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ぼくが何も言えないでいると、男の子は床にぺたんと座って、トランクを開け始めた。
その大きなトランクの中には、糸がたくさん入っていた。
毛糸玉のように丸くして、小さく仕切った木のトレイに入っているもの。
木の棒にくるくると巻き付けてあるもの。
ただ結んであるものもあった。
けれど、一番変わっているのは、その糸だった。
糸と言うよりは、毛糸と言ったほうがいいかもしれない。
ぼうっとして、境界がないように見える。
どのくらいの太さか、はっきり分からない。
そして、少しだけ光っている。例えて言うならば、三日月の夜の空だ。
「どの、夢がいいですか?」
男の子は、トランクから毛糸玉がいっぱい入っているビンを取り出しながら、呟くように言った。ひとりごとのようにも、聞こえた。
「ぼくが紡いだ、できたての夢、なのです。初めて、ひとりで紡いだ、夢」
そう言いながら、男の子はビンから薄い紫の糸を出し、無邪気に笑った。
「紡いだ、夢?」
たしかに、彼はそう言った。もしかしたら、気のせいかもしれない。
だって、夢は作るものではなく、見るものだから。
「そう、なのです。ぼくは、『夢紡ぎ師』だから」
「ユメツムギ、シ?」
「そう、です。夢を、紡ぐ、とかいて、ユメツムギ、と読むのです」
そして、その男の子は、こてんと小首をかしげてから、また少し咲んだ。
「まだ、見習いだけど。だれかが、ぼくの紡いだ夢で、幸せになれたら、見習いじゃ、なくなるのです」
そう言って男の子は、さっきの薄紫の糸を手に持った。
「〈大切な人に会える夢〉、これが、ぼくの作った夢、です」
言われて、ぼくははっとした。
大切な人に会える。
つまり、死んだ、母さんにも。
会ったことのない、父さんにも。
引っ越しして会えなくなった、親友にも。
みんなに会える。
「いりません、か?」
その声を聞いてすぐ、ぼくは答えた。考えるより先に、言葉が口をついた。
「ほしい……です」
ぼくがそう言うのが分かっていたように、男の子は目を細めて笑った。
☆
男の子はぼくが答えると、またあのトランクからいろいろなものを出した。
上からのぞくと、どうやらトランクの中のトレイに乗っているものらしかった。
黄ばんだような色の紙に、小さなインクビン、そのビンにぴったりな小さなペン。
さっきの薄紫の糸と、ろうそく。
マッチの箱。
それらのすべてを出すと、男の子はさっき出していた糸を全部しまい、トランクをぱたんと閉めるときっちりベルトを掛けた。
ぼくはただ、彼のしていることをぼんやりと見ていることしかできなかった。
すべてが終わったように感じたのは、ろうそくに火が灯り、紙に読めない言葉を書き連ねていた男の子が手を止めて、顔を上げたときだった。
「名前は、何と、いうのですか?」
「……え?」
「あなたの、名前、なのです。訊いて、いなかった」
そう訊かれて一瞬、言いたくない、と思った。同情の目で見られたくなかった。
でも、すぐに考えを変えた。
だって、言ったところで、この男の子には分からないだろうから。
「藤川季、でも今は、中村」
男の子の表情は、分からない。たぶん、ぼくが気にしてたことには、気付いていない。
苗字が変わるときは、嬉しいことがあったときか、悲しいことがあったとき。
ぼくは、後者だ。
「季さん、で、いいのですか?」
やっぱり、気付いてない。そう考えながら頷こうとしてぼくは、はっとした。
目の前にある、真っ青な眼。
自分を「夢紡ぎ師」だと名乗った彼の目には、深い哀しみの色が浮かんでいた。
同情する目ではなく。
まるで、すべてが分かっているように。
彼も、同じ経験があるかのように。
けれど、男の子が瞬きをすると、その色は無かったかのように消えてなくなった。
「季さん?……あれ、違いました、か?」
「あ……えっと、季、で合ってます」
「分かりました、季さん。ぼくの、名前は、ルディ。ルディ=トラウム、です」
ルディ=トラウム。
口の中で、呟いてみた。昔から知っていたかのように、しっくりと馴染んだ。
その名前は、まるで彼、ルディのためにあるように感じた。それくらいに、その名前が合っていた。
「では、契約を、結びます。契約は、季さんの夢、が、ぼくの作ったもの、ということを、証明する、ものと思って、ください」
そう言いながら、ルディは何かの言葉を書いていた紙をこちらに向けた。
下のほうに線が二本引いてあって、一つの線の上にはもう何かが書いてあった。ルディ=トラウム、と書いてあるのかもしれない。
「ここには、『夢紡ぎ師』は契約者に、危害を、加えないこと、契約者の意見に、従うこと、と書かれて、います。また、契約者、は、『夢紡ぎ師』の、存在を、だれにも言わない、こと、とも書かれています」
「存在を、だれにも言わない? なぜ?」
「『夢紡ぎ師』は、選ばれたもの、のところにしか、行かないから、です」
「そう、なんだ」
「はい。サイン、をお願い、します。好きなほうの、名前で」
ここです、とルディは何も書かれていない線を指さした。
迷うことなんか、無かった。
ぼくは、線の上に名前を書いた。ルディが言ったように、好きなほうの名前で。
藤川 季。
『夢紡ぎ師』と契約者の名前が、契約書に並んだ。
続きは、明後日の予定です。
この話は、書き溜めていたものを一気に出していますが、もうすぐ書き尽くしそうです……。




