勘違いをしている様だね。君が営業開拓をすることはないよ。こういったら失礼かもしれないけど、開拓できるとも思えないしね。君はあくまで僕に付き添えばいい。その中でサポートしてくれればそれでマージンは渡すよ。もちろん、将来的には自分で顧客を掴んでほしいけど、そうならずとも深見君にとっていいきっかけになれば僕はそれで満足だ。」
マインドコントロールパネルを使って沼津に対して仕掛けた分類は“友情”だ。それも100%の状態になっている。友人に対して力を貸す、その最上級という感じだろうか。
中村に仕掛けた“主従”や、クルミンに仕掛けた“愛情”とはやはり気持ちのありようが違うようだ。
「分かりました。それではぜひ勉強させてください。」
「そうこなくっちゃ。実は今日も、あと少しでここに客がやってくる。彼に宇宙科学関連ファンドの説明をするから、とりあえずは僕の説明を聞いて、適当に相槌を打ってくれればいい。それで投資が決まれば深見君はインセンティブを手にするわけだ。もちろん、相槌だけでなく口をはさんでくれてもかまわない。」
「はい。分かりました。」
その後、30分ほど沼津から今回の宇宙科学関連ファンドとやらの説明を受けた。
正直、内容は全然分からない。
インドの学者だかが画期的なバルブだかの研究をしていて、すでに特許を取得、大量生産に向けての資金調達をする為のファンドで、NASAやGEなどがもう買い手として内定しているらしい。
話が大きすぎてアラタには詐欺みたいにしか聞こえないが、そういうものなのだろう、と自分を納得させた。
ちょうど話が一段落し時計が9時を少し回った頃、客だという男が現れた。
50代くらいの、如何にも仕事の出来そうな男性。濃いグレーのスーツは買ったばかりの様にパリっとしていて、それでいて完璧に身体にフィットしている。
何十万もするスーツなのだろうという事は容易に推測出来た。
島田裕三氏は、一部上場企業の総合商社、島田丸商事の創業一族。
想像していたよりもビッグネームだ。
現在は常務取締役だが、近い将来社長に昇格するのは間違いないだろう。
日本を代表する総合商社の役員だ。アラタからしてみれば雲の上もいいところである。
昨日、沼津に渡すために作った手作り名刺を渡す。
如何にもチャチな名刺で恥ずかしかったが、会社の名刺は渡したくないので止むを得ないだろう。
島田氏は一瞥すると、興味がないとでも言わんばかりに沼津の方へ向き直った。
続いて秘書らしき人物にも名刺を渡す。
島田氏は、秘書のこともアラタのことも、全く気にかけていない様子だ。
沼津が説明を始める。
今回の技術が如何に革新的か、研究したインドの学者は実績こそ少ないが宇宙開発の歴史を変え得る人材であるとか、大量生産する為にはわずかなサイズやコストダウンが必要であるが、ここに来て失敗の可能性はほぼ無いこと、8%の利回りと言っているがそれ以上にもなりうることなどを説明している。
「特に利回りの部分では、私個人としては15%~20%は現実的な数字として見込んでいます。ただ、そこまで言ってしまうと多くの方は逆に話が上手過ぎて怪しまれるかもしれない、という事で、対外的には8%とさせていただいています。」
だが、島田氏の顔はあまり乗り気ではない様に見える。
どちらかというと、騙されないぞ、という目で沼津を見ているし、口から出る言葉はネガティブな言葉ばかりだ。
「すみません、ちょっとお手洗いへ…。」
そういうとアラタは鞄を持ち、トイレへ。
男がトイレに行くのに鞄を持っていくのもおかしいとは思うが、誰も気にしている様子はない。
トイレの個室でマインドコントロールパネルを立ち上げる。
「被操作者を入力して下さい。」
島田裕三。
と入力する。
「対象を入力して下さい。」
深見新、と入力する。
「友情」にしようか「主従」にしようか迷ったが、「友情」を選択した。
+100%に設定し、登録ボタンを押す。
ボタンがグレーに変わるのを確かめて席へ戻る。
沼津耕一郎の説明が続いている。
軽く会釈をしてアラタは元の席に座る。
先ほどとは異なり、短時間に2度、3度と島田氏がアラタを見るようになった。
沼津の話が一段落すると、島田が口を開いた。
「深見さんは今回の件についてどう思われますか?」
アラタに言葉を投げたことを、沼津が意外そうな顔で見ているが、ここでは口をはさまないことにした様だ。
アラタのほうを見て頷き、目で合図を送っている。
「そうですね。夢があると思います。」
「夢…、ですか。」
「えぇ。私自身は宇宙開発関連についてはずぶの素人ですので技術的なことはよく分かりません。ただ、宇宙はこの地球で暮らすすべての人類にとっての夢です。これまでも色々な方が宇宙に挑み、これからもそれは変わらないでしょう。技術も、現時点で最高のものが5年後にはそうではなくなっているかも知れません。ただ、そうやって進歩していく、その一端を担えるという事は、とても意味のあることだと、僕は思います。」
「…。」
「もちろん、夢だなんてものでお金を出すのは難しいでしょうが…。」
「…。」
言葉を発しない島田氏を見て、慌てた様子で沼津が口をはさむ。
「島田常務、今深見が申しましたのはあくまでそういう側面もあると言う話でして…。」
「分かりました。この話、2口ほど乗りましょう。」
沼津の言葉を遮る様に発せられたその言葉に、沼津が黙り込む。
「…というと、今回のファンドに2口出資していただける、という事で宜しいのでしょうか…?」
「えぇ、言葉の通りです。細かい書類は秘書に渡しておいてください。」
というと、少し離れたところに座っている秘書を顎で示した。
「はい!ありがとうございます。それでは後日、改めてごれんらくいたします!…あっ!ヒロエママ、女の子たちお願い!」
「はい。畏まりました。」
そういうと、美女たちがテーブルにやってきた。
クルミンと付き合いだしたばかりなのに良いのかな、と思ったが、変にソワソワしているのはアラタだけだ。
他愛の無い話で盛り上がり、12時前に解散となった。
島田氏と秘書をそれぞれタクシーに乗せた後、アラタは沼津と同じタクシーに乗り込んだ。
沼津の自宅は西麻布からタクシーで5分ほどのところらしいが、方向は同じなので一緒に乗っていくことにしたのだ。
タクシーチケットを渡され、家まで乗って帰っていいと言う。
噂には聞いていたが、アラタは生まれて初めてタクシーチケットというものを見た。
「深見君、今日はお手柄だったね。やっぱり僕が見込んだ通りだ。けどまさかこんなにも早く結果を出すなんて思ってもみなかったよ。」
「いえいえ、僕は思ったことを言っただけですから。」
「あぁ。けどどう見ても、あれが引き金になったよ。正直僕は、今回はダメかなと思っていたところだったんだ。」
「そう言っていただけると嬉しいです。ありがとうございます。」
「インセンティブの分、2,000万の5%だから100万だね。島田常務から入金があり次第、深見君の口座に入金するから、後で口座番号をメールで送っておいて。…あ、運転手さん、そこの車寄せで降ろして下さい。僕だけ降ります。」
ドアが開くと、「それじゃね!」と言ってサムアップし、沼津は降りて行った。
予想通り、かなり良いマンションだ。
”それにしても…。”
今日1日で、アラタの給料の5ヶ月分近くを稼いでしまった。
「お客さん、長津田までですと、横浜町田まで高速で行くルートで宜しいでしょうか?…。お客さん?」
「…。お客さん?」
言葉を投げかけてもただ不気味な笑みを浮かべているアラタを見て、運転手は首を振ると、そのままタクシーは静かに高速道路へと消えていった。